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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

ヒノキブタイ

2009-07-04 | アート
 今月1日、東京芸術劇場アトリウム前の広場でアートプロジェクト「ホーム→アンド←アウェー」方式[But-a-I]を展開している日比野克彦氏の講演を聞く機会があった。
 [But-a-I]は、2000本以上の尾鷲ヒノキの間伐材を使って組み上げられた舞台で、文字通りのヒノキブタイであり、9月までの間、そこではさまざまなイベントやワークショップなどが繰り広げられる予定である。
 
 講演は、日比野氏が美術を志した高校生の頃の話にはじまり、興味深い話が続いたが、2003年の第2回「大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ」において、新潟県十日町市莇平(あざみひら)で地元の住民との交流を促進する目的で、集落の廃校になった木造二階建ての小学校を拠点とし、住民たちと一緒になって朝顔を育てた話が面白かった。
 当初、廃校の空き教室に集まった30人ほどの地域の人々は、東京からやってきたアーティストを遠巻きに見つめるばかりで言葉少なかったのだが、ぽつりぽつりと話をするうちにふと朝顔を育てる話になり、日比野氏の近くにいたおばあさんがやおら身を乗り出して「農作業なら負けねえ」と顔を輝かせたのだとか。
 これをきっかけとして徐々にコミュニケーションを深めていった日比野氏と住民たちは、共同して校舎の屋根まで180本のロープを張り、建物を朝顔で覆い尽くした。
 その夏、山深い人口200人の村には3000人もの人々が訪れたという。

 2004年からもその前の年に採れた種を使って、朝顔の育成を莇平で続けることとなった。
 植物の育成という創作活動に関わることが地域との関係を深めることになり、それが繰り返され、連動していくことによって、人と人、地域と人との関係性が深まっていく。
 2005年には水戸芸術館において新潟で育てた朝顔を育成することとなり、朝顔の苗と新潟莇平の人々を水戸の人たちが迎え入れた。
水戸芸術館には300本のロープが張られ、新潟生まれ水戸育ちの朝顔が誕生、2万人の人が訪れた。
 このように朝顔の種をさまざまな地域に運び、それをキッカケとして人々の交流を促進するというこのプロジェクトは今では全国に広がり、2009年5月時点で22の地域において展開されている。

 朝顔の種が巻き起こす人々の動きによって日常の様々な事象が混ざり合い、時間の経過とともに生活している人々も変容していく。
 自分たちは種を送り出す立場でもあり、同時に種を受け入れる立場でもある。自分の地域から自分が出掛けること、自分の地域に他人を出迎えることが、地域社会を活力あるものにする。
 これらは芸術の根本の意味を問いただすことにも繋がり、創造する起動力としてのこのような試みを日比野氏は『「ホーム→アンド←アウェー」方式』と名づけたのである。

 ここには、アートの表現において、他者との間に対話という回路を開き、相手にも触発されながらものを創り、そのことによって他者とも繋がっていくというダイナミズムがある。先端的なアートを啓蒙的に見せつけるのではなく、地域住民や観客、共同する人々と同じ目線に立ってそっと寄り添うような柔らかな姿勢があるのだ。実に面白い。

 この日、芸術劇場前のヒノキブタイでは、芸術監督に就任したばかりの野田秀樹氏が多摩美術大学の学生たちとワークショップをやっていて、日比野氏の講演は早めに終え、皆でそれを見学することとなった。
 舞台上の学生たちを観客席で見る私たちを外側から見る通りすがりの人たちがいる。これもまた面白い。

 ワークショップは延々と続く。同じ動作の探求が続き、観客席も次第にまばらになるのだが、私はそれをじっと見続けながら心の平穏を感じていた。
 気がついたのだが、この感じは、原っぱで行われる草野球を遠くからぼんやり見ている時の気持ちに似ている。
 こうして「演劇」も日常の光景に溶け込んでいくのである。