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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

暗夜人落神

2013-11-20 08:58:28 | 詩集・空の切り絵

暗夜に人は神を落とす
紅玉に秘す永しへなる思ひを
一粒の水に海を湛へ
一簣の土に国を治す

珠貝に秘せし女子の
弾琴の美歌を舞ふ
絹衣白虹に散り
玉髪は暗夜に等しむ



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星屑ポケット・3

2013-11-20 05:34:45 | 月夜の考古学・本館

☆ 眠れぬ子供たち

 子供たちが、部屋を出ていくと、幻の赤いりんごが闇の中にしたたった。無数の煙突の立つ街並みの上には星も無い暗黒の海。光の神の眠っている間に、黒衣をまとった天と地が不倫の男女のように抱き合う、そのはざまで、眠れぬ夜の子供たちは紫の幻影をどうどうと空に塗ってゆく。今夜は子供たちだけの祭なのだ。
 バケツの中にネオンを砕いた金の塗料を満たして、眠れぬ子供たちは各戸をめぐる。家の中で安穏と夢に眼球を浸した子供たちのまぶたに、金の塗料を一滴ふりかけると、そこから小さな緋色の蛾が一匹、ひらひらと飛び出して、眠れぬ子供たちを追いかけはじめる。子供たちは無数の蛾を従えて、夜の広場に集まってくる。
 広場には、罪や嘘のがらくたが山と積まれ、それは言い訳の油をたっぷりとかけられて、火を点けられる。炎は高々と上がり、石炭のように緻密な闇をばりばりと噛んでゆく。火の周りでは子供たちが空き缶やベンチやそこらじゅうにあるものを手当たり次第に叩き始める。原始の暗黒めいたいかにも幼い単調なリズムが、小悪魔のように踊り始めると、祭はもう始まっている。
 興奮した誰かが、また息のある雄鶏の首をねじりとり、狂ったような悲鳴をあげる。盲の猫をいたぶり、げらげらとあざわらう者がいる。炎に引き寄せられてくる蛾を捕らえては敷石にこすりつけていく者。夏眠中のカタツムリをばらまいては楽しそうに踏みしだいていく者。生きたトカゲの背骨を草相撲のように引きちぎってゆく者……。泣き声、あえぎ声、罵詈雑言、だだ、けんか、嬌声、失笑、流血、とんでもない乱痴気騒ぎ。静かにしやがれ、馬鹿野郎ども。だれかが中央に立って、でたらめな歌を歌い始める。
――今夜こそ、立ち上がる。すべてを、この世のすべてを変えてくれるその人が。祝え。踊れ。子供たち。明日からは、何もかもが変わる。学校もなくなる。警察もなくなる。政治家も、教師も、親も、いなくなる。いやなことなんてみんななくなる! おれたちはもう縛られない!
歌い手の声はまるでブリキをつぶす機械の轟音のようだ。何かが変わると、何かを変えられると彼は喉をちぎって叫び続ける。だがだれが変えるのかと問うものはだれもいない。問うてはならないことを子供たちは知っている。
そして祭りは一晩中続くのだ。大人たちが眠っている間の夜の広場で、闇を焦がす火を囲み、緋色の蛾たちが夢のように舞い続ける。火の粉は舞い上がり、眠れぬ子供たちの白い顔は一時、仮面のように闇に浮かび上がる。それはまるで、タールのように地にへばりつく暗闇にうがたれた一群れの呪いの記号のようだ。
歌い手は叫び続ける。自由、自由! おれたちは自由だ! 何をしたって叱られない! 何をしなくたって怒られない!
だが――。朝は容赦なくやってくる。冷徹な光の神は目を覚まし、決して変わらぬ現実を、やり残された膨大な量の宿題を、再びあばきたてていく。リズムはやがて夜明けのしじまに吸い込まれ、白々とした疲労感だけが子供たちの虚ろな心を満たしていく。
日の光が、抱き合った暗黒の天と地を、ゆっくりとはぎとりはじめる頃、紫の幻影はあとかたもなく世界から消え去り、そして子供たちは帰ってゆく。朝食のミルクを暖めてくれる人たちの元へと。
朝、仕事に向かう大人たちが広場に見るものは、黒焦げの焚き火の跡と、石畳に散らばる無数の蛾の死骸。


(2001年、ちこり23号所収)





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星屑ポケット・2

2013-11-19 04:36:31 | 月夜の考古学・本館

☆ マント

 空に、一本のリボンが、ひかれた。すると痩せた長い顔の巨大な男が、東の空にのっそりと立ち上がり、ぼくに笑いかけた。西の空では太陽が今しも沈もうとしていたが、東ではかすかな星の息遣いがヴェールのように漂っていた。
 男は着ていたマントを翻すと、小さな一輪車を取り出して、ひょいとリボンの上に飛び乗った。軽々と一輪車を乗りこなし、細いリボンの上を苦もなく往復する男に、ぼくは拍手を送ったが、それは彼の芸のすばらしさよりも、むしろ彼の着ているマントの方に向けられていた。
 それは刻々と貌を変えていく、さまざまな空の色をつぎはぎした布で作られていた。溶け残った星を抱いた夜明けのラピスラズリや、静かに晴れた秋空のトルコブルー、夕暮れの地平を重たく抱くカーネリアン、白い薄雲を冬日が透かす淡緑のベリル、粉のような無数の星を生む漆黒の夜などが、まるで精巧な螺鈿細工のように、男のマントの裏側に細々と縫い込まれているのだ。
 男が一輪車を乗りつつリボンの上を移動するたび、マントの裏の美しい文様がまるで別世界のようにひらりと目前で翻る。そのたびにぼくは、心臓の内部に直接色を刷りこまれるように、打たれてしまう。もっとはっきり見たいと思うのに、男は片時もじっとしていてくれない。ぼくは夢中で歓声と拍手を送り続け、男にアンコールを請い続ける。
 やがて、ぼくの背後で、ゆっくりと残光の気配が消えていった。とたん、まるで幕が落ちたように男の姿はかき消え、マントの光も、砂のように散り散りになって夜闇に溶けていった。
 喪失感がぼくの魂を冷たく凍らせる前に、ぼくは素早く目を閉じた。光の気配は、急速に消え去り、そしてぼくは待った。このぼくの中の果てない闇の深みから、散り散りになったあのマントの光が、再びありありとよみがえってくるのを。

☆ クランペルパピータ

 青く燐光を放つアイオライトの敷石の上を、クランペルパピータは歩いていた。彼女の着ている白い羊毛のコートは、敷石の光を受けて、まるで海底を歩いているような森閑とした静けさに、冷たく濡れているように見えた。
 ふと見ると、道の隅に乳色をした鮭のつがいがうずくまり、ぴたりと体を寄せあっている。産卵に及ぼうとしているのだ。しかし雌の苦しみようは尋常ではなかった。
 クランペルパピータは、雌鮭の尾の付け根に、何やら刺のようなものがささっているのに気づいた。どうやら難産の原因はあれらしい。彼女は、靴音をたてないよう静かにつがいの後ろに忍び寄った。近くで見てみると、刺の正体は一本の小さな錆びクギであった。クランペルパピータは手を伸ばし、そのクギをそっと抜いてやった。
 とたんに、まるで風船が破裂したかのように、乳色の光がクランペルパピータを包んだ。アイオライトの光は、夜闇のように陰って背景にどんよりと沈み、かわりに無数の真珠のような卵の群れが、それこそ星のようにきらめきながらクランペルパピータの周囲を漂っているのだった。
 卵たちは、クランペルパピータにはよくわからぬ祝福の音韻を、マリンスノーのようにふりまきながら、アイオライトの大地をゆったりと離れ、次々と空に上ってゆく。それはまるで天上の音楽をかなでながら上ってゆく、天使の群れのようにも見える。
 やがて子供たちはみな空に消え、乳色の光が失せて、通りには元の風景が静かに戻ってきた。クランペルパピータが足先に目をやると、二匹の親魚は、春先の氷のように半ば透きとおって、アイオライトの燐光の中に、今しも溶けてなくなろうとしていた。

☆ クランペルパピータ 2

 クランペルパピータは鏡の前に立ち、静かにコートを脱いだ。鏡の中にゆるやかな象牙の起伏が映る。乳房には木の実のような薄紅のサンゴが埋め込まれ、暗がりに伏せこまれた弱々しい草の一群れが、白い裸体の下部を飾っていた。
 彼女は寝台の上に横たわると、両手を体の横におき、うっすらと両足を開いた。そして目を閉じ、けして満たされることはない夢の門を開けた。
 星空が夜具のように彼女におおいかぶさる。いやそれはかすかな花の香りであったかもしれない。彼女は夢の中で名を呼びたいと思った。そのひとの名を。
 ノックの音がして、目が覚めた。彼女がベッドから身を起こし、コートを羽織りつつドアをあけると、そこには幽霊のような青い顔をした男が一人、花を片手に立っている。しおれかけた野菊は握り締めた男の手の中で、瀕死の悲鳴をあげていた。男はクランペルパピータを見上げ、虚ろな眼差しで一時を請う。
「どうぞ」
 クランペルパピータは男を招き入れた。しかし男の足が一歩、部屋の中に入ると、そこからツタのような草が伸び始めて、それは床をはい、壁を上り、部屋中を埋め尽くした。
「お名前は?」
 クランペルパピータはたずねるが、男は語ろうとしない。ツタにからまれ阻まれる足を、なんとか動かして寝台に近寄ろうとするが、それ以上は一歩も動くことができない。男のうめき声だけが虚ろに響く。
 クランペルパピータは目を男から外し、窓の月を見上げる。名を、言ってくれさえすれば。だが男の名を知っている女など、この世にはいないのかもしれない。彼女はため息を月に浴びせると、片方の乳房に手をやり、コンパクトのようにそれを開いた。そして、今夜もまた生まれることのなかった時の卵を、心臓の上にそっと葬った。


  (2001年、ちこり23号所収)



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アルタイル

2013-11-18 04:05:16 | 画集・エデンの小鳥
アルタイル
2013年




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ゆめふたつ

2013-11-17 11:11:51 | 歌集・アンタレス


あいなくて はいのこうやに みるゆめは いーいこーる えむしーじじょう




たらちねの ははのまなこは みることも なくながれゆく ますらをのゆめ



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小さなヴィーナス

2013-11-17 06:04:20 | 画集・ウェヌスたちよ

小さなヴィーナス
2003年、ちこり27号表紙




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白虹

2013-11-16 09:15:13 | 歌集・アンタレス

甘き夢 虹と語りて ゆく君を 見失ふ身の かろき愚かさ




まぼろしの 白虹を見し 月夜にて 風に語りし 夢を我知る




ただひとり 闇夜に降りし 月ありて ひとすじの歌 残して去りぬ




見出して 信ずることを ためらひし ときのこころを くゆる人の世




あやかしの けものおらびて しらたまの 月くづほれて 闇あらはれぬ




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テモテへの手紙二

2013-11-16 03:31:58 | 詩集・空の切り絵


しかし、終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。

      (新約聖書、テモテへの手紙二、3,1-5)
 


  * * *

 

人類は
解脱の段階に達しているが
あまりに惨い罪を犯し過ぎると
強い退行現象を起こし
解脱ができなくなる場合がある





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星屑ポケット・1

2013-11-15 03:17:33 | 月夜の考古学・本館

☆ サーカス

 空は晴れて明るいのに、太陽の姿は見えなかった。
 どこかくすんで見える青空は、まるで色あせた絵葉書の中のようでも、古書の中の古びた印刷の挿絵のようでもあった。ぼくは町を散歩しながら、通りのはるか上空を、竜が飛んでゆくのを見た。
 「おや、今時珍しいなあ」と思って、よく見ると、それは竜ではなくて、サーカスの行列なのであった。天使の装いをしたきらびやかな少女たちや、ぎらぎらしたナイフをあやつるピエロの若者たちが、無言の仮面をまといながら、色とりどりのリボンと花吹雪を撒き散らして、竜のようにゆっくりと空をくねってゆく。
「いったい、どうやって空を行列しているのだろう?」
 ぼくが独り言を言うと、ちょうど後ろを通りかかっていた男が答えた。
「空にガラスがはってあって、それに命綱をかけながら、行進しているんですよ」
「ああ、なるほど」
 手を空にのばすと、ざらざらしたガラスの感触が、ひたと手のひらにふれた。


☆ 二十七夜

 珍しく夜明け前に目が覚めたぼくは、空け暗れの星を見るために、屋根の上に上った。すると、東の空で燃えるように光る明星が、ぼくに言うのだった。
「やあ、ちょうどいい、手伝ってください」
「何を手伝うんです?」
「月を釣り上げるのです」
 見ると明星は小さな細い釣竿を持って、下方の地平に向かい、かすかな光の糸を垂らしている。
「この時期、月が空に出るのは、えらく大変でしてね」
 言いながら、明星は竿の一端をぼくに渡した。ぼくは首をかしげつつ、それをちょいと上に引き上げてみた。すると、何やら鞭がしなるような音が空をひゅるひゅると飛んで、やがて、細い細い二十七夜の月が、息もたえだえのかっこうで、空に上ってきた。
「やあ、そんなにやつれていては、上ることもままならんでしょう」
 ぼくがなぐさめると、二十七夜の月は、ふらふらと空をはいのぼりながら、何かを答えようとしたけれども、ぼくがほんの少し力を抜いてしまったすきに、何も言葉にならぬままにまたつるりと沈んでしまった。

☆ 休館日

「気をつけなさい」
 と館長は言った。
「こういう日は、書鬼(しょき)が出やすいのです」
 古い図書館の窓には、一面の灰色の空が描かれていた。夜に似た昼が、古い書架のあちこちの隅に黒々と闇のたまりを作っている。
「ここは古い本ばかりが集まっているので、時々、だれにも読まれるあてのない恋文などが、本の中に紛れ込むのです。年月を経ると、そんなものから書鬼がでましてな」
「書鬼とはなんです?」
 ぼくがたずねると、館長は長々と一息たばこを吸った。暗闇の隅に火星のような赤い点が点った。
「意味を失った言葉が、意味のない悲しみを知ってしまうと、書鬼になるのです」
「意味のない悲しみ……」
 ぼくが繰り返すと、ふと背後の窓に、雷光が走った。瞬間、無人の図書館は昼のような光に満たされ、館長の影は活字が散るように消失した。

☆ 最大離角

 夜空には一面砂漠のように薄い雲がはかれていた。白いレースを透かして、中天に月がぼんやりと輝き、ために空は一面、ミルクの海のように見えるのだった。
 その果てしないミルクの中を今、半透明の白い龍が一頭、ゆったりと横切っていく。
 ぼくが、何をしにいくの? と尋ねると、竜はゆらりとこちらを振り向き、白いひげをわさわさと震わせながら言うのだった。
「水星を食べにいくのだ」
 水星は、いつも太陽の裾にひっついて離れないので、陽の神の目を盗んで食べることが、なかなかできないのだという。
「幸いにも今夜は最大離角なのだ」
 ぼくがその言葉にうなずいたちょうどその時、ふと雲が分かれて、軽率な星がちらりと顔を出した。それを見るや竜は波のように全身をしならせて、ぱくりと星を飲み込んだ。
 悲鳴もあげられなかった星は、竜の喉のあたりであらがうようにぎりぎり光ったが、やがて力尽きて暗くなり、長い竜の体の中を石くれのように沈んでいった。そして、とうとう溶けてなくなったかと思われた頃、星は竜のしっぽの辺りから、元と違わぬ姿でぷいと虚空にひり出された。
 星は、しばし何事もなかったようなふりをしていたが、一部始終を見ていたぼくの視線に気がつくと、まるで乳房をさらした少女のように震えて縮みはじめ、泣きながら雲のむこうに姿を消した。

☆ 神さまの家

 学校のそばに石切り場があった。校庭には、バレーボールのような灰色の丸い岩を幾つも積んだ山があって、そのそばで灰色の顔をした教師たちが、黙々と岩を磨いていた。
 何をしているんですかと尋ねると、こどもの頭を作っているのです、という。
「こどもたちには頭がないので、こうして作ってやらねばならないのです」
 ぼくは何やらとても重苦しい気持ちになって、足早にそこを離れた。校門を出ると、体のどこかがきりきり痛んで、心臓が押し潰されそうになって、立っていられないほど目眩がした。
 学校の塀に寄り掛かって休んでいると、どうしたんですか? と声がする。見ると目の前にひとりのこどもが立っている。糊のきいた白いシャツを着て、折り目のきれいなズボンをはいているが、教師たちの言ったとおり彼の肩から上には、透明な風とただ声ばかりがあって、確かに頭はないのであった。
 少し目眩がするんだと答えると、こどもはすっとぼくのひじに手をかけて言った。
「つれていってあげる」
「つれて? どこに?」
「神さまの家だよ。きっと直してくれるから」
 ぼくは彼に手をひかれるままについていった。学校を過ぎると、緑の高い山があって、頂上に向かってまっすぐ白い石の階段が通っていた。ほら、あそこだよ、とこどもが指し示す方を見上げると、確かにはるかな山のてっぺんに、光る家が一軒たっている。
「あそこに神さまが住んでいるんだよ」
 重い頭をひきずりながら、ぼくは石段を登っていった。だが登っても登っても、石段はちっとも短くならない。一体いつまで登るんだろう。引き返して、他に医者でも探した方がよくないかと、思うのだが、こどもがぼくの体を支えながら、もう少しだよと、何度もささやくものだから、仕方なくぼくは、石に根をはる思い足を、何度も引き千切り、引き千切りしながら、一足一足やっとのことで登るのだった。
 やがて、ふとぼくは、かたわらで、ぼんやりした光が灯ったのに気づいた。見ると、いつの間にか、さっきまで何もなかったこどもの肩の上に、白いまりのような、かあいい頭が、今はちゃんとのっかっているのだった。そして登ってゆくにつれ、まるでたそがれの月のように、頭はだんだんと光をあらわして、かわいらしい目鼻立ちさえ、少しずつ見えてくるのだった。
「やあ、かわいいな。こんなにちゃんとした頭があったのになあ」
 ぼくはぜえぜえあえぎながら、やっと声に出して、言った。こどもは賢そうな瞳をくるりとぼくに向けて、笑った。ぼくはしみじみと言った。
「あの灰色の先生たちに、教えてあげたいなあ」
 こどもはそれには答えず、もうすぐ神さまに会えるよと言った。するとなぜだか、ぼくは無性にうれしくなって、浮き浮きしてきて、涙さえ、こみあげてくるのだった。そして、こうして体を引きずりながら、ぜえぜえ階段を上っていくことも、不思議におもしろい仕事だと、思えるのだった。
 ようやく石段は終わって、平らな広い所に、ぼくはどさりと体をおいた。体を横たえながら、ごうごう荒い息をしていると、ひやりと澄んだ空気が、一息ごとに喉を癒した。風が吹いて、汗にまみれた顔をあげると、目の前に、こじんまりとした庭があって、その向こうに、小さな引き戸がたっているのが、うっすらと見える。
「ほら、ここが神さまの家だよ」
「ああ……」
 神さまの家は、天をつくような伽藍でも、御殿でもなくて、てんで普通の家だった。なんだか周りは光ばかりで、ひどくまぶしいのだが、玄関は本当に簡素な作りで、こんにちはぁって声をかけると、どこかのおかみさんの声が、はぁいとでも答えそうなくらい。
「神の門は狭いっていうけど、本当に狭いんだなあ」
 ぼくが呆れていうと、こどもは、今はもうはっきりと見える、やわらかな黒髪をなびかせて、鈴が風にゆれるような笑い声を、くちびるからころころ転がしながら、からりと、玄関を開けた。
 鍵はかかって、いなかった。





 (1996年11月、ちこり8号所収)






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テモテへの手紙

2013-11-14 11:37:23 | 詩集・空の切り絵


 婦人が教えたり、男の上に立ったりするのを、わたしは許しません。

          (新約聖書、テモテへの手紙一、2-12)



   * * *



神は
アダムからイヴを
お創りになる時
不思議な香りのする
ハーブの砂糖をお入れなさった
アダムは 最初から
それがうらやましくてしょうがなかったのだ




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