5月20日(日)午前の観光。
(1)臨津閣(イムジンカク)自由の橋
臨津閣(イムジンカク)は、ソウルから北に向かって「自由路(ジャユロ)」をずっと進んだところにある。川沿いには鉄条網が延々と続いている。南北分断を目の当たりにした。
板門店の手前の、許可なく自由に出入りできる最後の地点でもある。
自由の橋は現在、臨津江(イムジンガン)を渡る唯一の橋である。1953年、休戦協定が締結された後、戦争捕虜13000人がこの橋を通って帰って来る時に「自由万歳」と叫んだので「自由の橋」と呼ばれている。
(2)望拝壇
1千万離散家の痛みを慰めるために望拝壇では毎年陰暦元日、陰暦お盆なるとここで北朝鮮に残してきた父母の合同祭祀を行っているという。
(3)オドウサン統一展望台
ソウルから自由路に沿って車で30分あまり行くと、オドウサン統一展望台がある。ここに登ると、臨津江(イムジンガン)とその向いにある北朝鮮住民の生活の樣子が一目で見られる。今日は天気は良かったが川霧のせいか、かなたにかすかに見えていた。展望台の中の展示室には北朝鮮の生活用品・食品・貨幣・バッジなどが陳列されていた。
臨津閣(イムジンカク)の自由の鐘
統一展望台の模型
統一展望台内にある北朝鮮の学校教室モデル
(1)臨津閣(イムジンカク)自由の橋
臨津閣(イムジンカク)は、ソウルから北に向かって「自由路(ジャユロ)」をずっと進んだところにある。川沿いには鉄条網が延々と続いている。南北分断を目の当たりにした。
板門店の手前の、許可なく自由に出入りできる最後の地点でもある。
自由の橋は現在、臨津江(イムジンガン)を渡る唯一の橋である。1953年、休戦協定が締結された後、戦争捕虜13000人がこの橋を通って帰って来る時に「自由万歳」と叫んだので「自由の橋」と呼ばれている。
(2)望拝壇
1千万離散家の痛みを慰めるために望拝壇では毎年陰暦元日、陰暦お盆なるとここで北朝鮮に残してきた父母の合同祭祀を行っているという。
(3)オドウサン統一展望台
ソウルから自由路に沿って車で30分あまり行くと、オドウサン統一展望台がある。ここに登ると、臨津江(イムジンガン)とその向いにある北朝鮮住民の生活の樣子が一目で見られる。今日は天気は良かったが川霧のせいか、かなたにかすかに見えていた。展望台の中の展示室には北朝鮮の生活用品・食品・貨幣・バッジなどが陳列されていた。
臨津閣(イムジンカク)の自由の鐘
統一展望台の模型
統一展望台内にある北朝鮮の学校教室モデル