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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

白馬・小谷・糸魚川経由で親不知。芭蕉も歩いた海岸へ。翡翠と奴奈川姫。ヒスイテラス。マリンドリーム能生(妻女山里山通信)

2019-09-17 | アウトドア・ネイチャーフォト
 三連休+1は、二泊三日で日本海へ車中泊の旅にでかけました。初日は車の修理に追われ、慌ただしく準備して、翌朝出発。まず白馬に向かいました。夏バテやら過労気味なので初日はあちこち寄らずに、親不知へ直行。行ったことのない海岸へ下りました。

 中条、小川、美麻を経て景色が開けると白馬三山が姿を現します。県外ナンバーの車がたくさん。ここから小川村から糸魚川までは、長いトンネルや洞門がいくつも続きます。けっこう神経を使います。昔は塩の道で山を超えて行ったと思うと絶句します。

(左)小谷村の小さな集落。稲刈りも間近です。(右)昨年の8月にオートキャンプで訪れた大久保のキャンプ場。ひとり男性がキャンプしていました。戸土の廃村へ行こうと思いましたが工事中で断念。
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(左)日本の近代化を支えた親不知隧道。今回は左の地図の右側へ初めて下りました。(右)トンネル内部から東側の入り口と沢向こうの遺構。

 そこから下りると、松尾芭蕉も歩いたという親不知の海岸へ。昔はどんな海岸だったのでしょう。波もほとんどなく日本海は静かですが、砂利浜は途切れていて、現在はとても歩けません。正式には親不知・子不知といいます。親子でも人のことは構っていられないという交通の難所だったのです。
歌川広重の「親不知」:これは干潮時でしょうね。加賀藩は、参勤交代のときに人の盾で守ったとか。

 戻って親不知の展望台へ。暑くてもう汗びっしょりです。高速道路は海の上。右の洞門はアップダウンがありカーブの連続で、運転は慎重さが求められます。必ず点灯を。

(左)道の駅「親不知ピアパーク」の海岸から見る親不知。(右)ピアパークにある「翡翠ふるさと館」の、世界最大級の102トンの翡翠の原石。

 翡翠といえば、大国主の命が略奪婚をしたという奴奈川姫(ぬなかわひめ)。もとは土豪の妻で、翡翠に象徴される姫だったという言い伝えも。大国主の命との間に諏訪大社の祭神の建御名方命を授かったが、夫婦生活は不遇だったのか、この地に戻り自死したと伝えられています。来年は、信州に多い諏訪系の神社のルーツを求めて出雲大社に向けて放浪しようと思います。
 大和系より早く渡来した出雲系。私は紀元前480年頃(縄文から弥生に移る頃)、春秋戦国時代の中国大乱の時代に滅びた呉のエリートが渡来したと考えています。呉(くれ)という地名、和服を売る店を今でも呉服屋といったり、呉織や呉布という言葉が現在まで残っているという事実。その後渡来したと思われる越の人々。越前、越後に残る足跡。鮫ヶ尾城跡の中腹に残る、倭国大乱の時期にだけ作られたという集落。縄文末期の8万人の人口が弥生に60万人に増えたという事実。弥生末期でも弥生人に縄文人のDNAは2%しかなかったという事実。縄文人を北(アイヌ)と沖縄に追いやったのか。魏志倭人伝に書かれた、卑弥呼が平定するまで倭国大乱があったということ。秦の始皇帝に上申して渡来し全国に散らばったた大和王権の祖といわれる失われた古代ユダヤの一部族の徐福と村人たち。伊勢神宮などに残るユダヤの印がその証拠か。我々が思う以上に古代の人々は高度な文明を持ち、流動的だったのです。
*秦とは中国古代の王朝で、周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在し、紀元前221年に中国を統一したが、紀元前206年に滅亡した。

(左)昼は富山県の朝日町まで足を伸ばしてドライブイン森金へ。たら汁が名物で美味しいのも分かっていますが、とにかく暑いのでたらの煮付けとバイ貝の煮付け、ヒラマサの刺身など。美味でした。(右)日本海ヒスイラインを渡ってヒスイ海岸へ。

(左)ヒスイ海岸にある観光交流拠点施設「ヒスイテラス」。昨年にオープン仕立てで、イベントも開かれます。(右)翡翠の展示。

(左)ヒスイ海岸から望む親不知。たくさんの人が翡翠を探していました。(右)糸魚川へ戻ってマリンドリーム能生へ行く前に「長者温泉」で汗を流しました。宿泊施設もあります。おそらく左の茅葺屋根がそうかと。

(左)さっぱりして「マリンドリーム能生」へ。ベニズワイガニは、今年たくさん食べたので、鮮魚センターへ。(右)おそらく今年最後の生牡蠣を堪能。

(左)カモメと夕焼け。(右)旧北陸線を利用した「久比岐(くびき)自転車道」のキャラクター・久比岐 凛。今回も走っている人を何人も見かけました。

 マリンドリーム能生に日が沈みます。釣りをする人たちも。

 日没間近。大勢の人たちがこの夕日をスマホで撮影していました。明日は上越市の上杉家の内乱「御館の乱」で有名な鮫ヶ尾城跡へ向かいます。

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本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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