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ジョンポール常時林檎 音のこと なんやらかんやら 雑記

さても さても うららかな 春の海のごとく
のたのたと まったりと ふんわり ゆったり

捨ててこ祭り~うるうる亭~クラス会のことなど。

2012-08-19 22:40:15 | 昭和モノ

久しぶりに江別でございます。
ちょいと訳あってしばらく美瑛町のほうが長かったモンですから久しぶりの江別市はまたよろしいす。
夏なのにみょうに涼しく時おり肌寒さすら感じるのは、なんだかいつも風が吹いてるからですな。
 実家、そして自宅と股にかけた「いらんもん捨ててこ祭り」も佳境。
本日はやっとのこと22型ブラウン管PCモニター、モノクロレーザープリンターなどパソコン本体やら周辺機器やらを始末しました。
札幌になんと無料で回収(ちなみにあたしゃ持ち込みました)してくれるところを発見しました。
http://muryousapporo.blog10.fc2.com/
明日も残りのプリンターなどを処分して、別なところでいよいよ29型のブラウン管テレビ(処分費2800円なり)を持って北丘珠の某所へ。
 
 でもって本日、やまびこ座にて「うるうる亭」の公演を観る。ひとりがたり、というかひとり芝居、というか。とにかくひとりで語る舞台です。
今回、札幌のろうあ劇団舞夢のトクさんも出演するということで約一年ぶりにやまびこ座へ。
舞台のトクさんを観ていると昔、劇団舞夢さんのお芝居に音響で参加した頃の記憶が甦ってきますなあ。
トクさんの一人のシーンに曲を流してました。MDのカウンターでシーン時間を計ってました。そのシーン、何度返してもシーンの長さ、尺が同じだったことが本番を含めていまだに謎です。
聴覚障害を持つ方々は(まあ程度の差はあると思いますが)音というもの(あるいは現象)とか、時間の流れといったものをどういう感覚で捕らえているんでしょう。
ある全盲の人が指先で読書ができる(点字ではなくて普通に印刷された本)はなしを聞いたことがありますが、
人間どこかの感覚が何らかの形で欠落、あるいは機能しない場合、他の感覚がより研ぎ澄まされ優れたものになっていくんでしょうかねえ。
 次回はもう少し小さな会場での公演が観てみたいです。

ここ一週間、いろいろありまして楽しくもありほろ苦くもありまして、なんと35年ぶりの中学時代のクラス会に行ってまいりました。
まあ....関係各位。いろいろ多々ご迷惑をかけたとは思いますが...(○まちゃんには次の日電話でお詫びいたしましたが)
楽しかったす。まあこれに懲りずにまた誘ってやってください。

あの夜、Youji氏とふたりで朝4時まで飲んでまして、結局氏の自宅兼お店の小上がりで二人して酔いつぶれてしまいました。
同級生のつらい話もいろいろ聞きました。
朝、「めし作ってるから食ってってくれ」のお言葉に甘えてしまいましたが、感動したのがあのおにぎりの旨かったこと。
この歳になるまであれほど絶妙な塩加減のおにぎりを食ったことがありません。奥さんの作ってくれたおにぎりですが
あの塩加減の中に、同級生Youji氏の35年を垣間見たような気がしました。

悲しい色やね ~ 上田正樹


ひろいもの~昭和名曲百選の淵~なんやらかんやら

2012-06-28 00:30:19 | 昭和モノ
またひとつ終わりが来ました。ザ・ピーナッツのお姉さんの方がお亡くなりに。
そういえばジュリー氏の元奥様だったひとでしたなあ。ご冥福を祈ります。

割と幼い頃から夜型人間で、その原因のひとつにラジオの深夜放送がありました。流行の表通りをちょっと裏路地に入って、コアな趣向を共有する密かな楽しみという感覚です。まわりくどいか。
要は、同じ年頃の連中が騒いでいる流行りに飽き足らずもっと違う世界、もっと突っ込んだ情報欲しさに聞いていたのかもしれません。
それで夜型になったのか、夜型だからそういう指向をもったのかわかりませんが。
高校生の冬休み期間に生活時間が完全逆転して
オールナイトニッポン、パックインミュージック、セイヤングなどに始まって、走れ歌謡曲、旺文社の受験講座、念法眞教「心のいこい」、畦道をゆく、を経て
テレビのズームイン朝の徳光さん、ウィッキーさんで眠りに就き、昼2時からの「遠山の金さん」を見に起床という日々でございました。
気を許せばいまだに夜型は現れてこういう時間にブログなど記しているわけですが。

youtubeをいろいろながめてますと、懐かしの動画だけでなくラジオ音源などもアップされております。
タンゴヨーロッパ LIVE Vo2 MC~乙女の純情~タンゴ音頭~愛の指きり

確かこの女性バンドのヴォーカルのかたが一時期オールナイトニッポンのパーソナリティーやっとったような。
なんかこの半笑い声、妙に印象に残りやす。しかも演奏がいいです。ガールズバンドの先駆けですな。

professional of professionals~玄人~

2012-06-15 21:28:25 | 昭和モノ

【時代劇MAD】福本先生フィーバー【福本清三】

昭和といえばこの人。この人無しでは正義の味方が成立しませぬ。
テレビ時代劇が再放送ふくめ一日に最高で5本あったころ、そのすべてに出演されていて、しかも7~8役やってるのを見ました。
これだけインパクトがあり、しかも目立たず見事に劇世界にはまる人はおそらくもう出ないでしょう。「ラストサムライ」は、この人が出てくるだけで泣けてしまいました。
とうとう太秦からハリウッド。
トムクルーズも渡辺謙も小雪もどうでも良くて、ただただ福本先生を応援しておりました。
そしてあの見事な死に様。「kirareyaku」という言葉を世界中の映画に知らしめた功績はこの人あってのものです。
わけわからず時代劇をお茶の間で、家族で見ていた子供の頃から、気になって気になってしょうがない人でした。


でもってやはり昭和のお茶の間の帝王。石立鉄男。
この人と常にコンビを組んで「石立鉄男」というキャラを石立鉄男本人から引き出して、作り上げていたとも言える名脇役というか「半分石立鉄男」こと山本紀彦サン。
このコンビ大好きだった。石立鉄男に関しての玄人です。
十一と玄也 その2

ミュージカル「HAIR 」

2012-01-12 00:00:17 | 昭和モノ
先日から「学生街の喫茶店」のガロのメンバーが出演していたミュージカル「HAIR」のことばっかり考えている。
1979年に映画化された頃はたしか映画館で見た記憶がある。ちょうどベトナム戦争が終結して帰還した兵士があまりにも過酷な戦場体験によって精神的に病んでしまい、除隊後も社会復帰ができなくなってしまうことが問題になっていました。
「むかしナチスやトウジョウと戦った父や叔父は英雄になった。ベトコンと戦った俺たちは人でなし扱いだ」という台詞をテレビのドキュメンタリーか何かで見た記憶があります。

アメリカ国内でも左翼勢力やら反戦団体やらが、自国の軍隊の非道をマスコミに訴えて、厭戦ムードを煽り、そのことが前線の作戦行動にも支障をきたし戦争そのものを長びかせた結果、軍産複合体に莫大な利益をもたらしただけの世界的な反戦運動が原因のすべてではないにしろ、自国の世論操作によって敗北したアメリカ。
 その一方ではかつてフランスに徹底的に搾取され、大日本帝国の共栄圏政策によって200万人もの餓死者を出し、アメリカに国土を灰にされ枯葉剤によって奇形児を何万人も出し、韓国軍による徹底的な無差別破壊、略奪、暴行や強姦による無数の混血児を残されても、太平洋戦争 インドシナ戦争 ベトナム戦争を耐え抜き、勝ち抜き、中越戦争ではベトナム戦争時の米軍をはるかに超える規模の中国共産党侵略軍を撃退。「数限りない侵略は受けども、粘り強く勝ち抜いてきたことで子々孫々、民族のプライドを守り続けるベトナム」が今となってはすばらしい国家に思えてきます。

「HAIR」が上演されたのは1967~1972頃らしいですからちょうどベトナム戦争真っ盛りの頃ですな。まさしく国家を挙げて外国と戦争しているときにですよ。
反戦丸出しのミュージカルがブロードウェイですよ。今思うと何かウラがあるとしか思えません。あるいはこの作者の純粋な反戦の思いが、戦争継続に利用されたのですかいな。
 とまれ、このミュージカルがどういう風に解釈されて、誤解されて、誇張されて、矮小化されて日本で日本人によってどう上演されたのか、しかも札幌公演は場所もあろうにあの「大谷会館ホール」(私はむかし「ポール牧劇団」をここで観ました)というお線香の香りかぐわしい会場でどう演じられたのか、もう気になって、気になって。
ひょっとしたら道演集(北海道演劇集団)発行の冊子「ほっかいどう演劇」1973年度版に何か情報があるかも知れん。あるいはここの長老衆に聞いてみるのもまた一興。

The Age of Aquarius

忠臣蔵~記憶のなかのやりとり~ただの引用ですが。

2011-12-09 02:55:57 | 昭和モノ
吉良「あたしももう歳なモンで、いつポックリいくかわかりません。討ち入りはひとつ早めに、ということで」

大石「吉良様がそのように弱気になられては。」

吉良「あたしが強気になってもしかたないでしょ。」

大石「私共も一日も早く討ち入りしたいという気持ちは山々なんですが...」

吉良「ほんと!?じゃ今夜来て!!」

大石「いや突然今夜と言われましても。」

吉良「待ってるほうの身ってのもたまんないもんがあるのよ。じゃ明日!」

大石「どうしようかなぁ。困っ.....」

吉良「あんたらっ!!。ほんとにやる気あるのかい!!」

大石「あ...ありますよ。あります。..なあ。」

吉良「塀作ったり忍者雇ったりで一体いくら掛かってると思ってんだい!!。えぇ?。
   討ち入りやる討ち入りやるって大騒ぎして、お家再興まで引き伸ばそうってハラじゃないの!?」

大石「吉良さん!!私共は武士ですぞ。そんな。私の胸の中には亡き殿のあのお言葉。
   ~内蔵助。この恨み晴らさでおくものか。後を頼む。後を頼む~そのお言葉しかありません。
   私共は討ち入り一本。お家再興のことなどこれっぽっちも考えてはおりません。
   ま、それは、お家再興ともなれば、私が山科に買った土地のローンも払えるし、サラ金地獄に落ちたこいつらもきれいな体に戻れるし、
   まあ男50までには建売のひとつも欲しいものだし、娘にはピアノを息子にはせめて大学をともなれば100万、200万じゃしょうがないし、
   まあ65になれば人間の最低限の義務である老齢年金には加入しておかねば、などということはこれっぽっちも考えておりません」

吉良「そこまで考えてりゃ充分だろうが!!。」

大石「いや。でもわたしらやることはやっております。おい、山。」

主税「めし」

大石「....山。」

源吾「おんな」

大石「...(ったく性格出ちゃうんだから。)おまえたち。勉強のし過ぎだ。山といったら素直に川だ。このように合言葉の練習もとどこおりなくいたしております。」

吉良「.....あんたら。なんて格好してんの。いい色に焼けて。」

大石「......あ ははは...はは...」

吉良「昨日はどこ行ってたんだ?」

大石「...鎌倉海岸だったかなあ...」

吉良「海水浴してたの!?」

大石「...いえ..トレーニングをかねて合宿に。吉良様の似顔絵を描いたスイカを前に、亡き殿の恨みを募らせておりました」

吉良「嘘つけぇ!!」

大石「...ほんとは中華街で食事をしておりました!」

吉良「.........明日はどうするんだ?.......」

大石「明日! あんた。それじゃ私たち毎日遊び歩いてるみたいじゃないですかぁ!!もういい もうどこへも行かない!おまえたちもどこへも行くな。
   明日から家に閉じこもってねえ、亡き殿の恨みを募らせておりますよ!!」

吉良「お前たちが家に閉じこもってどうするんだ!明日は百ヶ日だろうが!!」

大石「...??...」

吉良「...内匠頭さまのだよ。.....」

大石「あっ!.....」

吉良「...ったく、四十九日のときもあたしが行って墓そうじして来たよ!!」

大石「.....おい、殿の墓って.....」

吉良「泉岳寺だろうが!!」

大石「あっ!なーんだ目と鼻じゃん。灯台下暗しとはこのことですなあ。」

吉良「.....よし!!決めよう。討ち入りやるかやらないか、今ここで決めよう!もう。じゃなきゃね、あたしゃもう腹掻っ捌いて死ぬわ。」

大石「いや。あの。本日討ち入りのときの衣装ができましたものですから。」

吉良「.....派手だね、しかし。すこしちっちゃいんじゃないの?」

大石「ずいぶん前にあつらえたものですから」

吉良「太ったの!?痩せるぞ普通。殿が切腹してんだから。」

大石「実は吉良様のもこちらに。」

吉良「...いやあ。あたしはいいよ。あたしは衣装とかそういうことじゃなくてねえ。..........これ!?白いだけじゃない。衣装じゃないよ。下着だよこれ。なんだあ。....」

大石「あの、来週仮縫いがありますから、ご一緒しましょう。」

吉良「仮縫いって、あんたらもう一着つくるの?」

大石「はい。これは夏物ですから、冬服をと......」

吉良「冬!!?冬まで待つの!?あたし。」

大石「雪が降ったらかっこいいかなって....」

吉良「無理だぁ。あんたらの言うことはさんざん聞いてきたけど雪までは降らせられんわ。それまでもたんわ。」

大石「吉良さん。大丈夫です。人間最後は何が何でも生き抜くという根性です。」

吉良「ケっ!!必死に生き抜いたあげくに斬り殺されりゃ世話ねえや。はははははは。」

大石「ははははははは」

吉良「笑うなあ!!.....よし。雪はあたしが降らせましょ。石にかじりついても生き延びましょ。....帰ってくれ。あんたらの顔見てると頭ぶっちぎれて死にそうになるんだ。
   だがなあ!!これだけは言わしてもらうぞ。あたしが死んだら、討ち入りもへったくれもねえんだ。大事にしてもらうぞ。」

大石「....吉良様。くれぐれも死なないでくださいね。吉良様がいて討ち入りから何から全部始まるんですから。吉良様がテーマなんですから。」