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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 夏 蝉

2016年06月15日 | 日本古典文学-夏

文保百首歌中に 後光明照院前関白左大臣
なく蝉のこゑより外は夏そなきみ山のおくの杉の下陰
(新拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

なつやまのみねのこすゑしたかけれはそらにそせみのこゑもきこゆる
(和漢朗詠集・巻上・夏・蝉~日文研HPより)

建仁三年影供歌合に、雨後聞蝉といふ事を 皇太后宮大夫俊成女
雨はれて雲ふく風になく蝉の声もみたるゝもりの下露
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

夏声といふことを 今上御歌
風高き松の木陰に立よれはきくもすゝしき日くらしの声
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

なくせみのはにおくつゆにあきかけてこかけすすしきゆふくれのこゑ
(六百番歌合・夏・蝉~日文研HPより)

ゆふたちのはれをまちけりやまひこのこたふるやまのせみのもろこゑ
(影供歌合-建仁三年六月十六日~日文研HPより)

寄蝉恋といへる心を 丹波尚長朝臣
夏衣おりはへ蝉のねにたてゝうすくや中の遠さかりなん
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

入日さしなく空蝉の声きけは露のわか身そ悲しかりける(曾禰好忠集~群書類従15)

題しらす 忠峰
哀といふ人はなくとも空蝉のからになるまてなかんとそ思
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

待賢門院かくれさせ給て後六月十日比、法金剛院にまいりたるに庭も梢もしけりあひてかすかに人影もせさりけれは、これに住そめさせ給し事なとたゝ今の心ちして哀つきせぬに、日くらしの声たえす聞えけれは 堀川
君こふるなけきのしけき山里はたゝ日くらしそともに鳴ける
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)


古典の季節表現 夏 五月下旬

2016年05月27日 | 日本古典文学-夏

 そのころ五月廿餘日ばかりより四十五日のいみたがへむとてあがたありきのところにわたりたるに、宮たゞかきをへだてたるところにわたり 給ひてあるに、みな月ばかりかけてあめいたうふりたるにたれもふりこめられたるなるべし、こなたにはあやしきところなればもりぬるゝさわぎをするにかくのたまへるぞいとゞものぐるほしき。
つれづれのながめのうちにそゝぐらんことのすぢこそをかしかりけれ
御かへり
いづこにもながめのそゝぐころなればよにふる人はのどけからじを
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

 そのまへのさみだれの廿餘日のほどものいみもありながき精進もはじめたる人山でらにこもれり。「あめいたくふりてながむるにいとあやしく心ぼそきところになん」などもあるべし。かへりごとに
ときしもあれかくさみだれのおとまさりをちかた人のひをもこそふれ
と物したるかへし
ましみづのましてほどふる物ならばおなじぬまにぞおりもたちなむ
といふほどにうるふさ月にもなりぬ。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

斎院には、いかめしき御勢ひに、引き続き出で給ひし後(のち)、さこそはめでたしと言ひながらも、何となう心細さのみ数知らず。五月雨しげき御袖の上は、いとど晴れ間なう、もの思ひなれば、時鳥の夜深き声ばかりを友とこそ、憂き世に住みわび給へる御気色の心苦しさを、かつ、候ふ人々も、涙の隙(ひま)なうてのみ明かし暮らすに、(略)
 「五月雨の晴れ間も知らぬ身の憂さは嘆く涙に水嵩(みかさ)まさりて
人をば何とかは」とて、袖に顔を押し当てて泣き給へるに、まことに雲間も見えず降りそふ五月雨の空、ものむつかしけれど、二十日あまりの明け方なれば、たをたをとなつかしげなる御姿、髪ざし髪のかかりなど、さは言へど、なべてならずうつくしげに見え給ふも、げにおろかならずのみ思ひきこえ給ふ。
 「契りのみいつも有明のつきせねば思ひな入れそ曇る夜の空
など言ひ知らぬ」と、うち嘆きて出で給ひぬるなごりも、人やりならずものかなしうながめられ給ひつつ、近き橘の、香りなつかしう吹き来る追ひ風も、これや我が身のつひのとまりならんと心細きに、時鳥の忍び音あらはれて、言(こと)語らふもあはれなり。
 橘に忘れず偲べ時鳥我は昔の袖の在り香を
(いはでしのぶ~「中世王朝物語全集4」笠間書院)

五月の晦日に山里にまかりて立ち歸りにけるを時鳥もすげなく聞き捨てゝ歸りし事など人の申し遣しける返事に
郭公なごりあらせて歸りしが聞すつるにもなりにけるかな
(山家集~バージニア大学HPより)

五月の廿日あまり、在明の月くまなくて、ことにおもしろく侍りしに、御ちよくろにて御連歌ありしこそ、いとやさしく侍りし。かた家・ためつぐばかりにて、人數もすくなかりしかば、いどまさりし程に、「此ついでにこうたうの内侍のびはをきかばや。」と、仰せごとありしかども、月もいりがたちかくなりて、みなかへり侍りにし。
(弁内侍日記~群書類從)

 寛治五年五月廿七日、二條大路にて、はなちがひしける馬を取て、移(うつし)を置て、競馬(くらべうま)六番ありけり。殿上人ぞつかうまつりける。東の陣の前より、西の中門にむけてぞ馳(はせ)ける。主上太鼓を打(うた)せ給ける、たはぶれ事なれども、めづらしかりける事也。
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)

 正暦二年五月廿八日、摂政殿、右近馬場にて競馬十番を御覧じけり。山井大納言・儀同三司、共に中納言にておはしける、左右にわけて、公卿おほくまゐられけり。一番左将曹尾張兼時、右将曹同敦行つかうまつりけるが、兼時が轡たびたびぬけたりけれども、おつる事はなかりけり。さりながらも、つひに敦行勝にける。兼時、敦行にむかひて、「負てはいづかたへ行ぞ」といひたりけり。人々其詞を感じて、纏頭しけるとなむ。いまだ、競馬に負ざりける物にて、かくいひける、いと興あるいひやうなるべし。
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)

嘉祥二年五月戊寅(二十五日) 天皇が神泉苑に行幸(みゆき)した。公卿が神泉苑に近い美福門院に集まり、終日、宴を楽しんだ。大学博士・文章生らを召して、「美福門に陪(ばい)し、そこで銷暑(しょうしょ)することを得」の題で詩を賦させた。本日、詩を献上した者は十四人であった。
(続日本後紀〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(寛和二年五月)卅日丁酉。天皇出御南殿。有打毬之興。番長以上各十人。左右近衛。左右兵衛官人并廿人為二番。皆著狛冠。騎馬立南階前。左勝。奏音楽。此事希代之勝事也。
(日本紀略~「新訂増補 国史大系11」)

長保五年五月二十七日、丙辰。
左府の許に参った。宇治への御供に供奉した。左右衛門督・権中納言(藤原隆家)・弼宰相・宰相中将(俊賢)・殿上人、及び諸大夫で作文(さくもん)・和歌・管絃に堪能な者以外の人はいなかった。作文の序は弼相公(有国)、題は晴れた後、山川が清い」と。探韻を行なった。以言が献上した。
二十八日、丁巳。
午剋、作文を読んだ。舟に乗って上洛した。夜に入って、家に着いた。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

(治承二年五月)卅日。内裏有作文。(題云詩境多脩竹。)御製落句云。豈忘一字勝金徳。可愍白頭把巻師。御侍読二人永範。俊経等卿。不堪感涙。下南庭拝舞。侍座者驚目。(略)
(百錬抄~「新訂増補 国史大系11」)

(正治元年五月)廿六日。夜より甚雨。終日注ぐが如し。河水、又溢(あふ)ると云々。堀河大路、偏へに海の如し。所々の橋、悉く流失すと云々。七条以北に出で、粗々之を見る。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(嘉禄元年五月)廿九日(晦)。陽気晴明。雲膚往来す。昨今、暑熱焼くが如し。但し、南風頻りに扇(あふ)る。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(嘉禄二年五月)廿六日。天晴る。(略)冷泉より寒氷を送る。今年初めて之を見る。予本より之を好む。良薬の如し。昨今の暑熱已に盛夏の如し。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

二十九日 丙申 御留守ノ程タリト雖モ、隼人ノ入道、紀内所行景、富部五郎、源性、義印等ヲ招請シ、鞠ノ会有リ。
(吾妻鏡【建仁三年(1)五月二十九日】条~国文学研究資料館HPより)

比は五月の廿日余の事也。卿相雲客列参あり、重衡卿も出仕せんとて出立給ひけるが、卯花に郭公書たる扇紙を取出て、きと張て進よとて守長にたぶ、守長仰奉て、急張ける程に、分廻をあし様に充て、郭公の中を切、僅(わづか)に尾と羽さき計を残したり。■(あやまち)しぬと思へ共、可取替扇もなければ、さながら是を進する。重衡卿角共知ず出仕し給て、御前にて披て仕給けるを、一院叡覧ありて、重衡の扇を被召けり。三位中将始て是を見給つゝ、畏てぞ候はれける。御定再三に成ければ、御前に是を閣れたり。一院ひらき御覧じて、無念にも名鳥に疵をば被付たる者哉、何者が所為にて有ぞとて打咲はせ給ければ、当座の公卿達も、誠にをかしき事に思合れたり。三位中将も、苦々しく恥恐れ給る体也。退出の後守長を召て、深く勘当し給へり。守長大に歎恐て一首を書進す。
  五月やみくらはし山の郭公姿を人にみするものかは
と、三位中将此歌を捧て御前に参、しかじかと奏聞し給たりければ、君、さては守長が此歌よまんとて、態との所為にやと有叡感。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)

五月廿日余(あまり)の事なるに、折知がほに敦公(ほととぎす)の一声二声(ふたこゑ)、雲井に名乗て通けるを、関白殿聞召(きこしめし)て、
  敦公名をば雲井にあぐるかなと、仰せければ、
  弓はり月のいるにまかせて 
と、頼政申たり。
< 五月やみ雲井に名をもあぐるかなたそがれ時も過ぬと思ふにと、異本也。>
実に弓矢を取ても並なし、歌の道にも類有じと覚たり。
(源平盛衰記~バージニア大学HPより)


古典の季節表現 夏 照射(ともし)

2016年05月13日 | 日本古典文学-夏

照射を読侍ける 藤原義孝
五月やみそこともしらぬともしすとは山かすそにあかしつる哉
(風雅和歌集~国文学研究資料館HPより)

さつきやみあまつほしだにいでぬよはともしのみこそ山にみえけれ
(長元八年五月十六日 関白左大臣頼通歌合~「平安朝歌合大成 二」)

さつきやまゆすゑふりたてともすひにしかやあやなくめをあはすらむ
(久安百首~日文研HPより)

かひなしやいくよもえてもさをしかにあはぬほくしのむなしけふりは
(慶運法師集~日文研HPより)

大和國に龍門といふ所に聖ありけり。すみける所を名にて龍門の聖とぞいひける。そのひじりのしたしくしりたりけるさと人の、あけくれしゝをころしけるに、ともしといふことをしける比、いみじうくらかりける夜照射に出にけり。鹿をもとめありく程に目をあはせたりければ、「しゝありけり。」とておしまはし\/するに、たしかに目をあはせたり。矢比にまはしよりてほぐし(*火串)に引かけて、矢をはげていんとて弓ふりたてみるに、(略)
(宇治拾遺物語~國史大系17)


古典の季節表現 夏 五月中旬

2016年05月12日 | 日本古典文学-夏

同月十一日左大臣橘卿宴右大辨丹比國人真人之宅歌三首
我が宿に咲けるなでしこ賄はせむゆめ花散るないやをちに咲け
 右一首丹比國人真人壽左大臣歌
賄しつつ君が生ほせるなでしこが花のみ問はむ君ならなくに
 右一首左大臣和歌
あぢさゐの八重咲くごとく八つ代にをいませ我が背子見つつ偲はむ
 右一首左大臣寄味狭藍花詠也
(万葉集~バージニア大学HPより)

わか蒔し麻苧の種をけふみれは千えにわかれて陰そ凉しき
(曾禰好忠集~群書類従15)

このごろ雲のたゝずまひしづごゝろなくて、ともすれば田子の裳裾おもひやらるゝ。ほとゝぎすの声もきかず、ものおもはしき人は寝(い)こそ寝られざなれ、あやしう心よう寝らるゝけなるべし。これもかれも「一夜(よ)聞きき」、「このあか月にも鳴きつる」と言ふを、人しもこそあれ、我しもまだしと言はんも、いとはづかしければ、物言はで心のうちにおぼゆるやう、
我ぞげにとけね寝(ぬ)らめやほとゝぎすもの思ひまさる声となるらん
とぞ、しのびて言はれける。
(蜻蛉日記~岩波文庫)

やうやう更けゆく夜半(よは)の気色に、雨雲払ふ風、冷やかにて、うち薫る花橘のにほひも、いとなつかしう、待ちとり音(おと)なふ御前の呉竹の下葉を過ぐる遣水に、わづかに木の間漏り来たる、伏待(ふしまち)の月影宿したるほど、とり集め艶(えん)なるに、御かたはらなる琵琶を、客人(まらうど)の君とり給ひて、忍びやかにうち調べ給へる、世に知らずなつかしうあはれなる。え忍び給はず、かやうのこと、つきなうのみなり果てにけりや」とはのたまふものから、盤渉調の、半(なか)らばかり、笛を吹き鳴らし給へるおもしろさ、たとふべき方なけれど、げにも、(略)すごうもの悲しき御遊びにて、暁近うなりにけれど、尽きせぬ御仲の睦言は、ただ同じかげにて、月もやや影弱り、ほのぼのと明けゆく空に、ほととぎす二声ばかり名告(なの)りて過ぐ。
(いはでしのぶ~「中世王朝物語全集4」笠間書院)

 五月雨は、いとど眺めくらしたまふより他のことなく、さうざうしきに、十余日の月はなやかにさし出でたる雲間のめづらしきに、大将の君御前にさぶらひたまふ。
 花橘の、月影にいときはやかに見ゆる薫りも、追風なつかしければ、千代を馴らせる声もせなむ、と待たるるほどに、にはかに立ち出づる村雲のけしき、いとあやにくにて、いとおどろおどろしう降り来る雨に添ひて、さと吹く風に燈籠も吹きまどはして、空暗き心地するに、「窓を打つ声」など、めづらしからぬ古言を、うち誦じたまへるも、折からにや、妹が垣根におとなはせまほしき御声なり。
(源氏物語・幻~バージニア大学HPより)

 麗景殿と聞こえしは、宮たちもおはせず、院隠れさせたまひて後、いよいよあはれなる御ありさまを、ただこの大将殿の御心にもて隠されて、過ぐしたまふなるべし。
 御おとうとの三の君、内裏わたりにてはかなうほのめきたまひしなごりの、例の御心なれば、さすがに忘れも果てたまはず、わざとももてなしたまはぬに、人の御心をのみ尽くし果てたまふべかめるをも、このごろ残ることなく思し乱るる世のあはれのくさはひには、思ひ出でたまふには、忍びがたくて、五月雨の空めづらしく晴れたる雲間に渡りたまふ。
 何ばかりの御よそひなく、うちやつして、御前などもなく、忍びて、中川のほどおはし過ぐるに、ささやかなる家の、木立などよしばめるに、よく鳴る琴を、あづまに調べて、掻き合はせ、にぎははしく弾きなすなり。
 御耳とまりて、門近なる所なれば、すこしさし出でて見入れたまへば、大きなる桂の木の追ひ風に、祭のころ思し出でられて、そこはかとなくけはひをかしきを、「ただ一目見たまひし宿りなり」と見たまふ。ただならず、「ほど経にける、おぼめかしくや」と、つつましけれど、過ぎがてにやすらひたまふ、折しも、ほととぎす鳴きて渡る。(略)
 二十日の月さし出づるほどに、いとど木高き影ども木暗く見えわたりて、近き橘の薫りなつかしく匂ひて、女御の御けはひ、ねびにたれど、あくまで用意あり、あてにらうたげなり。
 「すぐれてはなやかなる御おぼえこそなかりしかど、むつましうなつかしき方には思したりしものを」
 など、思ひ出できこえたまふにつけても、昔のことかきつらね思されて、うち泣きたまふ。
 ほととぎす、ありつる垣根のにや、同じ声にうち鳴く。「慕ひ来にけるよ」と、思さるるほども、艶なりかし。「いかに知りてか」など、忍びやかにうち誦んじたまふ。
  「橘の香をなつかしみほととぎす花散る里をたづねてぞとふ
 いにしへの忘れがたき慰めには、なほ参りはべりぬべかりけり。こよなうこそ、紛るることも、数添ふこともはべりけれ。おほかたの世に従ふものなれば、昔語もかきくづすべき人少なうなりゆくを、まして、つれづれも紛れなく思さるらむ」
 と聞こえたまふに、いとさらなる世なれど、ものをいとあはれに思し続けたる御けしきの浅からぬも、人の御さまからにや、多くあはれぞ添ひにける。
 「人目なく荒れたる宿は橘の花こそ軒のつまとなりけれ」
 とばかりのたまへる、「さはいへど、人にはいとことなりけり」と、思し比べらる。
(源氏物語・花散里~バージニア大学HPより)

 五月廿日の月いと明(あ)かう、こゝかしこの木の下こぐらう、ゆふまぐれならねど、ものおそろしきまで見えわたるに、御格子もさながら、人びとは、みなとく、よりふしつゝねいりたるに、例の寝覚は、なくや五月のみじか夜もあかしかねつゝ、(略)
(夜の寝覚~岩波・日本古典文学大系)

(天暦三年五月)十一日甲寅。上皇御西院。競馳御馬。
廿日癸亥。太上皇於朱雀院馬■(つちへん+孚)亭観競馬(十番)。騎射。左右奏東遊。
廿一日甲子。於二条院有打毬事。
(日本紀略~「新訂増補 国史大系11」)

長元八年五月、三十講果てて、関白殿歌合せさせたまふ。殿上の人々を分たせたまふ。左方は蔵人頭経輔、済政、資業、良頼の東宮亮、良経の左馬頭、行経の少将、中宮大進義通、経季の少将、経長の弁、経成の少納言、信長の侍従、範国、資任、憲房、経平、実綱、蔵人は俊経、季通、貞章なり。右方は実経朝臣、兼房の中宮亮、資通の弁、俊家の中将、通基の四位侍従、師経の内蔵頭、行任、挙周、為善、国成、良宗の右衛門佐、資綱の少将、経家の少納言、経季の左衛門佐、三河守経信、定季の信濃守、蔵人は義清、家任、頼家と書かせたまひて、「題はこと心求むべきならず。ただこの間近く見ゆることをこそは」とて、月、五月雨、池水、菖蒲、蛍火、瞿麦、郭公、照射、これのみやほかの思ひやることはあらめとて、祝、恋と書かせたまひて、おのおの方々に、左には経輔の頭弁、右には良宗の蔵人右衛門佐にぞ召して賜はせたりし、頭弁は民部卿の服にて籠りゐたまへればなるべし。(略)
(栄花物語~新編日本古典文学全集)

十二日乙亥。於御所有和歌御会。題。深山郭公。隣家橘。社頭祈也。於常御所被披講。一条少将。右馬権頭。秋田城介。佐渡前司。河内前司。伊賀式部大夫入道。卿僧正。兵庫頭等参。前武州被奉置物砂金羽色革美絹以下云云。
十二日。乙亥。御所ニ於テ和歌御会有リ。題ハ、深山ノ郭公、隣家ノ橘、社頭ノ祈ナリ。常ノ御所ニ於テ披講セラル。一条ノ少将、右馬ノ権ノ頭、秋田ノ城ノ介、佐渡ノ前司、河内ノ前司、伊賀ノ式部大夫入道、卿ノ僧正、兵庫ノ頭等参ル。伊賀ノ式部大夫入道、卿ノ僧正、兵庫ノ頭等参ル。
(吾妻鏡【延応二年五月十二日】条~国文学研究資料館HPより)

寛弘二年五月十三日、庚申。
左府の許に参った。庚申待が行なわれた。殿上人は各々、一種物を随身して、あの殿に参った。騎射(うまゆみ)を召した。左近衛府と右近衛府が三番以上である。この夜、作文会が行なわれた。故納言(源保光)の忌月であったので、作文会には参加せず、ただ伺候しただけであった。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

(建永元年五月)十二日。天晴る。新月、明かなり。懐旧の思ひに依り、中御門殿に参ず。庭前の月を望み、独り襟を霑(うるほ)す。護摩僧最珍、出で逢ふ。深更に帰る。漸く、旬月を送る。閑居寂寥たり。啻(ただ)、前途後栄の憑み無きのみにあらず。天曙日暮毎に、遠隔慈悲の恩容、恋慕の思ひ、堪へ忍び難し。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(嘉禄元年五月)十六日。天晴る。未の時許りに中将来たる。昨日参内。日来定めて所労ありて出仕せざる由、人々に披露す。昨日、親俊初めて七瀬御祓ひの使に奉行。七人催し出づと云々。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(寛喜二年五月)十九日(庚戌)。簷の溜り未だ乾かず。朝陽初めて見ゆ(巳の時に及び又雨降る)。桔梗の花初めて開く(今年甚だ速し)。終日雨降る(或は止み、陽景見ゆ)。夕に雷電。終夜、雨沃ぐが如し。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

貞治二のとしさ月中の十日。四の海しづまり。万国風おさまれるころ。春の杪は名ごりなくしげりはてゝ。夏木だちおりえがほなるに。(略)きのふ十日と沙汰有しに。雨の余波庭の露払がたきによりて。今日十一日なるべし。まづ辰の時に。為遠朝臣参りて。御装束拵。(略)賀茂の輩参て渡殿の座につく。鞠足の公卿殿上人次第に参着す。まづ蔵人懐国露払の鞠をもて庭中にをく。やがて露はらひの人数めしたてらる。基清朝臣。懐国。敏久。音平。能隆。商久。重敏など次第にたつ。いく程なくて露払とゞまる。殿直廬にて沓韈はきて。庭上を経て座につかる。蔵人懐国露払の鞠をとりてしりぞく。此間蔵人また枝に二付たるまり〈白まり上。ふすべ鞠下。〉をもちて。北の御所の木の下。北面の立蔀によせたつ。其後出御あり。(略)御直衣薄色の御指貫。〈文くゎにあられ。〉(略)御鞠かずありていとおもしろし。今日員申人のなきぞいと心えぬ事に侍る。されどその人なければちからなし。今日人々のあしもとすぐれてみゆ。右衛門督桜をよきてといひける面かげ。夏の梢にもうかむ心ちして。名残恋しきなどながめけむ人もありけんかし。(略)
(貞治二年御鞠記~群書類従19)


古典の季節表現 夏 五月上旬

2016年05月06日 | 日本古典文学-夏

 かゝる紛れどもにて春も暮れぬるに、花の盛りを頼めつゝ訪(と)はずなりぬる人に、五月一日比、盛りなる藤に付けて遣はし侍。
  頼めてもとはれぬ花の春暮れてたれ松山とかゝる藤波
  とへや君山時鳥おとづれて小田の早苗も取りそむる比
返事に、
  頼め来(こ)し花の盛りは過ぬれど今も心にかゝる藤波
  時鳥さこそ五月の己(をの)が比鳴くや山路を思ひやりつゝ
(竹むきが記~岩波・新日本古典文学大系51)

五月九日兵部少輔大伴宿祢家持之宅集宴
我が背子が宿のなでしこ日並べて雨は降れども色も変らず
 右一首大原真人今城
ひさかたの雨は降りしくなでしこがいや初花に恋しき我が背
 右一首大伴宿祢家持
(万葉集~バージニア大学HPより)

五月のはじめの日になりぬれば、れいの大夫
うちとけてけふだにきかんほとゝぎすしのびもあへぬときはきにけり
かへりごと
ほとゝぎすかくれなきねをきかせてはかけはなれぬるみとやなるらん
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

 かくしつつ、五月にもなりぬ。菖蒲重ねの薄様(うすやう)にて、侍従のもとへ菖蒲遣(つか)はすとて、少将、
 心ざし深き沼々たづねつつ引けるあやめの跡の根を見よ
(住吉物語~「中世王朝物語全集11」笠間書院)

 承安二年五月東山仙洞にして公卿侍臣以下を左右に分ちて鵯合の事
 承安二年五月二日、東山仙洞にて鵯合(ひよどりあはせ)のことありけり。公卿・侍臣・僧徒・上下の北面の輩(ともがら)、つねに伺候のものども、左右をわかたれたり。左方頭、内蔵頭親信朝臣、右方頭、右近中将定能朝臣也。前夜、寝殿の巽(たつみ)にあたりて地台一面をおく。五節の造物の台のごとし。款冬(やまぶき)をむすびてうゑたり。其上に銀の賢木を栽(うゑ)て、葉柯に用(もちゐ)て銀台をすゑたり。たかさ八尺ばかり也。色どりて藤花をむすびてかけたり。葉柯の南に玉の鵯籠をおく。その北に銀鵯をいれておく。かりやの東砌に、第一の間にあたりて、挿花台をたてゝ、勝負の算とす。其北に錦円座を敷て太鼓・鉦鼓をたつ。仮屋の艮(うしとら)に、盧橘樹をつくりてうゑたり。同(おなじく)北の妻には、薔薇をつくりて栽(うゑ)たり。東砌には松樹に藤をかけてうゑたり。其外牡丹・款冬などをつくりて栽(うゑ)たり。(略)先(まづ)左方念人着座、次右方念人、西の中門を入て参進のあひだ、まゐり音声あり。竹屋をつくりて、黒木の屋に擬して、春日詣に准じけり。新源中納言拍子をとりて、「春日なる御堂の山のあをやまの」とうたふ。右中将定能朝臣、篳篥をふく。右少将雅賢、和琴を弾ず、府随身二人和琴をかく。件(くだんの)両人間(まま)助音しけり。又陪従信綱もおなじくつけゝり。右兵衛佐基範笛をふく。念人中雅賢朝臣・基範・侍従家保等、舞人の装束をして参進。見る人嗟嘆せずといふことなし。念人等右着座の後、左右の頭をめす。左方、伊予守親信朝臣、右方、右中将定能朝臣、御前にまゐる。左右の鳥、同時に持参すべきよしを仰す。即(すなはち)両方の鳥を持参して、南階の間のすのこにおく。一番左、右衛門督の鳥、字(あざな)無名丸、左少将盛頼朝臣持参す。右、五条大納言の鳥、字(あざな)千与丸、右少将雅賢朝臣持参す。左右ともにうそをふく。其興なきにあらず、勝負いかやうにみゆるやのよし、定能朝臣をもてたづね仰られければ、(略)左右持にさだめられにけり。仍(よりて)両方かずをさす。左方の算判蔵人右少将親宗、銀鵯一羽とりて参進して葉柯につく。次雅賢朝臣、先(まづ)挿冠(かざし)の花をぬきて、錦円座につく。次鳥をとりて退入(しりぞきいる)。盛頼朝臣おなじく鳥をとりてしりぞき入(いる)。其後十二番ありけり。左方勝四番、右方勝二番、持六番也。次左方楽器をたつ。次楽人参進して楽を奏す。次陵王、陵王の終頭に、右方より定能朝臣をもて此の如きの興遊に、左右勝負舞を奏する事先例あり、いかやうに存ず可き哉之由奏しければ、用意の事等、右懃仕す可き之由おほせられけり。次納蘇利を奏す。右近将曹多好方・右近多成長等つかうまつりけり。次右方楽人散楽、北面下臈等、錦の地鋪(ぢしき)を庭上に敷て、舞台に擬す。妓女二人、甘洲をまふ。負方妓女の舞を奏する事、いはれなき事なれども、用意のこと懃仕すべきよし仰下さるゝあひだ、奏しける也。源中納言鞨鼓をうちて、たかく唱歌(しゃうが)ありけり。此の間盃を羞む。右方人座を立て退去して、中門廊辺に徘徊しけり。次左右歌女(うたひめ)唱歌・舞妓猶舞(まふ)、興遊にたへず。公卿已下庭上にて乱舞ありけり。一日の放宴を為すと雖ども、定めて万代之美談を備ふる歟。昏黒事了、おのおの退出の事、(略)
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系84)

六日のつとめてよりあめはじまりて三四日ふる。かはとまさりて人ながるといふ。それもよろづをながめおもふにいといふかぎりにもあらねどいまはおもなれにたることなどはいかにも/\おもはぬに、このいし山にあひたりし法師のもとより「御いのりをなんする」といひたる かへりごとに「いまはかぎりにおもひはてにたるみをばほとけもいかゞし給はん、たゞいまはこの大夫を人々しくてあらせ給へなど許を申し給へ」とかくにぞなにとにかあらんかきくらしてなみだこぼるゝ。
(蜻蛉日記~バージニア大学HPより)

寛弘六年五月一日、乙卯。
内裏に参った。上野国の諸牧の御駒牽が行なわれた。
今朝、沐浴した。或る人が云ったことには、「五月は髪を洗わない。また、月の一日は沐浴を忌む」と云うことだ。そこで『暦林』を見てみると、「五月一日に髪を洗うのは良い。この日に沐浴すると、人の目を明るくし、長命富貴となる」と。また、云ったことには、「五月一日、日の出に沐浴すれば、過三百を除き、人に病を無くさせる。また、卯の日の沐浴、五月一日の沐浴は、寿命を延ばし、禍を除く」と。一に云ったことには、「朔日に沐浴すれば、三箇月を出ないで大喜が有る」と。これらの文が有ったので、沐浴を行なったのである。今日、内裏に参った。右近の仗座に伺候した。これより前、右大将(藤原実資)・中宮大夫(藤原斉信)・大蔵卿(藤原正光)が参られた。外記(小野)文義が小庭に進んで、御馬解文が揃っているということを申した。(略)
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

長保五年五月一日、庚寅。
外記庁に参った。左府(藤原道長)の許に参った。法華三十講始が行なわれた。院源僧都と林懐已講を証義者とした。朝晴を講師とした。日助を問者とした。講が終わって、作文会が行なわれた。文章博士(弓削)以言宿禰を題者とした。「雨は水上の糸である」を題とした。韻は流であった。そこで以言を序者とした。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

長保五年五月六日、乙未。
昨日と今日は物忌であった。召しが有ったので、晩方、内裏に参った。作文会が行なわれた。
題は「初蝉(しょぜん)、わずかに一声」であった。心を韻とした。(藤原)広業が序者となった。左大臣(道長)・左右衛門督(藤原公任・藤原斉信)・弼(藤原有国)・中将(源俊賢)・左大弁(藤原忠輔)・(藤原)実成・(高階)明順・(源)道方・(源)明理・(源)伊頼・(源)道済が、詩を献上した。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

(長和二年五月)十日、庚子。
楽人たちを召して、小さな管弦の宴遊を行なって仏に供した。一日中、雨が降った。また、詩題をだした。後に人々は分散して帰り、各々、家において詩を作って、明日、持って来るように伝えた。深夜、人々は退出した。題は、「蓮の香りが近く、衣に入った」であった。薫を韻とした。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

(元久元年五月)五日。天晴る。鳥羽殿に参ず。御出でおはしますの後に、退出す。明日、五節の遊びを行はるべしと云々。近習の公卿以下、殿上人六位となす。乱舞遊宴あるべしと云々。無骨の物、召されず。尤も然るべし。
六日。以後三ヶ日、籠居。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(寛喜元年五月)五日(壬申)。朝天晴る。(略)牡丹の花盛んに開く。此の花端午の日に逢ひ、年来之を見ず。瞿麦此の間に漸く綻ぶ。(略)
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

 武徳殿の小五月(こさつき)の競馬は、埒(らち)の弘(ひろ)ければ、遠騎(とほのり)なり。しかりといへども、勝負は事の外に早速なり。(略)
(中外抄~岩波・新日本古典文学大系32)

(2015年5月1日の「古典の季節表現 夏 五月一日」の記事は削除しました。)