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Muddy Waters - Rolling Stone

2019-09-24 16:52:58 | 音楽批評

今回は、音楽記事です。

 

このカテゴリーでは、以前ジミ・ヘンドリクスについて書き、次回はマディ・ウォーターズのことを書くと予告しました。

そこから別カテゴリーの記事がはさまりましたが……いよいよ、予告していたマディ・ウォーターズの記事をアップしたいと思います。

 

マディ・ウォーターズは、フーチー・クーチー・マンなどでも知られるアメリカの伝説的ブルースマンです。

 

出身は南部ですが、シカゴブルースのレジェンドとして知られています。

 

それは、「都市の洗練された音楽」になっていたブルースに、南部の泥臭さを持ち込んだためともいわれます。

 

工業都市であるシカゴでは、ブルースが、いつの間にか高級な音楽になってしまっていた。

そこへ、マディ・ウォーターズのブルースが一種の原点回帰をもたらしたというわけです。

 

では、ブルースの原点とは何なのか?

 

これはなかなか難しい問いでしょうが……ブルースの源流をたどっていくと、一つのルーツとして、ワークソングがあるといわれます。

 

たとえば、ブルースの歌詞には同じフレーズを2回繰り返す表現がよく見られますが、これはコール&レスポンスの名残ともいわれます。

 

労働者たちが、労働の合間に歌を歌う。

一人があるフレーズを歌うと、周りにいる仲間たちが唱和して、そのフレーズを繰り返す。

これが、コール&レスポンスです。

ワークソングの流れを汲むブルースの歌詞にも、それが入り込んだ。しかし、ブルースシンガーの場合はそれを一人で歌うので、合いの手(レスポンス)が入らない。そこで、一人で同じフレーズを2回繰り返すようになった……というわけです。

 

つまりブルースは、労働者の歌であり、労働者の悲哀がそこに込められているのです。

 

20世紀初頭、都市労働者という階層が形成されたのと同時に、世界中の都市に労働者階層の大衆歌が形成されましたが、アメリカにおいてはブルースがそれにあたるといわれます。

 

ところが、そうした音楽にも、時がたてば“疎外”が生じる。ブルースも、音楽として洗練されていきます。

それ自体は、音楽の流れとして当然のことです。

しかし、洗練されたお洒落な音楽になったのでは、魂が消えてしまう。労働者の苦悩や辛酸が感じられなくなる。

そこへ、南からマディ・ウォーターズがやってきた。

野卑で、猥雑なだみ声――洗練によって失われてしまった魂がそこにあった。ゆえに、シカゴの労働者たちにとっては、「これこそブルースだ!」となったのでしょう。

こうしてマディ・ウォーターズは、歴史に名を残すブルースの巨人となりました。

 

そのブルースは、ロックにも大きな影響を与えています。

ビートルズの Come together の歌詞に出てくる muddy water という言葉は明らかにマディ・ウォーターズを意識したものであり、また、ロッド・スチュワートは「ありがとう、サム、オーティス、マディ」と歌い、サム・クック、オーティス・レディングと並べて彼を讃えました。マディ・ウォーターズの代表曲の一つであるRollin' Stone が、雑誌のタイトルとなり、またローリング・ストーンズのバンド名の由来となったことはあまりにも有名です。

 

で、そのRollin' Stone です。


 
なにぶん、だいぶ古いので、こういうベストアルバムのような形でしか音源は手に入らないんじゃないかと思われます。

しかしながら、YouTubeには公式チャンネルがありました。

 その動画も貼っておきましょう。

Muddy Waters - Rolling Stone(Catfish Blues) (Live)

 

以前ジミヘンの記事で書いたとおり、Catfish Blues という曲がもとになっています。人によっては、同じ曲として扱う場合もあるようです。この動画でも、カッコ書きで Catsifh Blues としてます。昔の歌は、歌詞の一部が変っていたり、同じ曲が複数の違うタイトルで紹介されていたりすることが結構あるので、そういう意味で同じ曲ととらえているんでしょう。

ブルースの歌詞は結構そういうところがあって、この歌も、Catfish Blues と共通するところがあるかと思えば、フーチークーチーマンや、あるいはジミヘンの Red House と歌詞の一部が共通していたりします。そういうところからすると、Catfish Blues と Rollin' Stone は同じ曲とはいえないんじゃないかと個人的には思ってます。

しかしまあ、ブルースにおける歌詞というのは、雰囲気を作るぐらいのものであって、さほど厳密に扱われてはいなかったんじゃないかとも思えます。

要は、パフォーマンスいかんというところでしょう。

この曲では、マディ・ウォーターズのだみ声があますことなく響き渡ります。ライブの動画では、録音音源ほどではありませんが……しかし、粗野で猥雑といえば、これ以上のものはないでしょう。それは、歌詞についてもいえます。Catfish Blues と同様、この歌でも間男というモチーフが歌われるのです。

黒人=絶倫というステレオタイプが古くからありますが、ブルースはそのイメージを取り入れているところが多分にあります。同じマディ・ウォーターズでいえば、フーチークーチーマンがその最たるものでしょうが、Rollin' Stone も同系統にあるといえるでしょう。差別を受けている黒人が、白人から投影されたイメージをみずから演じる――という、屈折した構図がそこにあります。

そして、それを白人が真似するというさらに屈折した構図がロックンロールにあるというのは、これまでにも指摘したとおりです。

で、最初の本格的白人ブルースシンガーといわれているのがエリック・バードンなわけですが……やっぱり、聴き比べてみると、マディ・ウォーターズとはずいぶん違います。なにかこう、声が響いてくるその元栓の部分からまったく違うような気がします。ジャズの世界でよく「黒っぽい音」とかいいますが、そのフィーリングに通ずるものでしょうか。どうやったって、こんなふうに歌えるわけがねえ……というコンプレックスのようなものが、後のロックンローラーたちにはあったわけですね。

 

 

ちなみに……

 

恒例の我田引水となりますが、この Rollin' Stone は、トミーゆかりの曲でもあります。

このブログで何度か紹介してきた、連作短編集『トミーはロック探偵』のなかに、この曲を題材にした短編がありました。

 

……というわけで、ジミヘン記事に引き続いて、強引に自作に寄せていく荒業でした。



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