凡凡「趣味の玉手箱」

キーワードは中国です。中国以外のテーマは”趣味の玉手箱にようこそ”で扱っております。

平定の犠牲

2005-11-11 06:20:24 | 十八史略を読む Ⅱ
十八史略を読むⅡ-96 漢帝国の成立-34 平定の犠牲

「十八史略Ⅱ 権力の構図:徳間書店、市川宏、竹内良雄訳、1986年12月七刷」から

晁錯の「反乱誘発策」は、結果としては成功する。だが、彼自身は反乱収拾の犠牲となった。

話はさかのぼって文帝は臨終の床で、太子(のちの景帝)に「よいか、一旦緩急あれば周亜夫を将軍にせよ。きっとその任を果たすだろう」と言い残した。

呉楚七国の乱が起きると、皇帝は周亜夫を大尉(最高軍司令官)に任じ、36人の将軍を率いて呉楚七国を討伐するよう命じた。

さて、袁おう(えんおう)は晁錯と犬猿の仲であった。袁おうは皇帝に進言した。「この七国の乱を解決する方法は、諸侯から憎しみの的となっている晁錯を断罪に処し、諸侯の旧領地を元に戻すことです。さすれば、兵士たちは刀を血で染めることなく、反乱は鎮圧することができます」

こうして、晁錯は東市で処刑された。父母、妻子、兄弟も老幼に関わらず処刑された。
大尉周亜夫は、呉楚の反乱軍を次々と撃破し、諸侯の反乱軍は平定された。

* 幼いときから文帝にかわいがられて、重要なポストに出世しても、最期は自らだけでなく、一族皆殺しとは!!!


最新の画像もっと見る