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ルビーの森

京都三条と銀座並木通りにある、ミャンマー産無処理で美しいルビー専門店。鉱山から一貫したトレーサビリティーを実現。

ルドルフ2世のものといわれるルビーのついた王冠

2009年08月19日 05時56分00秒 | 宝物
スイスの小領主からオーストリア王朝の

国王の家系へ、そして700年もの間、

権力の座にあったハプスブルグ家。

1600年代に王座にあったのが

この王冠の主 ルドルフ2世だったようで

すが、NHKのテレビで一度、ルドルフ2世は

戦争をして領土を広めるなど国力を上げる

活動よりも芸術や錬金術の研究などの

学芸に力をいれた国王だったと見たように

記憶しています。

写真のおでこの部分のルビーは15ctぐらい

あるのでしょうか?いや、もっと大きい様な

気もします。 このころの国王の権力を感じ

ずにはおれない王冠です。

デザインは、ローマ法王のポープがつける

帽子の形に似ていますが、ウィキペディア

辞書によると、厳格なカトリック教徒であった

ようで、それが関係しているのでしょうか?

(ウィキペディアより引用ここから)
政治的には無能だったルドルフ2世であるが、教養に富んでいたことから文化人としては優れていた。ルドルフ2世が芸術や学問を保護した結果、その下にはルーラント・サーフェリー、バルトロメウス・スプランヘル、ジュゼッペ・アルチンボルド、ハンス・フォン・アーヘン、アドリアーン・ デ・フリースといった欧州における多数の芸術家が集まり、帝国首都のプラハは文化的に大いなる繁栄を遂げたのである。ルドルフ2世自身は、特に錬金術に大いなる興味を示しており、実際に多くの錬金術師のパトロンとなっていた。また、天文学者のティコ・ブラーエやヨハネス・ケプラー、植物学者のシャルル・ド・レクリューズなどもルドルフ2世のもとに出入りしていた。
(引用終わり)

ひょっとしたらルドルフ2世は、

国王になるよりも学者さんとして生きたかった

のかも知れません。

写真は、事典『ウィキペディア(Wikipedia)

ルドルフ2世の王冠


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