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§家族のお湯、親友に敵うものなし、ビリヤード場でマツケンサンバ
今日は幼稚園来の友人に会うという目的があった。
実は、ここで親たちとはお別れということでもあった。
(親は福島の中でもいわき市に近い大熊町に住んでいて、友達と会うのは福島市のため)
友達の話をする前に、僕の家族というものに対する考え方を一つ書いておく必要があるようだ。
「毎日会っているから気づかない」
という言葉は
「半年に1回しか会わなければ気づく」
という意味も当然あるわけで、
親が少しづつ歳を取っていくのが目に見えて、本当はもう少し一緒にいたかった…
帰省するときは1日だけいようが1週間いようが短く感じることに変わりはなかったので
僕がこう思うこともまたいつも通りであると言える。
ただ、親が同じように思っているかはわからない。
長くいればいるほど、あの人たちにとってはやはり嬉しいこと、なのだろうか?
理屈ではなく、感覚、感想として。
唐突ではあるが、ものを書くことについての目的意識ということについて少し書いてみたいと思う。
僕がこうやって毎日文章を書くことに関しては、僭越ながら
「孤独を紛らわす」という目的が厳然として存在する。
他人とコミュニケートしなければ生きていけないというのは誰もが言う言葉。
僕は誰かと一緒にいればその人とコミュニケートするし、
いなければ書物上で仮想の人物とコミュニケートする。
…僕の読書時間は常に孤独に裏打ちされていた。
僕のことを見ている人は、そのことがわかるのではないかと思う。
そういう意味では、毎日日記を書けないという人がいるが、その原因として時間がないことよりも
それ以上に日記を書く必要性をそれほど感じていないということだと思う。
何しろ書かなくても生きていけるのだから。そういう人は別に毎日日記を書く必要はないと思う。
さて、以上に話したことが5日になって「福島紀行」として一連のレビューを書いた理由の大きなものだ。
正月の間はネット環境の有無にかかわらず、思っていることは家族に話せばよかった。
ここで読者を求める必要なんてなかったのだ。
…赤いショートヘアの女神がいる。
「私は、アナタに不自由をあげる。いつも一緒にいてくれなくちゃイヤ。一緒に寝ようよ。私をかまってね。
その代わり、私はアナタを安心させてあげるから。嫌なことも苦しいことも、なんでも私に言ってね。」
横にはセルリアンブルーの長髪をたなびかせる女神がいる。
「私は、貴方に自由を与えましょう。いつ何時何をしようが、基本的には口出ししません。
その代わり、貴方のしたことは貴方が責任を負うことになるでしょうし、
その多くは私にもどうしようもないことになるのかもしれません。」
東京と福島の行き来について、こういった天使がいつも僕のもとに飛んできた。
福島の生活は赤い女神で東京の生活は青い女神だ。
意識的に考えると、そのときそのときで僕はいずれかの女神を選び取っている。
そして、赤い天使と一緒にいると、僕はラクだった。不安も殆どない。
でも、赤い天使は僕を受動的な人形に変える力も持っていた。
それが怖くて、僕は東京に出た。そんなことを思い返す。
と、ここで重い話はおしまいだ。
以上が家族に対する一つの話。ただ、時間が経ったらまたこのテーマで書くこともあるだろう。
次は友人の話だ。
僕はこの幼稚園来の友人(2人)は深い思い入れがある。
中学、高校の同級生(←部活は別)よりも、いまだに会い続けていることからそう思う。
恥ずかしいが、既に一生の付き合いを互いに認め合う間柄でもある。
今日彼らと出会ってしたことは
「ファミレスでだべり→オールでカラオケ」の二つだけ。
彼らは社会人であるがゆえの考え方を身につけ、その一方であまり変わっていないようでもあった。
中学をでて、高校を出て、大学を出て、
実家の住所や僕自身の住所は悉く変わっていったから、
「同窓会」を開くにあたって極めて呼びにくい人になってしまった部分もある。
それでも会えるから、すばらしい。
ただ、彼らは些か変わっていると言ってよい人たちで、
本人曰く「B型を地で行っている」らしい。
ファミレスで店員を笑わせるようなことばかりしていて、
笑いをこらえている店員がちょっと可愛かった。
まあどれくらい謎かといえばビリヤード場でマツケンサンバを踊りだすというくらいのものだ。
(俺が撞いている間の待ち時間に)
とても変な絵である。
シモネタを使わずに人をぎょっとさせる力は天才的といえた。
(これを見ている人で、対抗意識を燃やすのは勘弁していただきたい。)
まあ、そのようにして今日一日は過ぎていった。
欲をいえば、小中学校で好きだった娘に会ってみたかった。
何人に会いたいことになるのかわからんが…。
ちなみに、カラオケの選曲システムがタッチパネル方式のものでやたら高性能だったのが
印象的だった。とても広い。
世界に一つだけの花。
また一緒に歌おうか。
§家族のお湯、親友に敵うものなし、ビリヤード場でマツケンサンバ
今日は幼稚園来の友人に会うという目的があった。
実は、ここで親たちとはお別れということでもあった。
(親は福島の中でもいわき市に近い大熊町に住んでいて、友達と会うのは福島市のため)
友達の話をする前に、僕の家族というものに対する考え方を一つ書いておく必要があるようだ。
「毎日会っているから気づかない」
という言葉は
「半年に1回しか会わなければ気づく」
という意味も当然あるわけで、
親が少しづつ歳を取っていくのが目に見えて、本当はもう少し一緒にいたかった…
帰省するときは1日だけいようが1週間いようが短く感じることに変わりはなかったので
僕がこう思うこともまたいつも通りであると言える。
ただ、親が同じように思っているかはわからない。
長くいればいるほど、あの人たちにとってはやはり嬉しいこと、なのだろうか?
理屈ではなく、感覚、感想として。
唐突ではあるが、ものを書くことについての目的意識ということについて少し書いてみたいと思う。
僕がこうやって毎日文章を書くことに関しては、僭越ながら
「孤独を紛らわす」という目的が厳然として存在する。
他人とコミュニケートしなければ生きていけないというのは誰もが言う言葉。
僕は誰かと一緒にいればその人とコミュニケートするし、
いなければ書物上で仮想の人物とコミュニケートする。
…僕の読書時間は常に孤独に裏打ちされていた。
僕のことを見ている人は、そのことがわかるのではないかと思う。
そういう意味では、毎日日記を書けないという人がいるが、その原因として時間がないことよりも
それ以上に日記を書く必要性をそれほど感じていないということだと思う。
何しろ書かなくても生きていけるのだから。そういう人は別に毎日日記を書く必要はないと思う。
さて、以上に話したことが5日になって「福島紀行」として一連のレビューを書いた理由の大きなものだ。
正月の間はネット環境の有無にかかわらず、思っていることは家族に話せばよかった。
ここで読者を求める必要なんてなかったのだ。
…赤いショートヘアの女神がいる。
「私は、アナタに不自由をあげる。いつも一緒にいてくれなくちゃイヤ。一緒に寝ようよ。私をかまってね。
その代わり、私はアナタを安心させてあげるから。嫌なことも苦しいことも、なんでも私に言ってね。」
横にはセルリアンブルーの長髪をたなびかせる女神がいる。
「私は、貴方に自由を与えましょう。いつ何時何をしようが、基本的には口出ししません。
その代わり、貴方のしたことは貴方が責任を負うことになるでしょうし、
その多くは私にもどうしようもないことになるのかもしれません。」
東京と福島の行き来について、こういった天使がいつも僕のもとに飛んできた。
福島の生活は赤い女神で東京の生活は青い女神だ。
意識的に考えると、そのときそのときで僕はいずれかの女神を選び取っている。
そして、赤い天使と一緒にいると、僕はラクだった。不安も殆どない。
でも、赤い天使は僕を受動的な人形に変える力も持っていた。
それが怖くて、僕は東京に出た。そんなことを思い返す。
と、ここで重い話はおしまいだ。
以上が家族に対する一つの話。ただ、時間が経ったらまたこのテーマで書くこともあるだろう。
次は友人の話だ。
僕はこの幼稚園来の友人(2人)は深い思い入れがある。
中学、高校の同級生(←部活は別)よりも、いまだに会い続けていることからそう思う。
恥ずかしいが、既に一生の付き合いを互いに認め合う間柄でもある。
今日彼らと出会ってしたことは
「ファミレスでだべり→オールでカラオケ」の二つだけ。
彼らは社会人であるがゆえの考え方を身につけ、その一方であまり変わっていないようでもあった。
中学をでて、高校を出て、大学を出て、
実家の住所や僕自身の住所は悉く変わっていったから、
「同窓会」を開くにあたって極めて呼びにくい人になってしまった部分もある。
それでも会えるから、すばらしい。
ただ、彼らは些か変わっていると言ってよい人たちで、
本人曰く「B型を地で行っている」らしい。
ファミレスで店員を笑わせるようなことばかりしていて、
笑いをこらえている店員がちょっと可愛かった。
まあどれくらい謎かといえばビリヤード場でマツケンサンバを踊りだすというくらいのものだ。
(俺が撞いている間の待ち時間に)
とても変な絵である。
シモネタを使わずに人をぎょっとさせる力は天才的といえた。
(これを見ている人で、対抗意識を燃やすのは勘弁していただきたい。)
まあ、そのようにして今日一日は過ぎていった。
欲をいえば、小中学校で好きだった娘に会ってみたかった。
何人に会いたいことになるのかわからんが…。
ちなみに、カラオケの選曲システムがタッチパネル方式のものでやたら高性能だったのが
印象的だった。とても広い。
世界に一つだけの花。
また一緒に歌おうか。