シンガー『ナターシャ』のブログ

関西・東京・名古屋・広島、そして台湾もグローバルに歌うシンガーソングライター、jazzシンガーナターシャのブログです

言語のエネルギー

2006-09-22 | Weblog
フランスに暮らして三つの言語を使うようになった。日本語と英語とフランス語。英語力は低下する一方だし、フランス語も子供レベルだから、自分の言いたいことが言えるのかといえば「ぜんぜん」。しかし、私はどうもフランス語が好きみたいだ。

「フランス語って流れるように美しいから学んでみたい」というのをよく聞くが、私の場合は学生の頃、初めての一人旅で行ったパリの街並みがあまりにも魅力的だったため、「いつかフランスに住みたい」という夢があったこと。そして、その後興味がでてきた料理やワインなどの食文化に惹かれて勉強し始めた。

暮らしているうちに、フランス人が出す音に自分の出す音が近づいてくることが嬉しかった。それは、音声学のクラスなどで今まで曖昧だった音に対して意識をしだしたのと暮らしている中で彼らの出す音が自分の体の中に入ってきたからだろう。

面白いことにフランス語の音の中に身を置くうちに、アメリカ語、特に私が話すようなカリフォルニアアクセントの強い英語が「べちゃ」っとした音に聞こえだした。フランス人の耳にはアメリカ語がこんな風に聞こえるのだろうか。

フランス語とアメリカ語を二つ混ぜて話していると、舌を「べろべろべろ・・」としたくなる。私なりに分析した結果、二つの言語の音の違いの一つに「舌の緊張度」というのに気づいた。例えば「R」は、アメリカ語では巻き舌にするが、これはかなり舌に力が入った状態だ。しかし、フランス語ではもっと舌を緩め、そこに喉からの空気を通して音をつくる。だから、二つの言葉を話そうとすると舌を緊張させたり、緩めたりで変な感じになるのだろう。

三つの言語を使うのが楽しいのは、言葉によって違う自分になるから・・というのでもない。日本語と英語の世界しかなかったときは、確かに主語を曖昧にする日本語と主語が無いと文にならない英語とでは、話す言語によって自己主張の度合いも違っていた。しかし、これは言葉の持つ特性だけではなく、「自分を主張するよりも周りとの和を重視する日本の文化」と「自分の意見・主張をしないと認められないアメリカ、あるいは国によって程度の差こそあれ一般的な欧米の文化」の違いによるところも大きいと思う。言葉と文化、どちらが先かと言えば、ニワトリと卵の関係とも言えるが。

むしろ三つ目の言葉を話すようになって楽しいのは、三つの言葉の音を比較できるからだろう。勿論、英語とフランス語は似てる言葉がたくさんあるから、それを知るのも楽しいが、使う言語が増えればそれだけ音の世界が広がるような気がする。それぞれの言語には使っている音の周波数があるから当然のことなのだが、今私が感じるのは、音だけでなく言語のもつエネルギーということだ。各言語には各々のエネルギーがあるはずだが、今までそれをうまく人に説明することができなかった。

しかし、今日 「水は答えを知っている2」(江本勝著、サンマーク出版)を読んでいると私のうまくできない説明を見事に表してくれている写真に出会った。世界中でベストセラーになったこの本は、水に言葉を見せて水のつくる結晶を写真に撮ったもので、「ありがとう」という言葉を見せると美しい水の結晶ができ、「ばかやろう」という言葉を見せると結晶はぼろぼになる。つまり、体内の70%が水である私たちも、使う言葉により大きく影響を受けるというのを証明しているのだが、今回私の目をひいたのが同じ「ありがとう」という言葉でも、マレー語、ダガログ語、ポルトガル語では結晶が違うのだということだ。三つとも美しい結晶だが、形は違う。つまり、言語のもつエネルギーの違いがあるということだ。

おそらく今私はフランス語の持つエネルギーや音の世界が好きなのだろう。そういえば、中学一年の初めての英語のクラスで英語の響きに魅せられて、「先生みたいなきれいな英語を話せるようになりたい!」という思いが私をアメリカまで連れて行ったのと同じだ。いつかまた違う音の世界に引き寄せられるのだろうか・・楽しみだなあ。