球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

一定の向心力は現実逃避でしかない

2005-08-04 | マジメな話
今日は研究室からお送りします、はまもとです。

今日はオケの練習と研究室の後輩とのトーク、そして実験で終わってしまいました。
それ以外のことは本当に何もしていません。

ですが、そういう意味では今やるべきことに専心できた一日であるともいえます。



タイトルについて。
よく「今の位置に居続けるには走り続けなければならない」といいます。
このことを、「本当に難しいのは続けることだ」という言い方をする人にもたくさん出会ってきました。

それと関連して。
「一本道より回り道したほうが楽しい」
といいます。
確かに舗装された道路より草むらのほうが子供たちがなくした
野球ボールなりを見つけることはできるのかもしれませんね。
ですが、回り道とずっと同じところをぐるぐる回っていることとは別な現象なわけで、
同じところをぐるぐる回っているだけの現象を偉そうに「回り道」
などと形容されると困ってしまうわけですよね。
回り道にはゴールがあるという前提があります。

今の位置にい続けるために走り続けなければならないということ。
それを力学的に考えます。
僕は僕の進む方向があり、一定方向に歩んでいきます。
修正すべきところは、向心力を駆使して修正しなければなりません。

※向心力の意味がわからない人は、パートナーと手をつないで
 自分を中心軸として相手を回転させてみてください。
 そのときあなたの手から発されているのが向心力です。
 それがなければパートナーはどこかにすっ飛んでしまうでしょう。

ですが、向心力は一定だと同じところを回り続ける円運動を生みます。
つまり、どれだけ走っても目的地にたどり着けないのです。
世の中に絶対に解けない迷路があるとすれば、それは円運動の結果であるといえましょう。



今日の話は酔った勢いで書いている部分も相当にあるので、
多分学術的に正しいものとはいいがたいでしょう。
ですが、レトリックから生まれたこの考え方がちょっと最近僕の役に立っています。

自覚がなかったが実は現実逃避的行動だった…
僕は円運動をし続けていたのだろうか。

惰性とは図形で表すと円運動なのかもしれません。
コメント (4)
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