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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

大地の芸術祭

2009-07-10 | アート
 7日付の毎日新聞夕刊に、新潟県十日町市と津南町で3年ごとに開催される国際芸術展「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2009」の紹介とともに総合アートディレクターを務める北川フラム氏の談話が載っている。
 4度目となる今回の「大地の芸術祭」には、38の国・地域からアーティストが参加、約350作品が紹介される。

 山や川、棚田など「その場特有の魅力をアートで再提示する」試みであり、農業の衰退が進み、壊滅的な状態となっている地域、場所において「美術が、アーティストが何ができるか。提示を試みた」と北川氏は言う。
 「あるものを徹底的に生かすのは、大地の芸術祭の特徴の一つ。美術は赤ん坊みたいなものです。手間がかかって生産性はないが、皆が大事にして、大人同士をつなぐ核にもなる」
 「厳しい課題を抱えた地域ほど、アートの可能性が発揮される、と思っています。生産性のないものを寿ぐことで、金銭的な価値観とは違う意味が生まれ、新たな誇りを持てるからです」

 この記事から考えられるアートの特質は次の3点ではないかと思う。
 1つは、特定の地域にアートを持ち込むことによって、その土地が本来的に持つ特有の美を再発見するとともに、そこに生きる人々の暮らしに思いを寄せること。
 2点目は、アートが入り込むことで、そこにある地域の課題や現実を表現として人々の前に提示すること。
 廃校13校を使った展示は今回の目玉だが、それはとりもなおさず過疎化が止まらない現実を如実に示すことでもある。
 3点目は、アートに生産性はないが、時間をかけてアーティストと地域の人が相互理解を深めながら大事に創り上げ、育てる過程で、金銭や物質的豊かさには還元できない新たな価値が生まれるということ。

 地域の人々の生の声が記されていないので一概に結論付けることはできないとは言え、ここにはアート本来のあり方のようなものが確かにある。
 文化政策という時、私たちは疑いもなく功利主義的な考え方をしがちである。そこでは、町おこしのため、地域の活性化のため、産業の振興のため等々、「~のため」にする議論が大手を振るう。

 そうではなく、生産性のない、何の役にも立たないものとしてのアート本来の魅力にこそ私たちは目を向けるべきなのだろう。
 そこには、これまで見たことのない、わくわくするような、生きることを鼓舞するような何かがあるはずだ。