函館 トラピスチヌ修道院

2009-03-04 00:45:35 | 旅行記

起きた。がんばって起きた。

前の晩、いい気分で帰ってきて、ネットでフェリーその他の情報を漁ってたら途中で牛の電源が落ちたらしい。
真夜中に目が覚めてシャワー浴びてまた寝たんだけど、その割にちゃんと起きた。
渋滞にはまりながらも9時半すぎにはトラピスチヌ修道院に到着できた位には。

11月5日。この日は午前中のみで函館観光。
昼過ぎには青森へのフェリーに乗らなきゃいけないから、駆け足観光です。

本当は「トラピストバター現地買い付けツアー」にしたかったんだけど、トラピストバターを作っているトラピスト修道院は非常に厳格な男子修道院で、見学するなら要予約、しかも男性のみ。
そりゃそうだ。あくまでも修道院であって観光施設ではないのだから。
しかしながら、多少なりともキリスト教の精神に触れたことがある身としては、修道院という所を知りたい。
そのため今回はトラピスチヌ修道院(女子修道院)へ行ってみることに。

トラピスチヌ修道院は、幾分見学者をうけいれる体勢が整っていて庭を自由に見学できるし、近場に観光バスが利用できるくらいの駐車場(民間の有料駐車場。その代わりすぐ隣。がしかし、本当は他に駐車場がある。)もそなえている。
牛が訪れたときも、バス数台分の観光客が訪れていて、たいそううるさかった(笑)

門を入ってすぐ、聖ミカエルの像。
081105095733
(なぜかあさりよしとおの「るくるく」を思い出して笑いがこみ上げてしまった罰当たりな牛。)

聖母マリアの像。

081105094311_2

うん、キレイだねぇ。
一神教の宗教では偶像崇拝を否定することが多い。
キリスト教は宗派によって違いはあるものの、「聖像」の類がたくさんある。
日本にキリスト教が伝わった時、人々はロザリオやキリスト像を求めそれに向かって祈るため、宣教師達はとても困惑したという。時には、ロザリオをバラバラにしてビーズを分け与えるとそれに向かって祈っていたという話を思い出した。
「シンボルはあるがそれ自体に向かうのではなく、それを通して神に祈る」っていうのは、それまでの日本人の宗教とか風習からしたら分かりづらかっただろう。

宗教以外でも偉大な功績を残した人の像を刻むのは、人間にとってはやっぱり目に見えるものの方が納得できるからなんだろうな。

団体さんたちを足早に追い越して、「旅人の聖堂」へ。

081105094438

ここも美しい建物だった。
規則性はヒトを安心させるのだな。
シンメトリカルさで言えばインプレッサwも安心感あるけど(笑)
ともかく、どの教会の礼拝堂でも感じる凛とした空気は、牛にも心地よい感覚を与えてくれる。

聖テレジア像。
(ぶっちゃけ「テレジア」ってヒトはキリスト教とか歴史にたくさん出てくるので、像だと誰がどのテレジアさんなのかがよくわからない。)
081105094703

修道院は「祈りと労働と読書」を中心に規則正しい生活が厳格に守られているそうだが、心を乱さず俗世に惑わされず生きることとそれを守る建造物には、本当にかたくなさが感じ取れる。

081105094641

この中で暮らす修道者のみなさんは、午前3時半起床で夜20時前には就寝だそうです。
…無理だ。牛には無理だ。
お日様昇らないと寒いし。
夜はスタートレック見てから寝たいし。
(↑俗世に浸かったバカ)

081105094617

修道会って、そもそも俗世間に嫌気がさしてひきこもっちゃったヒトから端を発しているわけだけど(こんな言い方になってるけど悪気は無い)、それでもただ祈るだけでなくそこに「労働」が同格に組み込まれるあたりは「生きる」という事がとてもシンプルに実現されてるんだと思う。

さらに「読書」が同じく置かれるところに牛は興味がある。
読書というのは知識欲だ。
生きていればいろんな疑問を持つ。知りたいと思う。答えを求める。
どんなにシンプルな生活を守ろうとしても疑問は持つし、おなかもすけば、眠くもなる。
生き続けるには欲が必要だ。それはきっと否定できない。

牛は牛のやり方で、欲望に導かれて立派に生きればいいに違いない。
言うなれば牛修道会だ。
牛は今までだって、イニシエイターだと言い聞かせて生きてきたはずだ。
どこからが過剰な欲望なのか、過剰な欲望が導くものは何なのかを疑問とすればいい。
そこでこの言葉ですよ。

「国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり」

国はつまり組織だ。組織とか権力や富とかいうものは使い方が難しい。
そういったものは全部ひっくるめてカミサマに預けておくって寸法だ。
牛はめんどくさいものは置いといて、いいとこ取りにしよう♪

果てしなくフリーダムな解釈だが、とりあえずこれで行っとこう(笑)
ただ…こういう事言ってると牛が裁かれる日は近い気もする;

とりいそぎ、よき一日を過ごすために、朝ごはんをちゃんと食べることにする。

081105100510

10時過ぎのだいぶ遅い朝食ではあるが、修道院の前にある「市民の森」の売店で牛乳と牛乳パンを購入。

ここで風が出てきた。
青空が見えてたのに、崩れてきちゃうかな。
よぅし、次っ!急げっ!


1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
入ってすぐのミカエル様写真。 (たんぽぽ)
2009-03-13 12:17:13
たんぽぽいったら、まっさきに
「異教徒め!!」
と串刺しにされそうな感じがした。
いや、まじで。

いやキリストさんとかじゃなくて
そのあとの、信者の皆さんの組織が
土着の宗教 多神教の神様、悪魔にしちゃったからさぁ。

日本の偶像崇拝は、仏教が入ってきたときにおこったんだって。
きれいな仏像みせて、「ほえー」となっている民衆をとりこんでいったんだとさ。
神道はもともと、山・森といった自然だからね・・・
たんぽぽにしてみると、偶像崇拝禁止をまもっているのは
イスラームではないかと・・・・聖堂の中に聖地方向に溝を掘ってそこにむかっていのってるから・・・・

で、牛乳おいしそうですな
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。