mokoangelの青島日記

夫との7年間の中国留学を終え7月に帰国しました
これからの日本での生活を模索中です

五台山③~三塔寺、塔院寺、万佛寺&珠像寺

2014-06-01 21:36:39 | 旅行

菩薩頂を表門から出て・・・

この108段ある階段を下りて行けば・・顕通寺&塔院寺に行けるはずだった

写真中央上部に見える白い塔が塔院寺の大白塔なのだ


階段を下り切った辺りに、お土産や飲み物を売っている・・まだ11時を過ぎたばかりだと言うのに

夫はお腹が空いたのか・・ここで休憩して食事をしていこうと言うので、持ってきた昨夜の打包を出して食べる

 

お腹も満腹になり(しかし、中国の打包はとても便利)・・・周りに露店があっても私たちは食べられない

だが、私たちには打包の食糧で十分なのだ、しかも経済的で嬉しい・・・少し休憩をして腰を上げる


夫は壁に貼ってあるこの道案内を見て・・右の路を行くことを選択する

私は特別なことが無い限り、夫にくっついて回っているので、何も考えずについて行く


後で聞いた所では、五爷庙に行きたかったので右に行ったそうだ

それで・・・顕通寺は見逃してしまったのだ

引き返すことのあまり好きでない夫は選んだ道を前へ前へと進んでいく


顕通寺&塔院寺は五台山で見落としてはならない所だと後で知って後悔仕切りの私である

 

三塔寺

此処は余り大きくなく、観光客も車でさっと来る人たちのみの様だ

しかし、下りながら観る景色はとても良い・・・近くに尼僧の宿舎があるらしく何度かすれ違う

 ふと見上げると左手の山頂にもお寺がある

地図で調べてみると・・・黛螺顶dailuodingと記されてある  山頂まではリフトで行けるらしいが、夫はパス

今から思えば、夫も少々お疲れ気味だったのかもしれない・・日頃、私たちは昼食後1時間程の昼寝をして午後の活力とする習慣がある


 

塔院寺 内にある空へ聳えているネパール建築の白塔は元大徳五年(西暦1301年)に建てられた
塔院寺は元々顕通寺の塔院だったが、明の万歴七年ー十年(西暦1579~1582年)、寺院の改築をした際
それを機に顕通寺と分かれ、独立した寺院になった、塔院という名は白塔から得ている
中にはお釈迦の仏舎利が納められているため、五台山の至宝になっている (地図に添付された資料による)

塔院正門



此処もラマ教の寺院で、若い修行僧たちが小門脇で心身の鍛錬(五体投地)をしている


 
 
大藏经阁    素晴らしい建築に目を奪われる
 
 
 

私は幼い頃から母に「神様はお一人で、宗教は神様に通じる道を学ぶ術」と説かれ、信仰を持ちたいと色んな宗教を
学んできた
以前、旅行で九寨沟jiuzhaigouを訪ねた時、チベット族の“藏谜zangmi”と言う民族芸術(歌、踊り、劇)を観ることができた
それ以来、チベット族の文化に興味を持った・・特にあちこちで聞くラマ教のお経は、日本では聞いたことが無かったので
一種の音楽のようで耳に心地よい

「宗教は必要な時代、必要な地方、必要な人々の為に神が許された教えである」と言う言葉を聞いた時に
何故だか納得するものがあり・・歳を経てクリスチャンとなった

 清凉胜境qingliang shengjing
 
私たちはこの門を潜って出たが、本来なら此処から入って“清々しい境地”を味わえる所なのである
 
 

下に向かって歩いて行くと途中で出会った風景
 
 
捧げられた線香や捧げ物をここに集めて焼却しているようだ・・ここでも祈りを捧げている人たちが居る
 


万佛寺(五爺廟) 「五爺」というのは東海竜王の第五子のことで、文殊菩薩の化身でもあるという

万佛阁創建は明代、今建築を修築し後に清朝の遺物  主な建物に、文殊殿、五龙王殿、三 古戏台がある

 

 

殊像寺 創建は東晋の初め 文殊殿の獅子に乗った文殊菩薩像が有名

文殊殿の前で長い線香に火を点けて、東西南北に向かって祈りを捧げた後・・その線香を大香炉に差し

中に入って行って礼拝する門徒?の方たち


大文殊殿の瑞相天然的文殊騎狻猊(獅子の古称)聖像

文殊殿の釈迦像



藏经阁に安置されている釈迦牟尼像

 

 一寸一休みして、次は普化寺に参ります


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