mokoangelの青島日記

夫との7年間の中国留学を終え7月に帰国しました
これからの日本での生活を模索中です

今日は3・11です

2015-03-11 19:37:21 | thought

今日は3月11日・・・4年前のあの日、私たちの暮す宿舎にも衝撃が走った

何人かの報道記者が宿舎にもインタビューに駆けつけ・・・まだ、詳細を知らない日本人留学生に感想を求める


何が起こったのか・・大地震らしい 逆に記者から情報を得る

詳細を知ったのはもう夕方近くになっていたと思う

PCから次々と届けられる現状に胸が潰れる思いがした


外国に居ては何もできないので、祈るしかないと・・ずっと祈っていた



夏休みに被災地のドキュメント番組を二つ観た

どちらも深夜だったが観始めるとスイッチを切ることが出来なくなって延々と観続けた


一つは

被災地の私庭に設えられた白い電話ボックスに、身内を亡くした人たちが電話をかけにやってくる

電話の先にはまるで相手がいるようだった

定期的に話に来ると言う男性もいた


台風で倒れてしまった電話ボックス・・・主人は再建しようかどうかと迷うが

ニュースを知った大工の男性が駆けつけ、元通りの電話ボックスが建ち

又、電話をしたい人たちが訪れる


電話の話を聞いていて・・何だかかけている人の相手の気持ちになって聞いて仕舞っていた

頑張ってくださいね! あなたの声はちゃんと私に届いています!



もう一つは

非難所の集合住宅での生活の様子のドキュメントだった

その集合住宅は皆が協力して色んな試みをし、とても仲良く助け合って暮らしている

お料理を作っての定例お喋り会・・カラオケ大会・・色んなおけいこ事


一番感動したのは中学生の男の子が中心となって行っている早朝のラジオ体操だ

出席カードを作って毎回判を押し、休みがちな人の所へは様子を見に行ったりする


皆が一体となって楽しそうな避難所生活を送っている

心の奥には不満や不安があるに違いないけれど

連帯感を持って、とても明るく元気に暮らしているように見えた


しかし、仲間たちは少しずつ減って行く・・・残される人たちの心はいかばかりか

皆明るく、巣立って行く人たちを送る

 

PCのニュースを見ると、4年も経っているのにまだ沢山の人たちが避難所生活を余儀なくされていると言う

色んな理由があるにしろ、住む所だけでも何とかならない物だろうか

 

番組を観て、とても感動した思いが残っていて

記事にしたいと思ったのだが

1か月も経つと記憶は薄らいで・・伝えたいことも言葉足らずになってしまった


私の友人たちは何度も福島まで足を運び支援活動に参加した

私は祈り、少しばかりの寄付をすることしかできなかったが


被災地の人々の終わりのない戦いにいつまでも関心を持ち続けて居たいと思っている


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