球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

棚とツリー

2009-01-29 | たぶん難解な話
※1500文字超えちまった

木の心は直方体に近い形をしている、という仮定から
僕の歩みは始まった。

今は東大生の(傾向を模倣しやすい)ノートというものが売っている。
大人になればその意味もわかろうというものだけど、
高校生の段階でも十分そのノートの恩恵を生かすことができるだろうか?



今になって考えると、勉強ができるというのはいわゆる頭の良さってのとは
それほど関係がないように思っている。
僕が思う受験勝ち抜き?のコツはゴミみたいなもの(情報)を
頭にぶち込まれても地べたに置いたままにせずにちゃんと収納することであり、
なによりそのゴミみたいな情報をしまうための場所を作ってあげることである。

どういうことか?
 ①すこし楽屋オチ的な言い方をしてしまうが、
  09012345678という携帯の番号を090-1234-5678と書き換えるようなことだ。
 ②初めて買ったネックレスをしまうために、
  無印でアクリル棚とベロアの仕切り購入するようなことだ。

 ①は"1チャンク7個まで(一度に記憶できるものは7個まで)"
 というかなり真実に近いと思われる人間の脳の性質を利用し
 "0 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 "という11個の情報を
"090 1234 5678"という3つの情報に変換し、
 記憶への移行をスムーズにする技であり、実際受験勉強的な情報の操作である。

 ②は、脳内で行うことを空間に置き換えようとすると
 どうしても形を変えてこのような書き方をせざるを得ないことの示唆と、
 視覚的なイメージを喚起しやすいために書いてみた。

なんというか、数学の問題が出て来たら
"この問題は5-2章 無限級数 に属する問題だ"
くらいには整理されていることが必要である。
150問が収録されている問題集であってもこういう括りが使えれば
数十くらいまで使用メモリを減らした感覚で解いていけるはずである
(この感覚を磨くのが受験勉強といってもいいくらいだ)。



②の例で、新たに入ったものを収納する場所として直方体の棚を想定した。
しかし、新たに学習したことを頭に収納する場所を確保するために
ノートにでっかい箪笥を書いている人にはまだ会ったことがない。
で、こんな本や先程述べたノートが台頭してきたわけだ。

この本を読んでいないのでハッキリしたことは言えないが、
KOKUYOから出たノートの事を考えると、
新たに学習したことを頭に収納する場所として
"徹底したツリー構造"を提案しているに違いないのでは、と仮定できる。
(違うかもしれないが。)
第一に①で述べたような記憶事項の数の減少に寄与するし、
新たに出てきた学習事項を地べたに置くべきゴミではなく
これまでの経験の中に紐つけることができるメリットが大きいだろう。

ツリー構造での把握はとりわけコンピュータの世界で多用されており、
フォルダのツリー構造もその辺の事情があるはずだ。
一時期記事にも書いたことがあるマインドマップも多分その辺の関係だろう。
多分、後からどれだけゴミを突っ込まれてもへこたれないのは
1から無尽蔵の拡大を許容するツリー構造のトポロジー以外にあり得ないのだ。
(=棚はある程度以上のゴミは入ってくれない。)



空間で直方体でとらえるべきものは、意識では木の枝の形で捉えられた。
空間で木の枝の形をしているものは、意識が直方体のような有限の形をしているんだ。
植物の意識がわからないのは植物に脳がないからではなく、
人間と意識のトポロジーが異なっていて人間にはわからないからなんだ。

いや、この段落はテキトー書いてるだけだけどね。
コメント
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