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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

復活したゼフィルス。夏の終わりを感じさせる妻女山の樹液バー(妻女山里山通信)

2016-08-19 | アウトドア・ネイチャーフォト

 妻女山駐車場の奥のオオブタクサを除草していて、この山系では珍しい花を見つけました。ガガイモです。大国主命と共に国造りをした少彦命が、天之蘿摩船(あまのかがみのふね)に乗ってきたと記紀には書かれています。古名は蘿摩(かがみ)、またはカガミグサといいますが、舟型の実がその由来の様です。
 生薬名を羅摩子(らまし)といい、滋養強壮や解毒作用があります。綿毛の種子はケサランパサランとなって舞うのが見られます。今回調べて、この毛を綿の代用として針刺しや印肉に使用したということを初めて知りました。花びらには繊毛がありますが、この時期に多い夕立から守るためでしょう。水滴が繊毛の上に付いて花びらが傷むのを防ぐのです。

 夏の終わり。樹液バーが寂しいのでゼフィルスが集まる千曲市側のギャップに来ました。昨年は松枯れ病の空中散布でありとあらゆる昆虫が絶滅した草原です。今年はわずかですが復活しました。いかにネオニコチノイド系農薬の空中散布が、昆虫採集より遥かに甚大な環境破壊をもたらすかが分かります。もちろん人的被害も出ています。商売目的の大量採取は別として愛好家や子供の採取は禁止すべきではありません。それとは比較できないほどの環境破壊があることを知らないといけません。
 シロツメクサで吸蜜中のツバメシジミ。後翅の尾状突起と眼状紋が、本当の頭部を食べられないようにするカモフラージュの役目をしているといわれています。蝶を網で捕るのは簡単ですが、撮影は困難を極めます。この日は時折風が強く吹いたので余計に大変でした。

 ゲンノショウコ(現の証拠)で吸蜜中のヤマトシジミ。私は基本的に望遠マクロを使わず超接近撮影のため、気配を感じてすぐ逃げられてしまうのです。気配を殺すのがコツなんですが難しい。忍者になった気分で撮影しています。瞳に見える黒い点は偽瞳孔です。ゲンノショウコは、十薬と呼ばれるドクダミや当薬といわれるセンブリと共に日本の代表的な薬草です。この夏は自作したドクダミ茶をもっぱら愛飲しています。

 例年より少し早く咲き始めたセンニンソウ(仙人草)。野草の中では一二を争うほど香りがいいのです。近くでは爽やかな、離れては甘い八角の様な魅惑的な香りがするのです。ブライダルブーケの様に咲き乱れるのは一週間ほど先でしょうか。名前は知っていても見た人が少ないのは、残暑の厳しい里山で咲くからでしょう。私は毎年この花が咲くのを楽しみにしています。花びらに見えるのは萼片で、美しい花ですが毒草です。

 樹液バーに戻ると、サトキマダラヒカゲが吸汁に来ていました(左)。この反対側にはもう一頭いましたが、カナヘビに襲われたのでしょうか、後翅がほとんど噛みちぎられていました。オオムラサキのオスもやって来ました(中)。かなり翅が傷んでいますが、飛翔には全く問題ない様です。コナラの根本にできた樹液バーにヒメスズメバチがやって来ました(右)。手前のアオカナブンが邪魔らしく攻撃して落としましたが、前回のオオスズメバチの様に殺すことはありませんでした。

 そこへ先ほどのオオムラサキが上の樹液バーで、ノコギリクワガタとオオスズメバチの攻撃に遭い退散して、ここにやって来ました。撃退されたアオカナブンもしぶとく戻って来ました。そこへチャイロスズメバチが来店。追い出されたのはオオムラサキのオスでした。この夏は少雨で樹液の出が悪いので、樹液バーの席争いはいつになく熾烈です。樹液バーには、優しく迎えてくれるマダムや、イケメンのホストや可愛いホステスはいないのです。

 長野市側はどうだろうと、林道倉科坂線に行ってみました。上信越自動車道とタワーがある松代SAが見えます。左向こうに蛇行する千曲川。写真右手に行くと松代城(海津城)。奥の山は金井山城跡のある金井山。尾根の先端の向こうにMウェーブが見えます。ミンミンゼミとツクツクボウシの鳴き声がBGMです。空中散布はないのに昆虫がほとんど見られず、意気消沈して戻ってきました。春から続く異常気象のせいでしょうか、非常に気掛かりです。
 ナショナルジオグラフィック日本版サイトに気になる記事が載っていました。「北極点がヨーロッパ方向へ急移動と研究発表」エルニーニョやラニーニャもその影響で変化か。異常気象が常態化するかもしれません。

 妻女山展望台から望む川中島(左)。ここは本来赤坂山といいます。謙信本陣の妻女山ではありません。『真田丸』効果で観光客や歴史マニアが激増しています。年配の歴史マニアだけでなく若い歴女も多いですね。ただ、長野市の看板にはここが戦国時代の妻女山(本名は斎場山)ではなく、謙信の本陣は更に100m高い斎場山であると明記していないため、誤解して帰っていく人がほとんどです。そこで時間がある限りボランティアで説明をしていますが、時間が限られます。私の説明を聞くことができた方は幸運だと思って下さい。拙書ではそこを詳しく書いています。
 妻女山松代招魂社(中)。例年ならここにオオムラサキが乱舞しているのですが全く見られません。招魂社は、戊辰戦争以降の戦没者を祀っている神社です。ブログ内検索で「妻女山松代招魂社」を調べていただくと詳細な歴史が分かります。妻女山展望台から松代城方面の眺め(右)。信玄軍が立て籠もった海津城は目と鼻の先です。
 さて、次回は久しぶりに登山道整備と撮影を兼ねて鞍骨城跡まで登ってみようと思います。妻女山の駐車場から90〜100分で行けます。標識も完備していますが、天城山周辺は迷いやすいので、拙書を持参して行くことをお勧めします。何に出会えるでしょうか、楽しみです。

川中島合戦の上杉謙信にまつわる妻女山と斎場山、陣馬平への行き方」『真田丸』で訪問者が激増中。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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