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劉氏から呂氏へ

2005-10-29 03:30:44 | 十八史略を読む Ⅱ
十八史略を読むⅡ-85 漢帝国の成立-23 劉氏から呂氏へ

「十八史略Ⅱ 権力の構図:徳間書店、市川宏、竹内良雄訳、1986年12月七刷」から


高祖は韓信や黥布など「異姓の王」を排除して劉氏一族を王位につけて帝国の団結をはかったが、呂太后が実権を握るとこれら劉一族はたちまち王位を追われた。

新帝元年、呂太后は、呂氏一族を立てるための会議を開いた。右丞相の王陵が「かつて高祖は、白馬を生贄に供えてこう盟(ちか)われました。劉氏以外の者が王に立つときは、天下一致してこれを討てと。御遺訓に背くことができましょうか」

ところが、左丞相の陳平と周勃は、呂氏一族を王とすることに賛成した。かくて王陵は右丞相の職を解かれ、呂氏一族が次々と王になった。

*王陵にとって陳平と周勃のこの態度は我慢ならなかった。朝儀を終えて退出してから王陵は陳平と周勃に詰め寄った。だが二人は次のように答えた。「この場で正面切って、諫争する点では、われわれは貴公に劣る。しかし、漢の社稷を安泰にし、劉氏の血筋を守る点では、我々の方が上だと言った。二人は正論を吐いても実権を握った呂太后にとても太刀打ちできないと考え時期を待つことにしたのだろう。


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