GWが終わった途端、石川県が大きな地震騒に見舞われた。
本県香川県は、ほとんど災害がないところ。
中でも当方は、台風、雷、地震等の心配がいらないところである。
大型連休後、昼間は25℃、明け方は10℃くらいの晴天が続いている。
敷地内は緑一色。
聞こえるのは川のせせらぎと野鳥の声ばかり。
こんな時にこそ、起こしいただきたいものである。
●写真は敷地内を流れる県内唯一の清流綾川
本県香川県は、ほとんど災害がないところ。
中でも当方は、台風、雷、地震等の心配がいらないところである。
大型連休後、昼間は25℃、明け方は10℃くらいの晴天が続いている。
敷地内は緑一色。
聞こえるのは川のせせらぎと野鳥の声ばかり。
こんな時にこそ、起こしいただきたいものである。
●写真は敷地内を流れる県内唯一の清流綾川
国立岡山大学医学部の卒業記念サバゲ―があった。
男子×6名、女子×4名、総勢11名。
この数年来、呑んで騒ぐお別れ会の人気が薄れ、女子も参加し易いサバケー体験が増え続けている。
当方の初体験コースは、経験者をインストラクターとしてサポートさせている。ルールもしかり、事故防止のためである。
さすが、将来のドクターを目指すメンメンだけあって、ケガに対する注意事項は、きっちりと守ってくれていた。
「楽しかった」、「ストレス解消になった」、「いい想い出になった」etc.
みんな、いいドクターになってくれることだろう。
春になると、高校や大学の卒業記念サバゲーが増えて来る。その翌年の同窓会まで。
次はどんなチームが来てくれるのだろう。楽しみである。
男子×6名、女子×4名、総勢11名。
この数年来、呑んで騒ぐお別れ会の人気が薄れ、女子も参加し易いサバケー体験が増え続けている。
当方の初体験コースは、経験者をインストラクターとしてサポートさせている。ルールもしかり、事故防止のためである。
さすが、将来のドクターを目指すメンメンだけあって、ケガに対する注意事項は、きっちりと守ってくれていた。
「楽しかった」、「ストレス解消になった」、「いい想い出になった」etc.
みんな、いいドクターになってくれることだろう。
春になると、高校や大学の卒業記念サバゲーが増えて来る。その翌年の同窓会まで。
次はどんなチームが来てくれるのだろう。楽しみである。
長~い冬眠から冷めました。
今回の冬は-10℃越えの日が多く、水回りの補修に駆けずりまわっていた。
敷地内に梅の花も咲き始め、訪れる客も日増しに増え始めた。
特にサバゲ―客も冬眠から覚めたようだ。
GWの予約も、既に始まっている。
今朝のニュースで、「新生児誕生が80万人を下回った」、「大卒の初任給が40万円を超えた」、「生きている人からの臓器移植、いわゆる闇異色が発覚」などが流れていた。
さて今年はどんな一年になるのだろうか。
今回の冬は-10℃越えの日が多く、水回りの補修に駆けずりまわっていた。
敷地内に梅の花も咲き始め、訪れる客も日増しに増え始めた。
特にサバゲ―客も冬眠から覚めたようだ。
GWの予約も、既に始まっている。
今朝のニュースで、「新生児誕生が80万人を下回った」、「大卒の初任給が40万円を超えた」、「生きている人からの臓器移植、いわゆる闇異色が発覚」などが流れていた。
さて今年はどんな一年になるのだろうか。
先日、ドリフターズの中本工事さんが交通事故で亡くなったのを機に半世紀以上も前のある思い出話をしてみよう。
あれは私が大学生のときのことだった。
番組名は覚えていないが、当時、赤坂にあったTBSの音楽番組の収録が終わったのはゼロ時過ぎ。
当時、私のGSのメンバーは東京っ子ばかりだったから問題なく自宅に帰れたらしいが、
地方出身の私は西武新宿沿線のアパートに住んでいたから大変だ。
電車もなければタクシー代もお金も持っていない。どうやって帰ればいいのか・・・。
その時、「君、どこ? 乗ってけよ」
と、1台のタクシーの中から声がかかった。
デビュー間もない無名に近いGSの新人に気安く声をかけてくれたのがドリフのメンバー高木ブーさんだった。
電車もなければタクシー代もない貧乏学生だった私は、渡りに船・・・で、タクシーに飛び乗った。
道中のタクシー内で、「ギターやってたね。これでもれっきとしたギターリストなんだよ、僕も・・・。
好んでコミックバンドやってるわけじゃないんだよ。芸能界で生きていくのは大変なんだよ」。
こんな言葉をもらった。他にも会話はあったと思うが、この会話以外、覚えていない。
遠~い、遠~い大昔の思い出話である。
高木ブーさん、長生きしてくださ~い。
△写真は1969年第一回ヤマハ合歓の郷ポピュラーフェスティバルに出演した時。
左のギターを抱えているのが若かりし頃の私である。
▲後にポプコンは、全国のアマチュアミュージシャンがプロへの登竜門として参加したヤマハ音楽振興会主催の音楽コンテスト(1969年~1986年)。
1969年第1回開催から1973年の第6回と「グランプリ大会」開催まで合歓の郷で実施された(第1回から第3回までは「作曲コンクール」という名前だったが後にポプコンと位置づけられ、第4回大会から「ポピュラーソングコンテスト」に変更。1974年第7回大会から静岡県の「つま恋」に会場が変更された)。
あれは私が大学生のときのことだった。
番組名は覚えていないが、当時、赤坂にあったTBSの音楽番組の収録が終わったのはゼロ時過ぎ。
当時、私のGSのメンバーは東京っ子ばかりだったから問題なく自宅に帰れたらしいが、
地方出身の私は西武新宿沿線のアパートに住んでいたから大変だ。
電車もなければタクシー代もお金も持っていない。どうやって帰ればいいのか・・・。
その時、「君、どこ? 乗ってけよ」
と、1台のタクシーの中から声がかかった。
デビュー間もない無名に近いGSの新人に気安く声をかけてくれたのがドリフのメンバー高木ブーさんだった。
電車もなければタクシー代もない貧乏学生だった私は、渡りに船・・・で、タクシーに飛び乗った。
道中のタクシー内で、「ギターやってたね。これでもれっきとしたギターリストなんだよ、僕も・・・。
好んでコミックバンドやってるわけじゃないんだよ。芸能界で生きていくのは大変なんだよ」。
こんな言葉をもらった。他にも会話はあったと思うが、この会話以外、覚えていない。
遠~い、遠~い大昔の思い出話である。
高木ブーさん、長生きしてくださ~い。
△写真は1969年第一回ヤマハ合歓の郷ポピュラーフェスティバルに出演した時。
左のギターを抱えているのが若かりし頃の私である。
▲後にポプコンは、全国のアマチュアミュージシャンがプロへの登竜門として参加したヤマハ音楽振興会主催の音楽コンテスト(1969年~1986年)。
1969年第1回開催から1973年の第6回と「グランプリ大会」開催まで合歓の郷で実施された(第1回から第3回までは「作曲コンクール」という名前だったが後にポプコンと位置づけられ、第4回大会から「ポピュラーソングコンテスト」に変更。1974年第7回大会から静岡県の「つま恋」に会場が変更された)。
昨日は文化の日で世間は休日。
紅葉真っただ中の好天気ときた。
この時期になるとやっぱり自転車客が増えて来る。
老いも若きもカラフルでかっこいいウエアーにバイク。
私もランクルで野山を駆け巡っていた当時が懐かしい。
喜寿が遠くなくなってきた今は羨ましいかぎりである。
☆写真は時折、休憩と食事に立ち寄ってくれるA君とT君。
「また来ます~」と言い残し、立ち去っていく姿が爽やかでたまらない。
紅葉真っただ中の好天気ときた。
この時期になるとやっぱり自転車客が増えて来る。
老いも若きもカラフルでかっこいいウエアーにバイク。
私もランクルで野山を駆け巡っていた当時が懐かしい。
喜寿が遠くなくなってきた今は羨ましいかぎりである。
☆写真は時折、休憩と食事に立ち寄ってくれるA君とT君。
「また来ます~」と言い残し、立ち去っていく姿が爽やかでたまらない。