戦後の翌年(1946)に発表された小林秀雄の評論『モオツアルト』により、モーツァルトといえば交響曲をはじめとする器楽作品(それも短調の)を上におき、歌劇をはじめとする声楽作品をその下におく風潮が定着するようになっていた。
近年、映画「アマデウス」でモーツァルトの子供のように泣き・笑い・苦しみながらの多彩な人間関係を取り上げていた。歌劇を書き上げて演じる場面では、人間の美しさ・汚さ・怖さ・悲しさなどを全て受け入れて、皇帝・貴族そして民衆すべて同じ土俵で演じさせている。当時まだ支配階級が定着している中での反骨の精神を貫いていたのである。まさにモーツァルトにおける歌劇の復権であった。
ただ、直接的に主張すると歌劇自体葬られかねないので、モーツァルトはストーリーは時代背景である支配階級を踏襲しつつ、場面展開の枝葉の部分やアリアの言葉の中で、支配階級を痛烈に皮肉るメッセージをこめているのである。
この「アマデウス」に見られるように、モーツァルトの歌劇や宗教曲・歌曲を含めた声楽曲の復権は著しく、近年再評価が進められている。戦後の小林秀雄の評論『モオツアルト』に見られる当時の評価と隔世の感がある。
モーツァルトの歌劇で多く見られる特徴として、
「フィガロの結婚」伯爵が謝るシーン
1.身分上の悪あがきを多く取り入れている。
「偽りの女庭師」の市長
「後宮からの誘拐」の大公
「ドン・ジョバンニ」のドン・ジョバンニ
「フィガロの結婚」の伯爵
「魔笛」の夜の女王
などにみられるように、支配階級が強欲で強がっているが弱体化している。
「ドン・ジョバンニ」仮面のドンナ・アンナたち
2.目隠し(あるいは覆面)からのどんでん返しの場面が多い。
「偽りの女庭師」の庭師サンドリーナ
「羊飼いの王様」のタミーリ
「コシ・ファン・トォッテ」のフェランドとグリエルモ
「ドン・ジョバンニ」のドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィラ、ドン・オッターヴィオ
「フィガロの結婚」の伯爵夫人とスザンナ
「魔笛」のパパゲーナ
などにみられるように、目隠しをすることで、相手の人間性を見抜くとともに、改悛させている。
「後宮からの誘拐」楽士登場
3.舞台上に楽器が登場するケースが多い。
「後宮からの誘拐」-楽士たち
「ドン・ジョバンニ」-ドン・ジョバンニのマンドリン
「フィガロの結婚」-スザンナのギター
「魔笛」-パパゲーノの手回しオルゴール
などにみられるように、モーツァルトの歌劇は楽器が主役となる「協奏曲的歌劇」の色彩がある。通常のアリアが主役の場合でも、「協奏曲的歌劇」の色彩が強い。ワーグナーの歌劇が「楽劇」と呼ばれるように、モーツァルトの歌劇は「協奏劇」と呼んでもよいのではないかと思う。
近年、映画「アマデウス」でモーツァルトの子供のように泣き・笑い・苦しみながらの多彩な人間関係を取り上げていた。歌劇を書き上げて演じる場面では、人間の美しさ・汚さ・怖さ・悲しさなどを全て受け入れて、皇帝・貴族そして民衆すべて同じ土俵で演じさせている。当時まだ支配階級が定着している中での反骨の精神を貫いていたのである。まさにモーツァルトにおける歌劇の復権であった。
ただ、直接的に主張すると歌劇自体葬られかねないので、モーツァルトはストーリーは時代背景である支配階級を踏襲しつつ、場面展開の枝葉の部分やアリアの言葉の中で、支配階級を痛烈に皮肉るメッセージをこめているのである。
この「アマデウス」に見られるように、モーツァルトの歌劇や宗教曲・歌曲を含めた声楽曲の復権は著しく、近年再評価が進められている。戦後の小林秀雄の評論『モオツアルト』に見られる当時の評価と隔世の感がある。
モーツァルトの歌劇で多く見られる特徴として、
「フィガロの結婚」伯爵が謝るシーン
1.身分上の悪あがきを多く取り入れている。
「偽りの女庭師」の市長
「後宮からの誘拐」の大公
「ドン・ジョバンニ」のドン・ジョバンニ
「フィガロの結婚」の伯爵
「魔笛」の夜の女王
などにみられるように、支配階級が強欲で強がっているが弱体化している。
「ドン・ジョバンニ」仮面のドンナ・アンナたち
2.目隠し(あるいは覆面)からのどんでん返しの場面が多い。
「偽りの女庭師」の庭師サンドリーナ
「羊飼いの王様」のタミーリ
「コシ・ファン・トォッテ」のフェランドとグリエルモ
「ドン・ジョバンニ」のドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィラ、ドン・オッターヴィオ
「フィガロの結婚」の伯爵夫人とスザンナ
「魔笛」のパパゲーナ
などにみられるように、目隠しをすることで、相手の人間性を見抜くとともに、改悛させている。
「後宮からの誘拐」楽士登場
3.舞台上に楽器が登場するケースが多い。
「後宮からの誘拐」-楽士たち
「ドン・ジョバンニ」-ドン・ジョバンニのマンドリン
「フィガロの結婚」-スザンナのギター
「魔笛」-パパゲーノの手回しオルゴール
などにみられるように、モーツァルトの歌劇は楽器が主役となる「協奏曲的歌劇」の色彩がある。通常のアリアが主役の場合でも、「協奏曲的歌劇」の色彩が強い。ワーグナーの歌劇が「楽劇」と呼ばれるように、モーツァルトの歌劇は「協奏劇」と呼んでもよいのではないかと思う。