バチカンも君富論を提唱した。
君富論は僕富論と同じく妖艶なエコノミスト・浜矩子の造語で、極論すれば「トヨタの社員は日産の車に乗る」というようなことであり、「自分さえよければ」という僕富論で陥ったグローバルな経済・財政恐慌からの脱却の一つの方法論である。
ただし、浜矩子は「情けは人のためならず」として「人のグラスに注いでこそ自分のグラスも酒が満たされる」とも言う。
●さて、26日付朝日新聞が、次のように伝えた。
~・~ 「利己心を越え、国のレベルでは守れない公共の利益を守る仕組みづくりが我々の世代の責務だ」。世界経済を揺らす債務(借金)危機に対して、カトリックの総本山バチカン(ローマ法王庁)の「正義と平和協議会」が24日、「国際的な金融通貨システムの再編に向けて」とする書簡で提言を発表した。
具体的には、国際通貨基金(IMF)などに新興国の関与を強め、より効果的な調整や監督ができるようにすべきだとした。欧州中央銀行(ECB)をさらに強化したような「世界中央銀行」の設立も求められている、とも言及した。
また、「倫理的アプローチ」として、(1)金融取引への課税(2)実体経済の発展に向けた、銀行への資本増強(3)通常の融資と投資の区別なども列挙している。
この協議会は、キリスト教の教義にあわせて社会問題の改善をはかる目的の組織。経済の分野で踏み込んだ提言をするのは異例だ。 (以下、省略) ~・~
●ところで、浜矩子は、10月8日付(7日販売)の日刊ゲンダイ「どうなるか? 世界恐慌と日本沈没(5)」に『ギリシャの国家破綻とユーロ圏の崩壊は現実になる』を寄せた。
ここでは、『「このままではマズイ」と踏みとどまり、新たな多角的協議の枠組みを真剣に考えて作り出すことができるかどうか。いまが瀬戸際です。』と主張している。
以下、その語録である。
~・~ 欧州は世界の縮図です。
ギュッと凝縮するから、問題がより鮮明になる。
混乱から浮かび上がったのは、グローバル経済と国民経済の相性の悪さです。
国境を越えた経済活動の領域が形成されると、その中に所属する国家との間で軋轢や緊張関係が生じる。
みんなで助け合おうとみたいな言い方をして集まりながら、足並みの乱れや抜け駆けは当たり前、イザとなればバラバラです。
人、モノ、カネの流れは国家のコントロールが及びようもなくなっているのに、国家は国境を越えられずに右往左往するだけ。
経済の成熟度や体力が異なる国々による寄り合い所帯の経済運営は、困難を極めるのです。
ギリシャ問題を決着させるには、外科手術的な対応しかないでしょう。投薬の分量を増やしても集結しません。
欧州の政策担当者は、「ギリシャの国家破綻とユーロ圏の崩壊はさせない」と強調していますが、最終的にその両方が現実になりそうな雲行きです。
となると、縮図の元の世界経済も危うい。このままで行くと財政の同時多発的破綻により、地球経済はメルトダウンする。地球市場を舞台とした熾烈なる大競争の中で、劣後するモノを支えざる状況になっているのに、各国はエゴ丸出しでまとまろうとしない。
英国や米国が求心力の核となった時代は、寄らば大樹の陰で、大親分の号令の下にみんなでまとまった。
そんな独占的覇権時代に比べると、人類の歴史は一歩進んだと思います。だが、進化に見合う行動ができない。
かつて盛んに使われた「他国的協調」には、相手によって態度を変えることのない門戸開放によってたがいに恩恵を施し合おうという理念がありました。
ただ、この言葉が生まれた時代は、大親分の胸三寸で物事が進んだ。
多角的協調はお題目に過ぎず、ようやく正確な意味でことばが成り立つ時代になったのです。
ひとつの国家の単独突出が不可能になり、みんな一緒くたで考えなければならなくなったのです。
それなりに賢く、協調性もあるが創造性もあり、賢明であることが必要になっている。
それなのに、ドングリの背比べになったとたん、あほなドングリたちは潰し合いを始めた。
囲い込める領域の幅を広げようとTPPを追及したり、資源確保に血道を上げたり、他国の社会資本プロジェクト受注に奔走したり。
日本もリストの筆頭に「原発輸出」を掲げ、分捕り合戦に参加している。さすがに声高に言えなりました。でも、あきらめてはいない。そんな国民経済第一の発想は世界の終りを早めるのです。
このままでは惨憺たる状況に陥ってゆく。用意ならざる事態です。
どんなトラブルも最後は印籠や桜吹雪でシャンシャンと解決する時代は過去となりました。
「このままではマズイ」と踏みとどまり、新たな多角的協議の枠組みを真剣に考えて作り出すことができるかどうか。
いまが瀬戸際です。 ~・~
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます