シンガー『ナターシャ』のブログ

関西・東京・名古屋・広島、そして台湾もグローバルに歌うシンガーソングライター、jazzシンガーナターシャのブログです

テルアビブ

2008-04-17 | 
昨日ブログを書いてお風呂に入っていた時、ふと気づきました。

私が自分が幸せでないと感じていた時期というのは、結局「神」や「宇宙」や 大いなるものと離れていたときなのだと。

30代前半、本当に辛かった時期にいつも「子供の頃、幼稚園の頃に返りたい」と思っていました。そして、幸せになろうと思えばなれる外的環境にありながら、幸せになれなかった私。自分を見つめていき、精神的なこと、体や心の事を知り最後に行き着いたのはやはり目に見えない「大いなる存在」でした。その存在が近くになればなるほど生きるのが楽しく、幸せになってきたことを考えれば、「辛かったのは大いなる存在と分離していたから」なんだと分かったわけです。

「分離感」という言葉も精神世界ではよくでてくる言葉ですが、イマイチ分からなかった。「分離しているから辛く苦しい」といわれているけど、何と分離しているのか分からず「本来の自分と離れているってこと?!」と思っていました。でも本来の自分と離れているというのは、大いなる存在とつながっていなかったからですね。

子供の頃にお祈りをしていたことを昨日思い出し、一人遊びの好きだった私は要するに目に見えない存在とコンタクトを取っていたのだと気づきました。今までスピリチュアルな本に「私は幼少の頃から妖精と話していて・・」と書かれているのを読むたびに、「ひええ、すごいなあ」と思っていましたが、私を含め、ほとんどの子供はみんなそうなんじゃないかな。それを大人になっても覚えているかどうかだけで。

さて、このイスラエル旅行でまだ言葉にできることは少ないのですが、その一つに長年疑問であったユダヤ人に関することがだいぶクリヤーになったことがあります。

私は23歳の時にアメリカに行きました。それまで受験勉強はできても世界の常識というものからかけ離れたパッパラパーの私にとって、アメリカでなんとな~く感じるユダヤ人への差別というのが全く理解できませんでした。

ある時クラスメートのモロッコ人アジザが「ミリアムは私のことを嫌っているわ。」と言う彼女に「え?なんで?」と間抜けな質問をした私に「彼女はユダヤ人だからね」という答えが返ってきました。私にとってイスラエルを最初に教えてくれたのは、キブツで一年間働きヘブライ語を話せるミリアムでした。彼女は本当にユダヤ人であることを誇りにしていましたが、名前を言うと「ユダヤ人?」としょっちゅう聞かれるのはウザイとも言っていました。今回の旅行で「ミリアム」という名前はメアリー=マリアというヘブライ語だとういうのを知り、彼女の言っていたことが今、15年後に理解できました。

学校の授業についていくのに必死だった私には、モロッコ人とユダヤ人の緊迫状態なんてぜ~んぜん気づいていなかったのです。アジザんちに遊びに行ったらお祈り中だから会えないということでもびっくりしたくらいですから。イスラム教徒の風習も全く知りませんでした。

或いはよく一緒に日本料理を食べにいっていた友達がいつも「とんかつ」を注文するので「とんかつ好きなんだね」と言うと「ユダヤ人によく間違えられるからね。僕は豚を食べるからユダヤ人ではないでしょ」とも言ってました。彼は鼻がかぎばなだし言われてみれば・・と思いましたが、このこともなぜ思い出したかと言えば今回旅の最後に訪れた「ユダヤ人博物館」でホロコーストの時にユダヤ人を見つけるための機械というか道具の一種で鼻の角度を測るものを見たからでした。今その道具を思い出すだけで胸が裂けそうに辛くなりますが。

また別の友達が「ルームメートはいっつもお金を数えてる。さすがユダヤ人」なんていうのを欧米人から聞く度に、「はっきりと表に出ない差別」に「なんで?なんで?」と思うのでした。

大体の歴史がわかってもまだ疑問はありました。

映画界や金融関係などユダヤ人が牛耳っているという話もききました。特に私はロスでそれもハリウッドの近くで日本語を教えていたので、生徒さんい映画関係の人達がたくさん居て、そういう話をよく聞きました。でも、じゃあ映画の「クイズショー」でなんでユダヤ人はイカサマされるの? 「ドライビングミスデイジー」のおばあさんがユダヤ系で運転手が黒人という設定の彼女がユダヤ系である微妙な意味合いが私には頭ではわかっても肌では分からなかったのです。結局、アメリカやヨーロッパを理解するのに「ユダヤ」や「聖書」を知らなければ本当の理解はできないのです。

勿論全てを理解することは無理ですが、今回の旅行で長年の疑問が少しは解けました。その代わりにまた新たなる疑問が生まれてきましたが・・。

今回の私達の旅は「テルアビブ」から始まりました。

まずは「イスラエル独立宣言の家」を訪れたのですが、ここで私はとても大きな役割をいただくことになります。「なぜあれが私だったのだろう?」と思っていましたが、今こうやって長年の疑問をまとめていたら、「ああ、だから私にお役目をくださったのだな」って分かりました。

長くなったので続く。写真はそのイスラエル建国の際に宣言をした場所です。

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