ロック探偵のMY GENERATION

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『ゴジラVSキングギドラ』

2020-05-09 19:08:24 | 映画

 


 

今回は、映画記事です。

長いこと寄り道をしていましたが、ここでひさびさにゴジラシリーズに戻って、シリーズ第18作『ゴジラVSキングギドラ』について書きましょう。


 

 

公開は、1992年。

これは、東宝創立60周年記念にあたる年です。そのアニバーサリーイヤーにふさわしく、スケールの大きな作品となっています。

例によって、予告の動画を貼り付けておきましょう。

 

 
【公式】「ゴジラVSキングギドラ」予告 ゴジラがキングギドラと1対1の闘いを繰り広げる唯一の作品。ゴジラシリーズの第18作目。

福岡の人間としては、自分の行動範囲内にある風景が出てくる面白さもあります。アクロス福岡や天神愛眼ビルなど、登場する建物から、ああ、あのへんをこういう経路で移動しているんだな、ということがわかったりして楽しめます。当時完成したばかりの福博であい橋や、福岡タワーなども登場。

また、福岡以外にも、広島や札幌も出てきて、ご当地ネタが盛りだくさんです。さらに、最終決戦は新宿都庁が舞台となります。
こうして日本各地を舞台としていることについて、大森一樹監督は「営業の関係」と冗談まじりに語っていますが……実際のところはどうなんでしょうか。

ともあれ、その全国大都市めぐりのなかでも最初に出てくるのが福岡であり、福岡襲撃の部分は分量的にも多いように思えます。
ということで、この作品に登場する福岡の各地がいまどうなっているのか、見てきました。(※画像は、去年の暮れに撮影したもの)


まずは、福岡都市高速。
 

キングギドラが最初に登場するとき、この上空を飛んでいます。
 


こちらは、中洲を望む西中島橋からみた風景です。
橋の上に突き出した展望台のような場所があり、おそらく映画のシーンもそこから撮ったものと思われます。
当然ですが、その当時と今では、川沿いに並ぶ店などまったく入れ替わってしまっています。
 
そして、旧福岡県公会堂。

フレンチルネサンスの洋館として重要文化財に指定されていて、現在でも映画撮影当時のまま残っています。ただ、周辺は整備されてだいぶ様子が変わっていますが。

そして、その近くにある福博であい橋。 

映画撮影当時、できたてでした。この橋も、おそらく撮影時と変わっていません。映画では上空から見下ろしたところも映ります。
 

こんなふうにみてくると、この映画が名所紹介的な要素も色濃く持っていることがわかるでしょう。


ではここから、映画の内容に入っていきましょう。

まず、キャストについて。

主人公を演じるのは、豊原功補さんです。
この方は、前作『ゴジラVSビオランテ』にもちらっと出ていました。
主要人物の一人として登場する佐々木勝彦さんも、同様です。
ただし、豊原さんはともかく、佐々木勝彦さんはかなりわかりにくいです。私も、三回ぐらい見返して、はじめて気づきました。
もう少し補足すると、佐々木さんは、かつて『ゴジラ対メガロ』や『メカゴジラの逆襲』にも登場していました。今回は、恐竜を研究する教授の役で登場。その名前が「真崎」で、にやりとさせられます。

また、新藤会長には土屋嘉男さん。この方も、ゴジラ常連です。
土屋さんがひさびさに登場したのも、やはり東宝60周年ということがあるのかもしれません。

そんなふうに考えると、アニバーサリーを意識しているんじゃないかという趣向が他にもいくつかあります。
たとえば、冒頭のシーンに登場する深海探査艇。
ここで使われているミニチュアは、東宝特撮史に残るディザスタームービーの金字塔『日本沈没』に登場した深海調査艇「わだつみ」です。
さらに、作中に登場する潜水艦は、84年版『ゴジラ』に出てきたソ連原潜を使っています。
これらは、ただの流用ではないのかもしれません。東宝60年ということで、過去の名作に登場したメカをオールスター的な感じで出しているんじゃないか……そんなふうにも思えるのです。

アニバーサリー記念作というのは、ストーリーにもあらわれているかもしれません。

この作品ではタイムスリップが出てきますが、それによって過去から未来にいたる260年というスケールの話になっています。地理的にだけでなく、時間的にも相当な広がりがあるのです。


そのうち、“過去”の部分では、太平洋戦争が描かれます。

先述したとおり、23世紀から未来人がタイムスリップしてきますが、彼らは、ゴジラによって壊滅させられる日本の未来を語り、それを避けるためにゴジラを消滅させることを提案します。ラゴス島なる島にいる恐竜ゴジラザウルスが核実験の放射能を浴びてゴジラになるというので、そのゴジラザウルスを別の場所にワープさせるのです。

タイムマシンが出てくるということで、タイムトラベルものにありがちな矛盾点がいろいろと指摘できるわけですが……そもそも過去作との関連を考える必要があります。

第二期シリーズにおいては、第一期の『ゴジラの逆襲』~『メカゴジラの逆襲』にいたるまでの作品はなかったことになっていますが、そうであったとしても、第一作『ゴジラ』は前提となっていて、そうなると、ここで対象となっているゴジラは2匹目ということになります。
つまり、第一作の最後で語られる、「あのゴジラが最後の一匹とは思えない」というせりふどおりに二匹目がいるという話なのです。二匹目がいるのなら、三匹目、四匹目がいてもおかしくないということになるわけで……そもそも未来人の計画自体が無意味なんじゃないかという気がしてきます。

しかし、経緯がどうあれ結局ゴジラが出現してしまうというのは、核の脅威を冷めたアイロニーとして表現しているともいえるでしょう。
核というものが世界中に拡散した時代ならば、どこに恐竜をワープさせようがゴジラは出現する運命だったのです。
ここをとらえて、「愚かな時代……救いようのない原始人どもだ」と未来人ウィルソンはいいます。核というテーマをこういう切り口で描いたところは、この作品の評価ポイントでしょう。

で、話を戻して、過去へのタイムトリップですが……

その行く先は、先述したとおりラゴス島。
太平洋戦争当時日本軍が駐留していたという設定で(実際には、存在しない架空の島)、タイムスリップした先の過去世界では、米軍との激しい戦闘が起きています。ゴジラザウルスが米軍を撃退したおかげで生き延びた新藤(土屋嘉男)が、復員して、戦後日本の経済復興を支えたということになってます。

その筋立てからすると、太平洋戦争から、経済大国となった戦後の日本――その五十年の歴史を俯瞰してもいるわけです。
作中キングギドラが広島を通過する場面では原爆ドームが画面に映り込んでいますが、ここにも戦後日本を俯瞰するという企図が読み取れるように思えます。


あの戦争はなんだったのか。そして、その戦争が終わって五十年の日本の経済的繁栄はなんだったのか――東宝60年記念というところで、そういう壮大なスケールを出してるんじゃないかと思えます。

ちなみに、戦時中にタイムトリップしたところでは、「スピルバーグの父親」が出てきたりもします。
これも、SF映画というものへの愛の表現なのでしょう。それにしても、そのスピルバーグの父親役がケント・ギルバートというのがまた複雑な気持ちになってくるんですが……


さて、過去の話はこれぐらいにして……
ここで、“未来”という点に着目してみましょう。

バブル崩壊や、冷戦の終結といった、その当時の“現代”からみえていた未来は示唆的です。
バブルの余韻は、ヒロインの眉毛の太さなどにあらわれているわけですが……作中で語られる未来も、かなりバブリーです。

未来人たちが語るところによると、未来の日本は世界でも突出した経済大国となり、世界各国の土地を買収して、米中ソを超える超大国となっています。
……まあ、そういう時代だったということでしょう。バブル期の日本では、今から考えるとトンデモなことがいわれいたんです。
しかし、未来人の干渉によって、この未来も変化します。いろいろな紆余曲折を経て、結局ゴジラが出てきて日本は崩壊。時間軸が変更されたあとの23世紀の日本は、「繁栄に溺れ、怪獣に滅ぼされたとるに足らない国」と評されています。
この展開は、現実の日本を待つ未来を無気味に予言しているようにも聞こえるのです。
もう一度福岡の話に戻ると、最初にキングギドラが福岡を襲撃するシーンで、九州銀行という銀行を破壊する場面が出てきます。
福岡に行ったときに周辺を探し回ってみたんですが、この九州銀行なる銀行は、今はもう存在していませんでした。調べてみると、バブル期に作った負債がバブル崩壊後に重くのしかかり、経営再建しきれずに消滅してしまったということです。そんなところでも、この映画は予言的だといえるんじゃないでしょうか。

また、もう一つ「冷戦の終結」という時代背景も見逃せません。

本作では、敵味方が目まぐるしく変化します。
人類の脅威であったはずのゴジラが消滅し、すると今度はキングギドラが新たな脅威として登場。そこへ、あたかも人類の希望であるかのようにゴジラが登場して、そのゴジラがキングギドラを倒すと、今度はゴジラが脅威となる。そして、そのゴジラを倒すために、キングギドラをサイボーグ怪獣として復活させ……という具合です。
キングギドラが、メカに改造されてとはいえ、ゴジラから人間を守る側につくというこのコペルニクス的転回……敵・味方という構図自体が流動化していくポスト冷戦期の世界を暗示するようでもあります。
そういった点でも、『ゴジラVSキングギドラ』は時代を映し出しているのです。


ここで、キングギドラという怪獣についても書いておきましょう。

アニバーサリーということでいえば、キングギドラという怪獣も、まさにアニバーサリーにふさわしい存在です。

ゴジラシリーズに登場する怪獣たちのなかにも花形怪獣というのはいて、キングギドラはそのなかでももう鉄板なわけです。
『地球最大の決戦』で鮮烈なデビューを果たして以来、ゴジラと幾たびも死闘を繰り広げ、その見た目のインパクトも手伝って、ゴジラ最大のライバルという位置づけになりました。
キングギドラが登場した作品は、興行的に失敗することがありません。
第一期の『ゴジラ対ガイガン』や、第三期の『ゴジラ×モスラ×キングギドラ 大怪獣総攻撃』のように、浮揚効果を持っていると思われます。
(FINAL WARSに出てくるのは「カイザーギドラ」という別種なので、含まない)
それは、第二期でもそうでしょう。前作『ゴジラ対ビオランテ』はぱっとしない成績でしたが、キングギドラが登場した本作では、観客動員数が大幅に増加しました。これ以後の第二期シリーズ作品は軒並み好成績を残していますが、その足がかりは本作で作られたともいえるんじゃないでしょうか。

さらに本作では、サイボーグ化し、メカキングギドラに。



メカになったのは、キングコング、ゴジラに次いで3例目。
ここからも、キングギドラが東宝怪獣の中で別格の存在であることがうかがえます。

余談ながら、『ゴジラ対キングギドラ』撮影時のキングギドラの三本首は、左から順にイチロウ、ジロウ、サブロウという名前がつけられていたそうです。


真ん中の首はゴジラとの戦いでちぎれてしまうことから「ぶっとびジロウ」という名前も与えられていたとか。
そしてそれがメカキングギドラになると、「メカジロウ」となります。



なかなかなネーミングセンスですが、おそらくは撮影のためにそのような名前を必要としたのでしょう。キングギドラは操演が多く、特にメカキングギドラは中に人が入ることができないため、完全に外からの操作。ワイヤーを使って20人ぐらいで操作していたといい、そこに指示を出すために名前をつけたものと思われます。「お前、今日イチロー担当ね」とか、「はい、そこでサブロー左向いて!」みたいな感じでやってたんじゃないでしょうか。これはあくまでも想像ですが。
こういう飛行怪獣は今ならフルCGということになるんでしょうが、この当時のCG技術ではキングギドラを表現するのはとうてい不可能でした。それは、この作品にときどき出てくるCGをみればよくわかります。ゴジラ作品が本格的にCGを取り入れるのは、ミレニアムシリーズになってからのこと。ただ、このあたり、“昔ながらの手法”にこだわって新しい技術に乗り遅れる日本の悪弊を象徴してるようにも思えますが……

最後に、音楽にも触れておきましょう。

本作では、また伊福部昭が音楽担当に復帰します。
第一期の最終作である『メカゴジラの逆襲』以来、16年ぶりに伊福部音楽がゴジラワールドに戻ってくるのです。
時代が変り、映画音楽にもとめられることもだいぶ変わってきていたと思いますが、伊福部サウンドは健在です。

伊福部起用も、やはりアニバーサリーということがあるからだったんじゃないかと思えます。
映画音楽を手掛けること自体が13年ぶりだったそうですが、やはりそれだけ、この『ゴジラVSキングギドラ』には力が入っていたということなんでしょう。

録音では、実際に映画の画面をスクリーンに映しながら録音するというハリウッド式の手法が使われたそうです。

未来人が出てくるという話なわけですが、そのあたりの音楽では、電子楽器のようなものは使わずにビブラフォンが使われています。
宇宙人とか未来人的なものをビブラフォンで表現するとなると、そこはかとなく昭和臭が漂ってきて……ここにも、CGと同根の問題があるかもしれません。
多分に“頑固な職人気質”みたいなものがあって、CGなんかに頼らずにワイヤーで怪獣を操作する、電子楽器は使わずにビブラフォンというアナログ楽器で“未来”を表現する――ということなんでしょう。

気持ちはわかります。
私自身も、結構そういうところがあります。

しかし、先述したように、それは日本という国が世界の潮流から取り残されていく原因なんじゃないかとも最近は思ってます。
CG技術で比較すると、1997年に公開されたハリウッド版『GODZILLA』の段階で相当な差をつけられている気がします(映画の内容は別として)。
昔ながらのやり方に固執して技術革新に乗り遅れるというのは、ちょうどこの映画が公開されてから今にいたるまでの30年ぐらいの日本でずっと続いてきたことなのではないか――とすると、『ゴジラVSキングギドラ』という作品は、バブル崩壊から衰亡に転じていく時代の日本を、図らずも切り取っているといえるのかもしれません。

《追記》
アニバーサリー大作ということで、私も結構いろいろ調べたり画像を撮影したりしてこの記事を書きました。そのために、前のゴジラシリーズ記事からだいぶ時間がかかったわけですが……その数か月の間に、コロナ禍という予想もしない事態が進行していました。あらためて見返してみると、まるで去年福岡市で画像を撮影していたのが遠い過去のように思えます。
いまの視点から『ゴジラVSキングギドラ』をみると、いっそうその預言性が高まっているようでもあります。この映画においては、道を誤ってしまった日本にもう一度やり直すチャンスが与えられることになりますが……はたして現実の日本はどうでしょうか。