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浅草から三ノ輪へ

2004年04月15日 | 散歩
                            (今回のコースマップ)

 今日は吉原と古き浅草の面影を求めて散策した。浅草から三ノ輪までである。


東武浅草駅


待乳山聖天(まつちやましょうてん)
本尊は大聖歓喜天。




ここは隅田川に臨み、かつての竹屋の渡しにほど近い小丘で、江戸時代には東都随一の眺望の名所と称され、多くの浮世絵や詩歌などの題材ともなっている。


古くから大根を供える風習があり、1月7日には大根まつりが行われる。


今戸橋
今戸橋はかつて山谷堀にかかっていた橋。猪牙舟(ちょきぶね)で吉原に向かう掘割りだったが、今は埋め立てられ、橋台のみが当時を物語っている。


今戸神社
今戸焼き発祥の地で、招き猫の神社としても知られている。


今戸焼きのまねき猫(右)幅6cm足らずと小ぶりだが、しっかりした焼き物で丁寧に絵付けされている。
猫が2匹並んでいるのは珍しい。値段は3,000円と高めのご利益代だった。


今戸焼発祥、新撰組沖田総司終焉の地でもあった。


吉原大門交差点


見返り柳の碑(左)、復活した見返り柳(右)
この柳の辺りで、享楽を堪能した客が去りがたい思いを抱いて遊郭を振り返ったのが「見返り柳」の由来である。


ここがかっての吉原の中心通り
現在の吉原はソープランド街になったようだ。


吉原神社
吉原の鎮守の社として知られる。古書には花魁が参拝したと記されており、吉原の栄枯盛衰を見守ってきた神社である。


吉原弁財天
新吉原花園池(弁天池)跡の奥にある。敷地内には吉原観音、花吉原名残碑などが立ち、弁天池の一部も残っている。


吉原弁財天の吉原観音
1923(大正12)年の関東大震災で吉原遊郭一帯が火に包まれ、逃げ遅れた遊女490人が弁天池に飛び込み溺死した。この遊女の供養にと1926(大正15)年、吉原観音像が建立された。


鷲(おおとり)神社
毎年11月の酉の日に酉の市が開かれる。


一葉記念館
明治の女流作家・樋口一葉の記念館。小説「たけくらべ」の草稿など貴重な資料を展示している。


一葉の碑


都電三ノ輪橋駅
王電時代の建築(旧三ノ輪王電ビルディング)が今も残っている。
現在の都電荒川線の前身が王子電気軌道であった。


タイムスリップしたような駅の風景

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