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マウンテンドームアドベンチャー 白ヒゲおやじのエッセイ

この日記は1990年から数年間、高聴取率を誇り本にまでなった人気FM番組の20周年記念としての復活版である。

鬼退治ボックス

2019年11月27日 | Weblog
 あおり運転が社会的な問題となる中、岡山県警は危険な運転の写真や動画提供を受ける専用ページを県警のホームページ内に開設した。
 県警によると、ネットで動画提供を求める取り組みは全国で初めて。
 専用ページの名称は「岡山県 あおり110番 鬼退治ボックス」。
 情報提供者は専用の入力フォームに危険運転の内容や写真・動画の有無などを記入して送信する。
 県警は情報の内容を調べて、悪質な場合は捜査し、指導警告も行う。
 交通指導課の担当者は「高速道路などで危険運転の被害にあった県外の方からも、より簡単に情報提 
 供を受けられるようになる。
 あおり運転を現在受けているなど緊急性の高い場合は、110番通報をしてほしい」と話している。
【以上、岡山県警関連のHPより】

岡山県警はやるねー。「あおり運転鬼退治ボックス」というキャッチもいい。待ってましたあ、である。
他の県も右習えして欲しいものである。

私も一年ほど前の淡路道で、一台のシャコタン車が、けたたましくクラクションを流し続けてフアミリーカーをあおり続けるのに遭遇したことがある。なんであんなことやるのか理解できない。ただでさえ狭い日本、そんなに急いでどこ行くの、だ。

幸いにも私はあおられた経験はない。
フルサイズのアメ車に乗り続けているせい(?)かも知れない。

薪ストーブの季節到来

2019年11月25日 | Weblog




とうとう薪ストーブを出した。
温風ヒーターなんかとは違ってやっぱりあったい。
炎が見えるから見た目にもあったかい。

寒くなると誰もがストーブを囲む。
囲炉裏も囲む。
会話が弾む。
酒もすすむ。
山郷の宿ならではのことかな。

今や、街中では薪ストーブのブームが続いているようだが、その薪ストーブについての相談を受けることも少なくない。
しかし薪ストーブを使うには覚悟がいる。
憧れだけでは使えない。
一つは排煙がうまくいかなければ煙で逃げ惑うことになり、部屋中がスモークになるのを覚悟しなければならない。
もう一つは、薪の確保が容易ではないからである。ホームセンターなどで売ってはいるが高値くつく。
等々がクリアーできればやれるだろう。

薪ストーブ導入を考えている人は遠慮なくご相談ください。

当方には薪割りに挑戦する宿泊客もいます。
貴方も体験してみませんか。

許せない野良猫

2019年11月20日 | Weblog




娘が飼っているウサギが、この一週間で一羽ずつ、合計三羽もいなくなった。
ホーランドロックが一羽、ミニウサギが二羽、そのうちの一羽はお産間近だった。
夏の終わりまで計10羽もいたのが一羽ずつ、姿を消して今では5羽になってしまった。

そもそもが娘の小学校入学記念にとミニウサギ一羽を飼い始め、それが四年生になった今、10羽まで増えていた。
屋外の小屋で飼っていたために、もしかしたら逃亡したのか、はたまたカラスやイタチにさらわれたのか・・・と想像を巡らせてみたものの、敷地内に住むアナグマとも仲良く遊ぶのに、これがという思い当たる節がない。

ところがそんな今朝、ウサギ小屋で娘の悲鳴が聞こえた。
大きな野良猫がウサギ小屋から飛び出し逃走したという。
高さ120センチものフェンスで囲い、よしずの屋根で囲っていたにもかかわらず、ほんのわずかな隙間から・・・。
油断もスキもあったもんじゃない。

早速、今日一日かけて小屋の改修工事を完了した。
さてこれでどうなるか。今夜から野良猫との闘い開始だ。

私は半世紀前に梶芽衣子主演の「野良猫ロック」という映画にギターを弾いて出演したことがある。

笑い話の一つ

2019年11月18日 | Weblog




いつものことだが紅葉シーズンになると高齢者の見物客が増える。
そのお客さんたちが日が落ちるとともに帰路につく。
そんなとき、一人の中年男性がカフェに現れた。

話に聞くと、30年ぶりに訪ねてきたという。
「昔、おられた白ひげさんはもう引退されたのですか?」
ときた。
私がそうだというと、
「えっ、僕が学生の頃、お会いしたのは70才くらいだったのでは?」
と返ってきた。
時折ある笑い話の一つである。

私は当施設を建設し始めたのは38歳のとき。その時のわずか二か月間であっという間に髪とヒゲが真っ白になってしまった。
以来、年齢を問われる度に面倒くさくて「70才」で通してきた。
それが今や真の70才超えだが、彼の想い出の中では100才超えだったようだ。凄い話である。
「また来ますから、これからもお元気でいてくださいね」
で記念写真と握手で帰途に就いた。
彼は今、小学校の教員だそうだ。

しかしまあ、なにはともあれ、30年も前のお客さんが逢いに来てくれるというのは感慨深いものがある。

◆大昔の白ヒゲおやじ

紅葉真っ盛り

2019年11月17日 | Weblog




ここ柏原渓谷は県内屈指の紅葉の名所。
今は紅葉真っ盛り。
珍しいところでは暖かい秋のせいか15年目の百日紅の葉が初めて赤く染まっている。
ナンテンの赤も、さざんかの赤も、ナナカマドの赤も。
黄色くなったケヤキや黄モミジ。
中でも廃校に立つ大イチョウは必見ものである。

◆写真は15年目で初めて赤く染まっ百日紅の紅葉

ヒゲ特集

2019年11月11日 | Weblog




 私が国内最大級と騒がれたログペンションの建築を開始したのは38才のとき、その途中のわずか二か月間で私のヒゲと髪は白くなってしまった。以来、古稀を過ぎた現在まで「白ヒゲおやじ」で通してきた。
その間、訪れるお客さんの老いも若きもが「ヒゲ」を画くのが流行りになっていった。

 そもそもは、出身地も職業も言葉も異なるお客さんたちが、年齢も上下関係も取り払い、
人生相談や、ログハウス建設とか、自然の中の生活とか、どうして若くして白ヒゲおやじになったのか、
などなどを話題にして和気藹々と盛り上がる非日常を体験しようとする目的からヒゲ仲間が増えていったのである。

 そのヒゲ画きも今では懐かしい思い出の一つである。
 試しにあなたも画いてみてはどうですか。

ペットと泊まれる宿

2019年11月09日 | Weblog




当宿の創業開始は32年前の1988年。瀬戸大橋架橋の年である。
間違ってもペットを連れて旅をするような時代ではなかった。

そんな当時、シェルティー同伴でよくお泊り頂いた某創作舞踊研究所の先生ご夫妻がいた。
四季を通じて、可哀そうにも愛犬はいつも車中泊。
それを見かねた私は、このご夫婦用に・・・と、全国でも稀なペットと泊まれる第一号コテージを造ったのである。
-ところがなんと、
「白ヒゲさんのご好意はありがたいですが、私たちが好きで来ている県内唯一の手つかずの自然界に、
 いくら子供同然の愛犬といえども、このこの毛一本、落としたくない」から、とノーサンキュー。

-以後、ご主人が亡くなられるまで、その愛犬はいつものナップサックから首だけ出して、そして尚且つ、車中泊を続けた。
そんなご夫妻だから、他の客が目覚める前に散歩する。喧しいワンキャンなど一度も聞いたことがなかった。
これが当宿のペットと泊まれる宿のスタートとなったのである。
今やこんな◎客は皆無である。

ペット同伴旅行も、ハスキー犬から始まってゴールデンやラブを経て、今や小型犬の「お犬様」の時代になってしまった。
「最近、ペットと泊まれる宿が少ないですねえ」の声を聞く度に、
「ワンキャンもひどいけど、糞の始末もできない愛犬家が激増したためペットと泊まれる宿が激減しているんですよ」というと、
「へえーっ、そんなマナーの悪い人がいるなんて信じられない」と返ってくる。
その度に、「そういうあんたも・・・」と、言い返したいのを我慢して口にチャックして耐えている。

ちなみに当宿はペットOKの部屋とNOの部屋に分けているので、ペットのいないお客様は安心してお越しください。

◆写真は当宿の歴代の看板犬たち

成城大学軽音楽部卒?

2019年11月02日 | Weblog
先日、グーグル検索の途中、偶然にも「白ヒゲ親父の痛快人生ー母ちゃんゴメン」に出くわした。
白ヒゲ本が出版されたのは2000年のこと。もう20年近くも昔のことで書いた本人すら忘れかけていた。
当時、某コンテストで受賞し、出版の夢がかなったという幸運な経緯がある。

現在もグーグル上で紹介されている著者白ヒゲ親父のプロフィールは「成城大学軽音楽部卒」とある。
本当は「成城大学経済学部経営学科卒」であるが、学生時代はギターに夢中になり、軽音楽部の部室がホームグラウンドだったため、
ジョークのつもりで「軽音楽部卒」と入れたら、東京のある購読者から「成城大学には軽音楽部なんてありません」とクレームが来たことがあった。
本を読めばわかるだろうに・・・というのも、今振り返ってみれば白ヒゲの身勝手で度を越したジョークだったかも・・・と反省している。