昨日、映画「家族を想うとき」を見に、恵比寿ガーデンシネマに行ってきました。
『舞台はイギリスのニューカッスル。ターナー家の父リッキーはフランチャイズの宅配ドライバーとして独立。母のアビーはパートタイムの介護福祉士として1日中働いている。家族を幸せにするはずの仕事が家族との時間を奪っていき、高校生の長男セブと小学生の娘のライザ・ジェーンは寂しい想いを募らせてゆく。そんな中、リッキーがある事件に巻き込まれてしまう──。』(HP「イントロダクション」より)
名作「わたしは、ダニエル・ブレイク」の監督ケン・ローチ氏が、今の時代に翻弄される市井の人たちの姿を再び描き出したこの映画。日本でも去年12月に公開されて、以来ずっと「見たい」と「でも辛すぎそう」の狭間で迷っていたのですが、上映もそろそろ終わりに近づき、友人の勧めもあって、ついに見ることにしました。
家族との豊かな暮らしを望んで、頑張ればそれだけ収入が増えるとフランチャイズの宅配ドライバーに転職したリッキー。介護福祉士としてお年寄りに寄り添い、時に決められた時間を超えて介護するアビー。
心優しく、家族を愛する普通の家庭人が、格差が拡大する現代の、効率と競争と自己責任の社会システムに翻弄され、疲れ切り、圧し潰されていく・・・。
高校生の長男の、大人になる過程で誰もが体験する、自立と自己発見のための「反抗期」の行動が、結果的に余裕を失った親の仕事の時間を奪い、仲の良かった家族が罵りあい家庭は崩壊の危機に向かう・・・。
今の日本社会にも広く、深く内在している問題が、4人の自然な演技によってリアルに描き出され、「何とか幸せの兆しを示して欲しい」の願いむなしく、不安な気持ちを抱えたまま、エンドロールを眺めることになりました。
予想した通り「救いがない」現実の描写に、半ば打ちのめされつつ、ケン・ローチ監督に新たに突き付けられたテーマ、人間の価値や個人としての生き方、社会との向き合い方を、自問する気持ちにもなり、若い人たちが沢山見に来ていたことそのものに、「希望」や「救い」を感じた映画鑑賞でした。(三女)