奇跡講座ワークブック2周目 レッスン98
「私は、神の救済計画においての私の役割を受け入れます」
もう姉のペースには付き合いきれない、と思い、電話で色々
訴えたが結局「そんなにいやなら父を連れてこればいい」とな。
あれだけ逃げ回って、その言い草。そんなに平気風ならなぜ
最初からそちらで面倒を看なかった?そう言われると、急に
父にずっとここに居て欲しくなった。がしかし、夫がストレス
は否めないとのことで、ここは心を鬼にして連れて行った。
こんな喪失感は初めてだった。亡くなってないのに、ただ
姉のところへ移っただけなのに、父のスペース、あれだけいや
だった粉ふき、はぶらし、タオル、時計、テーブル、トイレの明かり、
湯飲み、お茶、食事の支度、、食材、、数分前、数時間前、
1日前に戻れたらどんなにいいかと1日中泣いた。いやな日も
あれば、父の笑顔をちゃんと見さえすれば癒された。
はじめて父を恋しいと思った、多分、卒業式の比ではない
彼氏の比ではない。夫の比ではない。
でもきっと父はどこでも大丈夫だろうと思ったら少し落ち着いた。
そして今日は母の四十九日。父は姉のところ。母の遺骨はこちら。
全て母の計画だろうと受け入れています。姉とも朝おちついて話せた。
父は皿洗いを手伝ってくれたとのこと。ふっ・・・。よかった。
母が亡くなった時間帯に近づくにつれ、肉体の喪失感に引っぱられるが
引っぱられていいのかだめなのか、思いに任せたいが、それさえも
できず、四十九日が何なのよ、となってます。何をもって供養なのよ
と思ってます。思い出を思い出すと泣くの。あのときのこと思い出すと
どうしても涙出る。いつも母の腕に絡まってどんなにくっついて寝ても
足りないくらいだった。心地よすぎて。いて当たり前。最後は
お見舞いにいけなくてごめん。ひとりで逝かせてごめんね。
ずっと大好きだよ。多分かわいくない娘だったと思う。たまには
可愛かったと思う。毎日毎日毎日毎日ご飯をありがとう!
高校の寮生活のとき、ひとりぐらしのとき、結婚してから、と、
我が家にたびたびきてくれてありがとう!いつも一緒にいてくれてる、
と思い、姉と協力してときにケンカしながら、父のことやっていくよ。
私達がささいなことでもめてもきっと笑ってる気がして!
何が悲しくさせるのだろう。ありえない。おめでとうと言いたいくらい
なのに。おめでとう。会えるの楽しみにしてます。それまで楽しく
待って過ごします。