マウンテンドームアドベンチャー 白ヒゲおやじのエッセイ

この日記は1990年から数年間、高聴取率を誇り本にまでなった人気FM番組の20周年記念としての復活版である。

高木ブーさんとの想い出話

2022年11月12日 | Weblog
 先日、ドリフターズの中本工事さんが交通事故で亡くなったのを機に半世紀以上も前のある思い出話をしてみよう。

 あれは私が大学生のときのことだった。
番組名は覚えていないが、当時、赤坂にあったTBSの音楽番組の収録が終わったのはゼロ時過ぎ。

当時、私のGSのメンバーは東京っ子ばかりだったから問題なく自宅に帰れたらしいが、
地方出身の私は西武新宿沿線のアパートに住んでいたから大変だ。
電車もなければタクシー代もお金も持っていない。どうやって帰ればいいのか・・・。
 その時、「君、どこ? 乗ってけよ」
と、1台のタクシーの中から声がかかった。
 デビュー間もない無名に近いGSの新人に気安く声をかけてくれたのがドリフのメンバー高木ブーさんだった。
電車もなければタクシー代もない貧乏学生だった私は、渡りに船・・・で、タクシーに飛び乗った。

 道中のタクシー内で、「ギターやってたね。これでもれっきとしたギターリストなんだよ、僕も・・・。
好んでコミックバンドやってるわけじゃないんだよ。芸能界で生きていくのは大変なんだよ」。
こんな言葉をもらった。他にも会話はあったと思うが、この会話以外、覚えていない。
遠~い、遠~い大昔の思い出話である。
高木ブーさん、長生きしてくださ~い。



△写真は1969年第一回ヤマハ合歓の郷ポピュラーフェスティバルに出演した時。
左のギターを抱えているのが若かりし頃の私である。
▲後にポプコンは、全国のアマチュアミュージシャンがプロへの登竜門として参加したヤマハ音楽振興会主催の音楽コンテスト(1969年~1986年)。
1969年第1回開催から1973年の第6回と「グランプリ大会」開催まで合歓の郷で実施された(第1回から第3回までは「作曲コンクール」という名前だったが後にポプコンと位置づけられ、第4回大会から「ポピュラーソングコンテスト」に変更。1974年第7回大会から静岡県の「つま恋」に会場が変更された)。

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