☆ 眠れぬ子供たち
子供たちが、部屋を出ていくと、幻の赤いりんごが闇の中にしたたった。無数の煙突の立つ街並みの上には星も無い暗黒の海。光の神の眠っている間に、黒衣をまとった天と地が不倫の男女のように抱き合う、そのはざまで、眠れぬ夜の子供たちは紫の幻影をどうどうと空に塗ってゆく。今夜は子供たちだけの祭なのだ。
バケツの中にネオンを砕いた金の塗料を満たして、眠れぬ子供たちは各戸をめぐる。家の中で安穏と夢に眼球を浸した子供たちのまぶたに、金の塗料を一滴ふりかけると、そこから小さな緋色の蛾が一匹、ひらひらと飛び出して、眠れぬ子供たちを追いかけはじめる。子供たちは無数の蛾を従えて、夜の広場に集まってくる。
広場には、罪や嘘のがらくたが山と積まれ、それは言い訳の油をたっぷりとかけられて、火を点けられる。炎は高々と上がり、石炭のように緻密な闇をばりばりと噛んでゆく。火の周りでは子供たちが空き缶やベンチやそこらじゅうにあるものを手当たり次第に叩き始める。原始の暗黒めいたいかにも幼い単調なリズムが、小悪魔のように踊り始めると、祭はもう始まっている。
興奮した誰かが、また息のある雄鶏の首をねじりとり、狂ったような悲鳴をあげる。盲の猫をいたぶり、げらげらとあざわらう者がいる。炎に引き寄せられてくる蛾を捕らえては敷石にこすりつけていく者。夏眠中のカタツムリをばらまいては楽しそうに踏みしだいていく者。生きたトカゲの背骨を草相撲のように引きちぎってゆく者……。泣き声、あえぎ声、罵詈雑言、だだ、けんか、嬌声、失笑、流血、とんでもない乱痴気騒ぎ。静かにしやがれ、馬鹿野郎ども。だれかが中央に立って、でたらめな歌を歌い始める。
――今夜こそ、立ち上がる。すべてを、この世のすべてを変えてくれるその人が。祝え。踊れ。子供たち。明日からは、何もかもが変わる。学校もなくなる。警察もなくなる。政治家も、教師も、親も、いなくなる。いやなことなんてみんななくなる! おれたちはもう縛られない!
歌い手の声はまるでブリキをつぶす機械の轟音のようだ。何かが変わると、何かを変えられると彼は喉をちぎって叫び続ける。だがだれが変えるのかと問うものはだれもいない。問うてはならないことを子供たちは知っている。
そして祭りは一晩中続くのだ。大人たちが眠っている間の夜の広場で、闇を焦がす火を囲み、緋色の蛾たちが夢のように舞い続ける。火の粉は舞い上がり、眠れぬ子供たちの白い顔は一時、仮面のように闇に浮かび上がる。それはまるで、タールのように地にへばりつく暗闇にうがたれた一群れの呪いの記号のようだ。
歌い手は叫び続ける。自由、自由! おれたちは自由だ! 何をしたって叱られない! 何をしなくたって怒られない!
だが――。朝は容赦なくやってくる。冷徹な光の神は目を覚まし、決して変わらぬ現実を、やり残された膨大な量の宿題を、再びあばきたてていく。リズムはやがて夜明けのしじまに吸い込まれ、白々とした疲労感だけが子供たちの虚ろな心を満たしていく。
日の光が、抱き合った暗黒の天と地を、ゆっくりとはぎとりはじめる頃、紫の幻影はあとかたもなく世界から消え去り、そして子供たちは帰ってゆく。朝食のミルクを暖めてくれる人たちの元へと。
朝、仕事に向かう大人たちが広場に見るものは、黒焦げの焚き火の跡と、石畳に散らばる無数の蛾の死骸。
(2001年、ちこり23号所収)