マウンテンドームアドベンチャー 白ヒゲおやじのエッセイ

この日記は1990年から数年間、高聴取率を誇り本にまでなった人気FM番組の20周年記念としての復活版である。

サバイバル・ツール

2009年01月27日 | Weblog
 バイトのミクが成人式を向かえたとき、お祝いプレゼントをあれこれ考えた末に、彼が工業高校電気課出身ということから「ペンチやドライバーつきのサバイバルツール」をプレゼントしようとホームセンターに行った。
 ところがお目当てのものが見当たらない。店員に問うと「秋葉原の殺傷事件以来、ナイフは販売中止にした」というではないか。
 しかし、それは刃物+狂人という組み合わせが最悪の事態を招いたことではないか。ましてやサバイバルツールといえばアウトドアースポーツの一環として逞しい人間作りに貢献できる素晴らしい小道具の一つである。それさえダメというなら調理用の包丁でさえ売れなくなって当然。
 今や、アレはダメ。これもダメ時代。なんともおかしな情けない世の中になったことか。
 そんな矢先に、いつものごとく突然、エコさんが現れ、長年愛用していたサバイバルツールを3丁も置いていってくれた。私の愛用品は米国スワットの爆弾処理班が使っているアルマーという不滅の名器であり、これでエコさん愛用の高級レザーマン他と合わせて白ヒゲコレクションに合計4丁勢揃いとなった。

 昔こんなことがあった。教員レスラーの結婚祝いに何がいい? ときいたら、「バックのナイフが欲しい!」ときた。結婚祝いに刃物? と、ためらってもみたが、男児誕生を祈願して名器を一丁をプレゼントした。
 そのご利益あってか、彼は見事、愛らしい女児を二人も授かった。

 も一つついでに、みなさんは大昔、登山用ナイフを購入するにも、四輪駆動車を購入するにも身元証明を書かされていたのをご存知かな。

 ナイフやサバイバルツールを持つのは男のステータスだ! 

 ―写真はナイフのご利益があったレスラー家族―

ゴロワーズ

2009年01月25日 | Weblog
 昨年暮れからパイプ片手の禁煙をかろうじて続けてはいるが、時としてどうしても吸わないではいられない状況下に陥ることがある。
 先日、大阪からやってきた団塊世代のお客さん夫婦の相手をしはじめたときに例のパイプを咥えたら、
「カッコいいですねえ」ときた。照れ半分に慌てて、
 禁煙中なんですよ、と言い訳しながら、つい1本咥えてしまった。すると、
「それ何てタバコです?」とまた返ってきた。
 ゴロワーズっていうやつです。
「えっ、あのフランスの? 世界一旨いという?」。
 それはどうか・・・。
「1本、いいですか?」。
 どうぞ、どうぞ。肺ガンになるくらい吸ってよぉ。
 「私、五木寛之の大フアンなんですが、これしか吸わないらしいんですよねえ、彼も」。
 へえーっ、そうなんですかぁ。大昔、ムッシュかまやつの歌にあったのは知ってたけど、あの五木さんも吸っていたとは・・・。

 ―その後、意気投合した2人の結末は、ゴロワーズとビールとワインと焼酎でベロンベロン。趣味はエレクトリックサキソフオンときいた。実におもろいドクターだった。

 ―MEMO― かまやつひろしの「我が良き友よ」のB面に「ゴロワーズを吸ったことがあるかい?」という曲がある。「ほらジャンギャバンがシネマの中で吸ってるやつさ」と歌っている。オレはA面より名曲だと思っている。
(注)ゴロワーズはその辺のタバコ店では扱っていない。赤箱と青箱の二種類があってオレは青箱のフアンである。

オレ→私

2009年01月24日 | Weblog
 昨夜からの風雪はこの冬一番とのこと。おかげで今朝からバリバリの白銀の世界。この雪は明後日の月曜日くらまで降るという予報だ。

 このところブログの書き込みが減っている。寒いからか。景気が悪いからか。
 ところで現在書いているブログもそうだが原稿らしきものを書き始めてまる20年になる。その間ずうっと「オレ」で通してきた。それは「白ヒゲおやじ」=「無骨な山男」のイメージ狙いできたからである。
 昔から「オーナー」、「社長」と呼ばれるのは似合わないし柄でもない。「おっちゃん」、「おやじ」、「とうちゃん」、「クソおやじ」、「ヒゲちゃん」が相応だろう。
 そんなことはどうでもいいけど、今や「オレ」は麻生、オバマは「We」の時代になった。よって白ヒゲの「オレ」は次回から「私」にでも変えて「ソフトなおじさん」路線にイメチェンしてみよう。

剥製

2009年01月21日 | Weblog
 昔、エコさんの知り合いが、二人目の若い嫁さんから「気色悪いから捨てといで」命令を受け、自らが六甲山系で仕留めたという鹿の頭の剥製を置いていった。以来、レストランの柱に掛けているものの、夜中にこれを見上げるとこの上なく気色悪い。オレだって何度、女房から処分命令が下りたことか。
 
 その直後のこと、バギーツーリング中の山中で一台の軽トラと出遭った。見ず知らずのおっちゃんから「マウンテンドームはどのへん?」と訪ねられ、何の用? と聞き返したら、「これ引き取ってもらおうと思って」。なんと助手席に大きな鷹の剥製を積んでいるではないか。即座に「聞くところによると、あそこのおやじは、そのてのものが大嫌いらしいぞ」と教えてやったらシブシブ引き帰していった。助かったぁ。

 そして先日また、ミクんちから熊の頭がついた敷物をもらったところが、これまたあまりにも古く汚い代物の上に不気味なことこの上ない代物ときた。よって近々、焼却処分する予定だ。

 ―かといってオレは正直、このてのものがまったく嫌いというわけじゃないから困る。その証拠に今年の年賀状の写真は昔、欲しくて欲しくて、女房に内緒で手に入れたアメリカ産のロングホーンの頭蓋骨であり、まことに綺麗な代物につき、現在もレストランに飾っている。

恒例の自作門松

2009年01月16日 | Weblog
 毎年、年賀状は手書きで門松は手作りと決めていたが今年の年賀状は前のブログでおわかりのように遅れ遅れで終わってしまった。しかし門松は自己採点80点の出来栄えだったと自負している。ちなみに制作実費は一対で¥1,500-ほどで済んだが、壊すのがもったいなくて未だに置いている。困ったやつだ。

 ―白ヒゲおやじ製作2010年用オリジナル門松をご希望される方はお早めにご注文ください―

無謀なペット同伴旅行

2009年01月14日 | Weblog
お正月も明けて「今夜くらいはゆっくりと」と思っていた矢先に「今夜、お願いします」と予約が入った。大型犬といっしょに泊まれるところはまれである。可哀想だと思って休み返上で予約を受けた。
 この次期になると「正月明けなら空いているだろう」で事前予約無しの、しかも大型犬連れの飛び込み客がときおり出てくる。オフシーズンのお客様はありがたいから少々のことは我慢してでも受け入れるのが悲しきこの商売。
 ところがどっこい、インした瞬間、車から飛び出て、飼い主を引っ張り回すし、オレ様に飛びつき、吠えまわるオ○カの肥満の大型犬ときたからクッソー! しかし後の祭りである。
 しかもそんなオ○カ犬だから当然、留守番なんてできっこない。よって食事もお風呂も一人ずつ交代という、宿泊施設にとっては迷惑極まりないことこの上ない。どこからも敬遠されて当たり前だ。
 昨夜は高速のSAで車中泊。燃料節約でエンジンは止めて氷点下の中、毛布一枚で夜を明かしたというから呆れた。明日からまた連続車中泊で高知、愛媛に向かうと聞いたがあまりにも無謀すぎるとは思わないか。
 今、外はこの冬一番の大雪が降っている。間違いなく明朝の積雪は10センチコースだろう。しかも先週末からの残雪で道路はアイスバーンだ。それをノーマルタイヤの普通車で高知や愛媛まで行くというが四国を嘗めたらアカンでよぉだ。

 やっぱり日本のにわかペット愛好家はおかしい。ここまできたらオレの手には負えない。大型犬を連れたお客様へ、無計画の予約無しはダメですよ。
  
 ―写真は雪で覆われた大型犬用の犬舎―

ガッキーズ誕生!

2009年01月10日 | Weblog
 お正月にこどもギターリストが集合した。

 大阪の中尾兄弟と神戸の福岡兄弟の4人だ。二組ともオレがギターをプレゼントした兄弟であるが、これに岸和田の武田兄弟を加えたら、とんでもないメンバーになること間違いなし。

 ギターよりもドレミのイロハから教えるのは大変だけど、中尾家にはギターが弾けるパパが、福岡家にはピアノが弾けるママが、武田家には楽器ならなんでもこいのパパがいる。ということは上達も早いということだ。

 写真を見てもらえればわかるだろうが、そのへんのガキッチョとは面構えも根性も一味違う。なにせギターを抱えたときの目つきがただものではない。

 彼らが6月ライブに出演したら、おっちゃんバンド「G―G―ズ」よりも「ガッキーズ」のほうが大受けするに違いない。マジでやつらの専属マネージャーやろうかなぁ。

タフな家族

2009年01月09日 | Weblog
 元旦に高知~高松間の高速道も国道も山間部の大雪で通行止めとなった。

 その日の昼前に「南国ICから太平洋側を回ってでも行きます」と、予約客から連絡が入った。「太平洋側を通るなんてとんでもない。よしたほうがいい」で電話を切った。
 タフで知られるお得意さんではあるが、これで当日のインはないだろうと半分諦めていたら、なんとぉ、南国ICから室戸岬を経て徳島の山中を突っ走って20時頃に辿り着いたから驚いた。車は凸凹。
 話によると、大晦日に大阪を出て土佐でサーフィンしていたというからとんでもなく元気なやつらである。つい最近までバギーで走り回っていたと思っていたら、いつの間にかサーフィンに。それも大晦日にだ。
 しっかし、今の時代に土佐から室戸岬を回ってでもきてくれる、こんなありがたい客がいるかぁ? その上「おっちゃんに逢いたくて」のセリフが効いた。

 だからオレは敢えていいたい。このとんでもないタフな家族とは、例の白ヒゲ好みのガキがいる大阪の中尾親子である。だけど正月早々、大感激だ。

新年早々、みなさん、ゴメン!

2009年01月06日 | Weblog
 年末になんだかんだと時間がとれず、一部の年賀状しか出せておりません。
現在、山と積んだ年賀状をボチボチ書き崩しておりますのでしばしお待ちを。
 ―で遅れた理由については今年また逢ったときにということで・・・楽しみにしといてください。

■お詫びのしるしにジャンボりえこちゃんからリクエストのあった「酔っ払い白ヒゲおやじのパイプ姿」を載せておきます。

2009年第一号

2009年01月05日 | Weblog
 マウンテンドーム・サポーターの皆さん、2009年明けましておめでとうございます。

 お正月早々、星の数ほどある日本酒の中から白ヒゲの独断と偏見で、讃岐の名酒アラカルトなるものをやってみよう。

☆ マウンテンドーム専属の酒屋の社長は、県内でもちょっと知られた商売人。その社長に、恐れ多くも「現金持参で仕入れに来い!」と偉そうにいう、県内でさえ知らない人もいるくらい小さな醸造元がある。これが白ヒゲが好んで呑む金毘羅の酒「凱陣(ガイジン)」である。

☆ マウンテンドーム建設当時のこと。毎夕、一羽の大きな鳥が敷地内の川原に舞い降りて来ていた。オレはてっきりアオサギだと思っていた。
 そんなある夕暮れ時、川に向かって立ち○ョンしているオレの目の前にそのデカイのが舞い降りて来たではないか。アレを掴んだまま身を凝らせて見ていると、ヤツの頭に赤いものが、そして白い羽根に黒いところもある。「カメラ!」と思った瞬間、飛び去って行った。
 夕飯時に「ツル・・・」と、ついぽろり。そしたら、「社長、知らんかったん? あいつ、毎日来とるよ」と仲間たち。知らなかったのはオレだけだったらしい。
 ―数年後、「川鶴酒造の社長が屋号にちなんで本物のツルを長年呼び続けていたら本物のツルが飛来した」という話を同酒造会社の役員さんから聞かされた。うちにやって来ていたのはそのツルだったらしい。
 当時、この酒造会社の社長令嬢は美人姉妹で知られていたらしいが、次女が元ミスユニバースというのもオレは知らなかった。

☆1990年頃の大晦日の夜のこと。カウンターで呑んでいる一人客に声をかけた。

どちらから? 「東京です」。
お仕事は? 「東大で・・・」。
げへっ・・・、と・東大の教授さん!? 「ええ、まぁ」。
香川に来られた目的は? 「アレが目当てで」。

 アレとはオレの後ろの棚に置いてあった長方形の木箱のことだった。

ご存知なんですか? 「ええ、恋焦がれたヤツなんですよ。売ってもらえますか?」。
 ・・・・・・。 「実は、品川にある行きつけの居酒屋の大将から、日本で三本の指に数えられる地酒が香川にあると聞いて」。
 ・・・・・・。 「いくらでもお支払いいたしますから」。
いやぁ、お金ではないんですよ。私も正月に親父へプレゼントしょうと・・・。  「そうだったんですかぁ」。
醸造元へは? 「今あるのは、ここの一本だけだそうです」。
・・・・・・。
 他の客の相手をしながら、独り淋しく酒を呑る彼の姿を見ているうちに、つい、棚の木箱を彼の前にドーンと置いてしまった。

 翌朝、彼は何度も頭を下げ、「昨晩、こいつを抱いて寝ましたよ」といい残し、木箱を抱えて東京に帰っていった。たかが酒、されど酒である。
 ちなみにこの綾菊酒造の大古酒とは、会津桐で作られた白木の箱に入った7年熟成の純米大吟醸のことであり、年間約100本の限定で、当時で1本3万円もする高価な代物であった。

 50年近く前の香川県下には50軒近くの酒造メーカーがあったときいたが、若い人の日本酒ばなれがすすんだ昨今は、それも3分の1くらいに減っているらしい。日本酒の能書きや楽しみ方は人それぞれ。オレの場合は地元綾菊酒造からもらい受けた4.5トンもある琺瑯びきの醸造タンクで手作りしたモモンガの湯に浸かり、雪見酒と洒落込むのが正月の恒例となっている。

―今ならそんな名酒が揃っております―