昨日は活動的な一日でした。
英語の会が終わってから、「外国人との交流の会」なるものに参加。あんまり盛り上がる会だとは期待していなかったけど、日本人10人くらい、外国人2人しか来ていなくて、そのうちポーランド人はすぐに帰ってしまい、主催者の人は「予約はもっと入っていたんですけどね・・」と謝っていてちょっとかわいそうでした。
と言ってもその残りの一人はフランス人だったので、私にはちょうどよかった。フランス語の練習になりました。しかし、パリの人だったから南仏のスローなフランス語に慣れている私には、彼の話すスピードが速い速い。都会人は速いのだ。
彼は日本が大好きで日本でのエンジニアの仕事を探してやってきて2年経つそう。しかし、日本語うまかったなあ。2年であのレベルは素晴らしい。自然な日本語の音でした。
面白かったのは、例えば「ビールを飲みますか?」「飲むか?」「飲まない?」「飲もうか?」「飲みましょうか?」「飲みませんか?」など、それぞれのニュアンスの違いが難しいと言ってたことでした。
なぜこんな話になったかと言うと、中国語は「マ」をつけたら疑問文になるので、中国人はそのノリで「動詞プラス『マ』」の感覚でよく「いくか」「のむか」という文を言うけど、それは日本人にはちょっときつく聞こえるという話から始まったのでした。
すっかり消え去ったと思われてた私の日本語教師の知識がほんの少しムクムクと顔を出し、意外や意外、上の表現に対して英語でちゃんと説明できました。plain-form(だ体)や「ますform」なんて文法用語を久しぶりに使いました。
一所懸命にやったことって意外と覚えているものなんだなあ。アメリカで日本語を教えていたときの情熱はすごいものでしたから。その後の10年あの充実感を求めてきたような気がするけど、あれを越す仕事はなかったな。
でもね、結局文法ルールを知っていても、どういう場面でどう使うかなど微妙なニュアンスを言葉で説明しようとしても限度があるんですよね。どういう場面で人々が使っているのかを自分で観察してひとつずつ失敗しながらでも使っていくしかないのですよね。どんな言葉でもそうだし、子供はこうやって母国語を覚えていくんだから。
その言葉の国に暮らしていたらそれこそ「なんとな~くこういう感じなのかな」っていうのを体でつかんでいくけれど、これを外国で勉強しているとこのニュアンスをつかむのが難しいし、教えるのも難しい。
例えば私がアメリカで日本語を教えているときに「今日は、にわとりサラダを食べました」という作文を読んで笑ってしまったけど、でも辞書には「chicken=にわとり」って書いてありますもんね。「なんでおかしいん?」と言われても言葉で説明するには限界あり。
ニュアンスやナチュラルネスって本当に大事。以前、中学生に英語を教えているときに、学校の英語の先生が「私は犬が好きです=I like a dog」と教えているのを知ってうなってしまった。これじゃあ、犬を食べるのが好きみたいなニュアンスになっちゃう。犬全体がかわいくて好きなら I like dogsです。 まあ、冠詞は難しいんだけどね。
この前フランス語のラジオ講座で同じことをやっていました。
J’aime les chiens(私は犬が好き)だけれど、冠詞をun (英語のa/an)に変えちゃうと犬の肉が好きなイメージになっちゃいますよと。
言葉は難しいけど、でも私にとっては自分の世界を広げてくれる大事な大事なツールです。
英語の会が終わってから、「外国人との交流の会」なるものに参加。あんまり盛り上がる会だとは期待していなかったけど、日本人10人くらい、外国人2人しか来ていなくて、そのうちポーランド人はすぐに帰ってしまい、主催者の人は「予約はもっと入っていたんですけどね・・」と謝っていてちょっとかわいそうでした。
と言ってもその残りの一人はフランス人だったので、私にはちょうどよかった。フランス語の練習になりました。しかし、パリの人だったから南仏のスローなフランス語に慣れている私には、彼の話すスピードが速い速い。都会人は速いのだ。
彼は日本が大好きで日本でのエンジニアの仕事を探してやってきて2年経つそう。しかし、日本語うまかったなあ。2年であのレベルは素晴らしい。自然な日本語の音でした。
面白かったのは、例えば「ビールを飲みますか?」「飲むか?」「飲まない?」「飲もうか?」「飲みましょうか?」「飲みませんか?」など、それぞれのニュアンスの違いが難しいと言ってたことでした。
なぜこんな話になったかと言うと、中国語は「マ」をつけたら疑問文になるので、中国人はそのノリで「動詞プラス『マ』」の感覚でよく「いくか」「のむか」という文を言うけど、それは日本人にはちょっときつく聞こえるという話から始まったのでした。
すっかり消え去ったと思われてた私の日本語教師の知識がほんの少しムクムクと顔を出し、意外や意外、上の表現に対して英語でちゃんと説明できました。plain-form(だ体)や「ますform」なんて文法用語を久しぶりに使いました。
一所懸命にやったことって意外と覚えているものなんだなあ。アメリカで日本語を教えていたときの情熱はすごいものでしたから。その後の10年あの充実感を求めてきたような気がするけど、あれを越す仕事はなかったな。
でもね、結局文法ルールを知っていても、どういう場面でどう使うかなど微妙なニュアンスを言葉で説明しようとしても限度があるんですよね。どういう場面で人々が使っているのかを自分で観察してひとつずつ失敗しながらでも使っていくしかないのですよね。どんな言葉でもそうだし、子供はこうやって母国語を覚えていくんだから。
その言葉の国に暮らしていたらそれこそ「なんとな~くこういう感じなのかな」っていうのを体でつかんでいくけれど、これを外国で勉強しているとこのニュアンスをつかむのが難しいし、教えるのも難しい。
例えば私がアメリカで日本語を教えているときに「今日は、にわとりサラダを食べました」という作文を読んで笑ってしまったけど、でも辞書には「chicken=にわとり」って書いてありますもんね。「なんでおかしいん?」と言われても言葉で説明するには限界あり。
ニュアンスやナチュラルネスって本当に大事。以前、中学生に英語を教えているときに、学校の英語の先生が「私は犬が好きです=I like a dog」と教えているのを知ってうなってしまった。これじゃあ、犬を食べるのが好きみたいなニュアンスになっちゃう。犬全体がかわいくて好きなら I like dogsです。 まあ、冠詞は難しいんだけどね。
この前フランス語のラジオ講座で同じことをやっていました。
J’aime les chiens(私は犬が好き)だけれど、冠詞をun (英語のa/an)に変えちゃうと犬の肉が好きなイメージになっちゃいますよと。
言葉は難しいけど、でも私にとっては自分の世界を広げてくれる大事な大事なツールです。
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