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古典和歌をメインにブログを書いてます。歌題ごとに和歌を四季に分類。

古典の季節表現 夏 五月 最勝講

2018年05月27日 | 日本古典文学-夏

最勝講は十八日よりなれば、結願廿二日也。行香にたつ人々、左大臣殿〔近衞殿〕・花山院大納言〔さだまさ〕・權大納言〔さねを〕などぞ、御あかしのひかりにほのみしりたりし。さならぬ人々はいとみわかず。殿はおにの間に候はせ給ふ。きゝもしらぬ論議のこゑも、結願なにとなく名殘おほくて、辨内侍、
くらべみる御法のちゑの花ならばけふやはつかに蕾開けん
(弁内侍日記~群書類從18)

さいしよう講は、廿二日よりはじまりて、廿六日結願也。この御所にては、これがはじめなれば、めづらかに、行香のほどおもしろし。鬼の間をかみにて、御てうづの間・大ばん所はうしろに(*一字欠)、堀川内大臣ともみ・冷泉大納言・權大納言・新大納言・左衞門督・三條中納言、ふぞくさだひら・きんたゞ。ことゞもおそくはじまりて、有明の月出づるほどに、人々出で給ひし。そのころ〔廿三日〕聖護院僧正、正觀音法おこなはる。ひろ御所、廿七日結願なるべきを、そのよ行幸にて侍りしかば、あかつきの御ときをひきあげて、夕暮れにおこなはれし。れいのこゑもことさら心すみてたふとかりしかば、辨内侍、
曉のかねよりもなほ夕ぐれのれいじにれいの聲もすみけり
(弁内侍日記~群書類從18)

やうやう十日あまりになりぬれば最勝講いとなみあひまゐらせてと聞きしかば、はてての十余日ばかりのつれづれ物語には、その日の論議を言ひ出し、いみじさなど沙汰せさせ給ひし思ひ出でらる。
(讃岐典侍日記~岩波文庫)

かくてとしかはりぬれは寛元元年ときこゆ。五月廿六日より最勝講はじめておこなはる。関白をはじめ上達部殿上人残りなくまいり給ふ。左右大将〈たゝいへ さねもと〉のくるま陣にたつるとて。あらそひのゝしりていみじうおそろし。
(増鏡~国文学研究資料館HPより)

 仁平二年五月十七日、最勝講おこなはれけるに、中山内府、蔵人左衛門佐にて奉行せられけるに、廿一日結願日、左大臣まゐり給て、御装束をみさせ給けるに、九条大相国大納言にておはしけり、資信中納言の左大弁とて参られたりけるが、講読師座のたてや、例にたがひたるよし申されけるにつきて、左府、奉行の職事におほせられて、なほされにけり。左府、のちに日記をみさせ給けるに、本(もと)の御装束たがはざりければ、僻説にてなおされつる事をくいたまひて、怠状をかきて職事のもとにつかはしける、正直なりける事かな。
(古今著聞集~岩波・日本古典文学大系)

最勝講の御聽聞所なるをば、「御かうのろ」とこそいふ を、「かうろ」といふ、くちをしとぞ、ふるき人はおほせられし。
(徒然草~バージニア大学HPより)

(嘉禄元年五月)廿日(庚辰)。天晴る。巳後に陰る。夜に入りて雨降る。(略)今日、最勝講始めと云々。猷僧都に小字経・却温神咒経を請け奉る。竹の筒に入れ、門の上に(釘を以て)打つ。今日、同経を書き奉る。承源の本なり。即ち承源に供養せしむ。
廿四日。(略)最勝講結願と云々。(略)
廿六日。天晴る。未後に陰る。経高卿書状に云ふ、最勝講の初日の行香足らず。通方資経卿、笏を置き参じ進むの間、中納言中将、御前の座を起ち、小板敷に於て剣を解き、笏を把りて帰参さる。之を見て両卿帰り来たり、笏を把り上戸を出づるの間、資経又思ひ返し、帰りて笏を御倚子の前に置き、行香し訖んぬ。通方、家嗣卿の笏を取り、帰り来たる。彼の卿来たるの後、之を取り替ふ。不請の気有りと云々。行香、猶新儀に及ぶ。狂乱の作法か。尤も末代の議に叶ふ。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

(寛喜元年五月)廿三日(庚寅)。天晴る。最勝講始めと云々。法眼長賢、巳の時許りに来たる。奈良禅師の御房聴衆に参ぜしめ給ふ。殿上人両方の御随身、迎送し奉るべしと云々。時を得たる御運か。尤も以て厳重なり。夜に入り宰相来たる。最勝講に参じ早く出づ。禅師御房、御直蘆より参じ給ふ。殿下・左大将殿御随身前行。殿上人師季朝臣・有教朝臣・雅継朝臣・頼行・能定等御供に在り。公卿殿下・左大臣・右大臣・右大将・中納言通方・経通・定高・参議伊平・隆親・為家・範輔・宣経。堂童子信盛・能定・兼宣・宗氏。治部卿、御願の趣を仰すと云々。明日参ずべき公卿、大納言雅親・中納言国通・雷資・参議経高・家光・範輔(此の宰相五巻の日、第四日)。禅師御房の御所作五巻の日に参ずべしと云々。(略)
廿六日(癸巳)。曙後に雨止み、天晴陰。(略)昨日の最勝講、殿下・右大臣殿・大納言雅親・大将・家嗣・中納言公氏・通方・経通・実基・定高・具実・参議隆親・為家・宣経。出居宗平・雅継・実蔭・兼輔・実任。堂童子信盛・宣実・能定・知宗と云々。侍従、門前に来たる。病者に逢はずして帰る。夕に定修来たる。逢はず。最勝講の聴衆、座主挙げ申し給ふ。殿下御返事なしと云々。排堂供奉の事、一事の恩顧なし。騎馬すべきの由責め有りと云々。不運の法師、文拙きを以て交衆。尤も由無き事か。只暗き跡雲霞たるべき者なり。
廿八日(乙未)。漢雲遠く晴る。今日、最勝講僧名を見及ぶ。
證義者、僧正実尊・法印聖覚。
初日。朝座講師、覚遍。問者番範。暮。公性。問。良遍。
第二日。円聡・良盛・親縁・道喜。
第三日。憲円。問。尊家。暮の講師、長静、円―。
第四日。同じく、経円・円成。同じく聖基・経海。
結願。同じく智円・実縁。同じく、公命・定兼。
威儀師。厳儀(惣じて庁に在り)、従儀師相円(惣じて是れ又)。僧事、大僧正実尊・円基辞退の替へ(五月廿七日)。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

十九日。癸巳。小雨降ル。申ノ刻天晴。今日最勝講ノ始ナリ。
(吾妻鏡【嘉禎四年五月十九日】条~国文学研究資料館HPより)

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古典の季節表現 夏 雷鳴陣

2018年05月26日 | 日本古典文学-夏

神のいたく鳴るをりに、雷鳴の陣こそいみじうおそろしけれ。左右大將、中少將などの、 御格子のつらに侍ひ給ふ、いとをかしげなり。はてぬるをり、大將の仰せて、のぼりおり との給ふらん。
(枕草子~バージニア大学HPより)

(長徳元年七月)二日。
内裏に参った。頭中将が云ったことには、「雷鳴(かんなり)の時に陣を立てることは、通例のとおりである。ただし村上天皇の御代、額(がく)の間を夾(はさ)んで南北に陣居(じんきょ)した。左少将済時と右中将延光であった。この時、主上が出御された。陣居の作法は違例であるということを、延光朝臣にお問いになられた。延光朝臣が申して云ったことには、『私については、兵衛府から近衛府に遷ってきました。それから幾(いくば)くも経っておりません。旧例を知ることは難しいのです。左近衛府の儀に従ったのです』ということだ。そこでまた、済時に問われたところ、まったく申すところは無かった。『この座は、やはり南北に向くべきである。東西に陣居すべきである』ということだ。ただしこの御座については、故中納言(源保光)の申された儀が、甚だ善(よ)かった。そこでその説に随った」ということだ〈少将以上は南北に相対する。共に西を上とするのである。〉。蔵人弁が云ったことには、「去る正暦四年にも、また雷鳴陣が行なわれた。故将軍は、その陣に伺候された。また南北に陣居した」と云うことだ。「この日の御座は、大床子(だいしょうじ)の御座にあるべきである。或いは昼御座(ひのおまし)の南に供すべきである。また、大床子の南に供すべきである」と云うことだ。
(権記〈現代語訳〉~講談社学術文庫)

(寛弘七年六月)六日、癸丑。
「雷電が数声あった。雷鳴陣を立てた」ということだ。右大将が内裏に参って、雷鳴陣を解いた。夜に入って、内裏、および東宮の許に参った。
(御堂関白記〈全現代語訳〉~講談社学術文庫)

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古典の季節表現 夏 時鳥(ほととぎす)に寄せて(恋)

2018年05月04日 | 日本古典文学-夏

 恋歌中に
わがための卯月なりけりきみこふとやまほととぎすねをのみぞなく
(逸名歌集-穂久邇文庫~『新編国歌大観10』角川書店、平成4年

四月はかり、久しう音せぬ人に 実方朝臣 
卯花の垣ねかくれのほとゝきすわか忍ひねといつれ程へぬ
返し よみ人しらす 
人しれぬかきねかくれの郭公ことかたらひてなかぬ夜そなき 
(新千載和歌集~国文学研究資料館HPより)

四月はかりに物いひそめける人の、さ月まて忍ひけるにつかはしける 実方朝臣 
忍ひねのほとは過にき郭公なにゝつけてか今はなかまし 
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

五せちの命婦のもとにたかさた忍ひにかよふときゝて、たれともしらてかの命婦のもとにさしをかせはへりける 六条斎院宣旨 
忍ひ音をきゝこそわたれ時鳥かよふかきねのかくれなけれは 
(後拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

兵衛佐に侍ける時、五月はかりによそなからもの申そめてつかはしける 法成寺入道前摂政太政大臣
郭公声をはきけと花のえにまたふみなれぬ物をこそおもへ
返し 馬内侍
ほとゝきすしのふる物をかしは木のもりても声の聞えけるかな
(新古今和歌集~国文学研究資料館HPより)

忍びて御覧ぜられける女のもとにて、暁、ほととぎすの鳴き渡るを聞かせ給ひて たいの先帝の御歌
ほととぎす鳴きていづくに過ぎぬらん我のみつらきしののめの空
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

五月ばかり、女のもとにまかりて、帰らんとしける暁、ほととぎすの鳴きければ 雲居の月の左大臣
五月雨にぬれてや来鳴くほととぎす飽かぬ名残の袖にたぐへて
(風葉和歌集~岩波文庫「王朝物語秀歌選」)

つごもりの日、女、
ほとゝぎすよにかくれたるしのびねをいつかはきかんけふもすぎなば
ときこえさせたれど、人々あまたさぶらひけるほどにて、え御らむぜさせず。 つとめてもてまいりたれば、みたまひて、
しのびねはくるしきものを時鳥こだかきこゑをけふよりはきけ
とて、二三日ありてしのびてわたらせたまへり。
(和泉式部日記~バージニア大学HPより)

橘の花散る里の霍公鳥片恋しつつ鳴く日しぞ多き
(万葉集~バージニア大学HPより)

わかやとのはなたちはなにほとときすよふかくなけはこひまさるなり
(家持集~日文研HPより)

いはてかくおもふこころをほとときすよふかくなきてきかせやはせぬ
ものをこそいはてのやまのほとときすひとしれぬねをなきつつそふる
(斎宮女御集~日文研HPより)

われはまつ人はこずゑのほとゝきすよはのねをのみなきわたるかな
(麗花集断簡~古筆手鑑大成⑥「あけぼの・上(梅沢記念館蔵)」昭和61年、角川書店)

 おなじ比(ころ)、夜床(よどこ)にてほとゝぎすをきゝたりしに、ひとりねざめに、又かはらぬ声にてすぎしを、そのつとめて、文(ふみ)のありしついでに、
もろともにことかたらひしあけぼのにかはらざりつるほとゝぎすかな
 かへしに、「われしも思ひいづるを」など、さしもあらじとおぼゆることどもをいひて、
思ひいでてねざめし床(とこ)のあはれをもゆきてつげけるほとゝぎすかな
(建礼門院右京大夫集~岩波文庫)

なけきのみしけきみ山の時鳥木かくれゐてもねをのみそなく
(大和物語~バージニア大学HPより)

おもふ事侍けるころ、ほとゝきすをきゝて よみ人しらす
おりはへて音をのみそなく郭公しけきなけきの枝ことにゐて
(後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

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古典の季節表現 夏 四月上卯日 稲荷祭

2018年04月10日 | 日本古典文学-夏

 稲荷祭見しに、傍らなる車の粽(ちまき)など取り入れて苦しきを、まろが車に取り入れしと、公信の少将、蔵人の少将言ひけると聞きしを、一日祭を見るとて車の前を過ぐる程に、木綿(ゆふ)かけて取り入れさせし
稲荷にも言はると聞きしなき事を今日は糺(ただす)の神にまかする
 返し
何事と知らぬ人には木綿襷(ゆふだすき)なにか糺(ただす)の神にかくらん
 と言ひたれば、幣(みてぐら)のやうに、紙をして書きてやる
神かけて君はあらがふ誰かさはよるべに溜(たま)るみづと言ひける
(和泉式部集~岩波文庫)

(建仁二年四月)十七日。天陰り、雨灑ぐ。稲荷の祭を見んがため、小児等桟敷に向はしむ。予、大臣殿に参じて退下す。今日、三位中将殿行始め。右中将御共に参ずと云々。
(『訓読明月記』今川文雄訳、河出書房新社)

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古典の季節表現 夏 夏の夕

2017年06月24日 | 日本古典文学-夏

ほのかなるかけとはみえすゆふつくようのはなかきのたそかれのやと
(嘉元百首~日文研HPより)

かすならぬみのうのはなのさきみたれものをそおもふなつのゆふくれ
(順集~日文研HPより)

なにしおははしはしやすらへほとときすたちはなてらのなつのゆふくれ
(後鳥羽院御集~日文研HPより)
 
ふるかはのきしのあたりのあさくさにつはななみよるなつのゆふかせ
(新撰和歌六帖
 
みくりはふみきはのまこもうちそよきかはつなくなりあめのくれかた
(拾遺愚草員外~日文研HPより)
 
かはつなくたなかのゐとにひはくれておもたかなひくかせわたるなり
(夫木抄~日文研HPより)
 
ふるさとのにはのさゆりはたまちりてほたるとひかふなつのゆふくれ
(秋篠月清集~日文研HPより)

堀河院に百首歌奉りける時 権大納言師頼 
草ふかみあさちましりの沼水に蛍とひかふ夏の夕暮 
(続後撰和歌集~国文学研究資料館HPより)

夏歌の中に 参議雅経
露まかふ日影になひく浅ちふのをのつから吹夏の夕かせ 
(続拾遺和歌集~国文学研究資料館HPより)

夏歌の中に 民部卿為世 
入日さす峰のこすゑに鳴蝉の声をのこしてくるゝ山もと 
(玉葉和歌集~国文学研究資料館HPより)

 昼の御座にうち臥したまひて、御物語など聞こえたまふほどに暮れにけり。すこし大殿籠もり入りにけるに、ひぐらしのはなやかに鳴くにおどろきたまひて、
 「さらば、道たどたどしからぬほどに」
 とて、御衣などたてまつり直す。
 「月待ちて、とも言ふなるものを」
 と、いと若やかなるさましてのたまふは、憎からずかし。「その間にも、とや思す」と、心苦しげに思して、立ち止まりたまふ。
 「夕露に袖濡らせとやひぐらしの鳴くを聞く聞く起きて行くらむ」
 片なりなる御心にまかせて言ひ出でたまへるもらうたければ、ついゐて、
 「あな、苦しや」
 と、うち嘆きたまふ。
 「待つ里もいかが聞くらむ方がたに心騒がすひぐらしの声」
(源氏物語・若菜下~バージニア大学HPより)

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