母の手や、曲がった足腰、閉じて小さくなった目、などを思い出すと
どうしても悲しみが押し寄せてくる。母が倒れたのが2011年なので
再発もなしに、13年と4ヶ月ずっと施設に居た。
どの施設に移っても頻繁に面会に行ってたけど、今思えば迷惑だった
かもしれないな、と思う。末っ子の承認欲求だったな。必要とされて
ると信じて疑わない。母が寂しい思いをしてるだろうと。
さすがにコロナになってから、家族の代表者だけが予約をとる
システムになり、父が入所し、ほぼ最後の1、2年はほとんど
母のところへ行けなかった。私は母を笑顔に出来ない(姉は出来る)
それと、私が行くと、施設の人に、母に遺書の手紙を書かせてるのでは?と
勘違いされるんじゃないかと、色々考えて行くのを控えた。
(トラブルを連想させる見た目なんだ)
そうやって、13年かけてさよなら出来たと思ってる。
また自分ひとりの思い込みだとは思うが、葬儀のときもそんなに
涙は出なかった。母を体と思わないようにしていた。奇跡講座
のおしえ。色々作業を一緒にしてると思うようにしてた。
きっとぐじゃぐじゃに泣くと思ったけど。ハンカチ2枚用意
しようと思ったけど。
でも、ふとした瞬間、意図してないとき、泣くときがある。
娘と何気なく「(娘は)おばあちゃんに似てる」という話をしてるとき、
どこが?と訊く娘に、「寝ながら足あげるとこが」と答えながら
「(私は)おばあちゃんのことどう思ってんだ!」と自分に突っ込んだら
娘曰く、
「大好き」
はい号泣。嗚咽。予期できない言葉、真実にその夜は泣いた。初めて
しっかり泣いた。夫にも「泣け」と言われた。思い出しても泣く。
良い感情しか泣けない。真実しか泣けない。だから、私が行っても
迷惑だったかも、というのは嘘なんだ。
私を産んで育ててくれて感謝しています。ほら涙出る。
今だけは、自我の誘惑、と思わず泣かせて欲しい。