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砂漠の朝

大人になれない人の育児日記。
奇跡講座ワークブックを実践中。

悲しいもんは悲しいんだ

2025-03-27 11:45:13 | 日記
母の手や、曲がった足腰、閉じて小さくなった目、などを思い出すと
どうしても悲しみが押し寄せてくる。母が倒れたのが2011年なので
再発もなしに、13年と4ヶ月ずっと施設に居た。

どの施設に移っても頻繁に面会に行ってたけど、今思えば迷惑だった
かもしれないな、と思う。末っ子の承認欲求だったな。必要とされて
ると信じて疑わない。母が寂しい思いをしてるだろうと。

さすがにコロナになってから、家族の代表者だけが予約をとる
システムになり、父が入所し、ほぼ最後の1、2年はほとんど
母のところへ行けなかった。私は母を笑顔に出来ない(姉は出来る)
それと、私が行くと、施設の人に、母に遺書の手紙を書かせてるのでは?と
勘違いされるんじゃないかと、色々考えて行くのを控えた。
(トラブルを連想させる見た目なんだ)

そうやって、13年かけてさよなら出来たと思ってる。
また自分ひとりの思い込みだとは思うが、葬儀のときもそんなに
涙は出なかった。母を体と思わないようにしていた。奇跡講座
のおしえ。色々作業を一緒にしてると思うようにしてた。
きっとぐじゃぐじゃに泣くと思ったけど。ハンカチ2枚用意
しようと思ったけど。

でも、ふとした瞬間、意図してないとき、泣くときがある。
娘と何気なく「(娘は)おばあちゃんに似てる」という話をしてるとき、
どこが?と訊く娘に、「寝ながら足あげるとこが」と答えながら
「(私は)おばあちゃんのことどう思ってんだ!」と自分に突っ込んだら
娘曰く、

「大好き」

はい号泣。嗚咽。予期できない言葉、真実にその夜は泣いた。初めて
しっかり泣いた。夫にも「泣け」と言われた。思い出しても泣く。

良い感情しか泣けない。真実しか泣けない。だから、私が行っても
迷惑だったかも、というのは嘘なんだ。

私を産んで育ててくれて感謝しています。ほら涙出る。

今だけは、自我の誘惑、と思わず泣かせて欲しい。



無関係

2025-03-27 06:22:00 | 奇跡講座テキスト or ワークブック
奇跡講座ワークブック2周目 レッスン77

「私には奇跡を自分のものにする資格があります」


私は葛藤する存在である必要はありません。私は、不平不満を抱く
存在である必要はありません。私の意志は神と同じ意志だけです。
その意志しかありません。それ以外は幻想で、無意味なものです。

その無意味な意識とは無関係に、私が望もうが望むまいが奇跡は
そこにあります。私はそれを自分のものであると宣言できます。
それは神の願いだからです。

奇跡というものがどういうものか、私には理解できませんが、
不平不満の代わりにそれを望みます。それは私に属するものだから
です。愛が愛と同じように、喜びが喜びと同じように、
安心が安心と同じように、完璧さが完璧と同じように創造してくれた
私に属するものだからそれを望みます。それは私が見ているこの
世界とは何の関係もありません。それは理由になりません。
それは私の属性ではありません。

私の願いは神の願いと同じです。私の意志は神に逆らっていません。
それは「救い」です。元に戻ることです。しかし、私はまだ
それを本当に望んでいるのか自信はありません。でも、私は
幸せになりたいし、私の今の心では幸せになれないので「救い」
を求めます。そのために「赦し」を果たせるようになることを
望みます。