願い祈る

2010-10-05 23:06:27 | 日記・エッセイ・コラム

ラリーフランスはやはり彼の完勝だったようですね。
セバスチャン・ローブ。
「どんだけ強いの?!」とか「観て無くても勝つんじゃん?」とか言い飽きるほどですねぇ。
それなのにやっぱりその強さに惚れてしまう牛は近年相当惚れっぽいです。
それにしてもwrc-japan.jpの記事の書き出しが。

「地元の英雄」

…なんかすごく身近な存在に感じられるから不思議です(笑)

そうそう、ペター、表彰台おめでとうっ!!
プレスカンファレンスのあなたの笑顔がとても心地よくてたまらなかったよ。いえぁっ♪
↑付け足すように書いてるけどコレ本題だからw

さて、前回の続き。
ハイパーさんに乗って事故を目撃した数日後のお話です。

その夜、牛は実家から自分のアパートへと移動中だったのでした。
日付がかわる少し前。
交通量は多くはないものの、幹線道路にはまだヘッドライトの光が流れ続けています。
インプレッサwと牛は、郊外から仙台駅前へと続く道から、数ヶ月前に開通したばかりのショートカットルートへと抜けました。
以前に比べて格段に便利になったし、片側2車線、道幅は広くてそれほど車の量がないので走りやすい道です。

牛は右側の車線を走行。インプレッサwの横を、RV車が一台抜けていきました。
ペース速いなぁ、このへん覆面とかいないのかな?と思いつつRV車を見送って間もなく。


ヘッドライトの光が届かないその向こうの路上に、何か動く陰が?!

とっさにブレーキを踏みつつ、ミラーで後方をちらりと見ます。
もう一度前方を見た瞬間声に出しました。
「犬だ!柴犬!」

この距離この速度ならインプレッサwは止まれる。
だけど走行車線上で停止する事の危険性も知ってる。
問題は後続車両…5台くらい?
少し車間がある。左車線斜め後方に1台。
柴犬は走行ライン上。
一瞬加速して左車線に回避することもできるけど、後続車には犬は見えないから、牛が避けても何台目かがはねてしまうだろう…どうする?!

数ヶ月前に飼い犬を亡くしたNさんと、その犬の姿が目に浮かんで…本当に、本当に一瞬の判断でした。

ハザードをあげて減速。
ブレーキペダルを細かく踏んで直後の車両に警告します。
ヘッドライトの光に鎖を引きずった柴犬の姿が照らし出されて、さらに減速。

「どうか、追突されませんように。」

結果事故が起きても、これが牛の選んだ方法だから仕方ない。
柴犬が前方5m以内に入ったところでインプレッサwは停止。
インプレッサwの近くに居れば、きっとはねられないだろう。
牛は、両手をステアリングに突っ張り、ブレーキをふみしめて万が一追突された時の衝撃に備えました。

どうか、どうかお願い。きっと飼い主が、待ってる。

後続車両がインプレッサwを避けてすべて左車線へと流れ、後方にヘッドライトの光が無くなるまでの間に、柴犬はインプレッサwと中央分離帯の間をすりぬけて茂みの中に消えました。

大きく息を吐いて、牛は路肩にインプレッサwを寄せます。
数秒間目を閉じた後、気を取り直して外へ。

柴犬の姿は見えません。
どこ行ったんだろ。
このままウロウロしてたら今度こそひかれちゃう。
でもどうする?保護するったってゲージも何も無い。
Tシャツ一枚の姿ではよその犬に手を出すのには無防備すぎる。
運良く穏やかに保護できたとしても、その後は…?

結局柴犬は姿を消してました。
そのかわり、路上に横たわっていることもありませんでした。
ほんの少しわだかまりを残して、帰路へ。

牛の判断がどうだったかなんてそんなの知りません。
もしも柴犬を死なせる事になっていたとしたら、牛はこの先ずっと悔やみ続けたでしょう。
それがどこのどんな犬であれ。
追突されていたら、それもきっと悔やんだことでしょう。
だけどそんな事はこの際モウどうでもいい。

牛があの瞬間にできたこと。

祈ること。
それしかできなかった。
それが直接結論に結びついたとも思わない。だけど、一番最後にできたのは祈ることだ。

牛は普段からよくよく祈ります。
晴れは空へ。
凪は風へ。
願うなら神へ、欲すれば悪魔へも。
意味が無いといわれても、持ちうる全ての手を尽くしたのなら一番最後の手段も尽くす。それだけのこと。
だけど何て無力なんだろう。祈るたび自分の無力さを痛感するばかり。
牛にできることなんてほんの僅か。
祈りって、むしろ平静を保つため自分へ言い聞かせる方法の一つかもしれません。

じゃ、誰かのために祈る時は?
無力な牛は、誰かのためにできる事も本当に少ない。
それでもやっぱり願いたいから、信じたいから、牛はひたすらに祈るんだと思う。
あらゆる旅人たちの無事を。

特定の宗教への信仰をもたない牛は、ただ神と思しきの概念の前に心の底からの想いを投げ出すばかりで、おそらくそれは供物のようなものなのだと思う。

「牛の心を喰らってください。
そしてこの願いをかなえてください。
牛の信じるものを、確かなものにしてください。」

旅人達の無事を祈って、牛の心は減っていくだろうか?
減るというよりもむしろ、何か他のものに置き換わっていくような気がするんだ。

たとえ神様が、よそ見してたとしても。


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