一応自称、「ギター好きの、フォルクローレ好き」(ほかに楽器は持ってないし、だいいち扱えん。)
だからといって、誰か好きになるアーチストやら演奏家が特にいるわけでもなく、
ほかに道楽があるわけでもないので、だらだらと何十年とギターを持って鳴らしている。
つくずくいやになる自分の性癖ですが、演奏家よりも曲に魅かれてしまうので
惚れ込んだ曲以外、ほとんど手を出さないというか、下手すると聞きもしない。
そんなだから一度、曲に惚れ込むと自分なりの解釈で演奏できるまで見境なく追求してしまう。
人前での演奏の有るなしにかかわらず、何ヶ月かに一度、または何週間かに一度、
こういう曲に巡り合ってしまう。これが曲だけならまだしも唄が付くともう悲惨です。スペイン語なぞ全くわかんないし、歌詞を入手しても意味がわかんねえ。
言語というのはそれを使う人たちそのものだから、生活習慣やら考え方、体の動きやリズム感、すべてひっくるめてあるシステムそのものであるとあたしゃ思います。歌詞の中の単語のひとつひとつが、一行一行がすでにリズムやらメロディーを伴っていて ある種のシーンになっている。
これが自分の頭にないと いかにそれらしくナゾっても萎えてしまう。
台詞だけ覚えて舞台に立つ役者の芝居を見せられるぐらいつまらない。
とまあ だらだら書いているが どうしても捕らえたい、弾いてみたい、唄ってみたい曲の演奏と歌詞の聞き取り(すでに手元にあるものの...),頭の中のシーン作りにもがき始めてます。
(ヒマなんだね このおやじ)
だからといって、誰か好きになるアーチストやら演奏家が特にいるわけでもなく、
ほかに道楽があるわけでもないので、だらだらと何十年とギターを持って鳴らしている。
つくずくいやになる自分の性癖ですが、演奏家よりも曲に魅かれてしまうので
惚れ込んだ曲以外、ほとんど手を出さないというか、下手すると聞きもしない。
そんなだから一度、曲に惚れ込むと自分なりの解釈で演奏できるまで見境なく追求してしまう。
人前での演奏の有るなしにかかわらず、何ヶ月かに一度、または何週間かに一度、
こういう曲に巡り合ってしまう。これが曲だけならまだしも唄が付くともう悲惨です。スペイン語なぞ全くわかんないし、歌詞を入手しても意味がわかんねえ。
言語というのはそれを使う人たちそのものだから、生活習慣やら考え方、体の動きやリズム感、すべてひっくるめてあるシステムそのものであるとあたしゃ思います。歌詞の中の単語のひとつひとつが、一行一行がすでにリズムやらメロディーを伴っていて ある種のシーンになっている。
これが自分の頭にないと いかにそれらしくナゾっても萎えてしまう。
台詞だけ覚えて舞台に立つ役者の芝居を見せられるぐらいつまらない。
とまあ だらだら書いているが どうしても捕らえたい、弾いてみたい、唄ってみたい曲の演奏と歌詞の聞き取り(すでに手元にあるものの...),頭の中のシーン作りにもがき始めてます。
(ヒマなんだね このおやじ)