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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

ボランティアという思考

2009-07-09 | 文化政策
 5日、「にしすがも創造舎」を会場として行われた豊島区の文化ボランティアセミナーの一環として行われたシンポジウム「文化ボランティア活動の可能性」に機会があって参加した。
 「文化ボランティア」という言葉は昨年亡くなった前文化庁長官の河合隼雄氏が普及させようとして造った呼称なのだけれど、何が「文化」で何が「ボランティア」かというのは人それぞれに解釈や理解が異なり、それをひと括りにして語ろうとすると意外とややこしい話になる。この日出席していたパネラーもそれぞれの立場で異なった活動をされている方々である。
 このセミナーにしても文化ボランティアの育成を目的としているようなのだが、この日のシンポジウムはともかく、それを座学として「学ぶ」という設定は難しい、というか少しポイントがずれているのではないかと思ったりもする。

 さて、パネリストの方々は、「原爆の図丸木美術館」学芸員の岡村幸宣氏、池袋の廃校となった小学校を地域の活動の場「みらい館大明」として転用、その運営を担うNPO法人いけぶくろ大明理事長の杉本カネ子氏、(株)ヌールエデザイン総合研究所代表で「目白バ・ロック音楽祭」実行委員長だった筒井一郎氏、読み聞かせ活動を展開する「ドラマリーディングの会」代表の福元保子氏など多士済々である。
 
 会場からは、ボランティアの人々は、本来行政が担うべきことを体よく代替させられているだけなのではないかとの質問もあったが、おそらくそうではないだろう。
 もちろん「文化ボランティア」そのものの解釈に人それぞれ違いがあるように、実際の活動の様相も形態も異なりはしても、パネラーの発言から伺えるのは、誰もがしっかりとした目的意識を持ち、そこに社会的意義と自己実現を結びつける「物語」を持っているということだ。
 そうしたなか、「目白バ・ロック音楽祭」を企画運営していた筒井氏のからは何度も事業計画という言葉が聞かれた。営利目的でないとはいえ、1億円規模での事業を運営する場合、そこには冷徹なビジネスセンスが求められるのである。
 それはもう行政の思惑などはるかに超えた公的存在としての確固とした意義を有するものである。

 最近読んだビジネス書、神田昌典著「全脳思考」のなかに次のような一節があり、シンポジウムでの話を思い浮かべながら深く感じるものがあった。以下引用。
 「今までメインストリームではなかった存在を中心に据えることにより、思考の枠が広がり、今まで考えつかなかったことが不思議なくらい簡単な、しかも効果的な解決策を生み出すことができるようになるのではないか。
 私はそうした考えから、いくつかの社会福祉法人を訪れたことがある。(中略)
 そこで衝撃を受けたことのひとつは、社会福祉法人の経営者は、通常ビジネスで名経営者と言われている人の、何倍も優秀であることだった。障がい者のための作業所を設立するために、もらった賞与はすべて寄付してきた元教師。何年も街頭で募金を呼びかけ、バザーを開催してきた元OL。
 困難をものともせず、なすべきことを実行し、必要なことを実現していた。
 発想力、そして行動力に溢れた大変魅力的な人たち・・・(中略)
 共同作業所で働く障がい者の平均給与は月給1万円程度。そうした中で月5万円、7万円と支払えるように大変な工夫をしている。
 (中略)正直、不況だとあえいでいる通常のビジネスが、ぬるま湯につかっているとしか思えないほどのショックを受けた。」

 文化ボランティアあるいは福祉ボランティア、もしくはNPOなど、どういう組織形態だろうが、どう呼ばれようがかまわないのだけれど、これまでとはまったく違った視点から社会的問題の解決に取り組む人々の存在がこれからの社会には絶対的に必要なのである。
 彼らと話をしながら、私はそのことを確信する。




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