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「正史はいかに書かれてきたか」中国の歴史書を読み解く

2006-01-17 20:04:47 | 中国知っ得情報
中国で正史とされているのは「春秋」から始まり「明史」に至るまでの24史である。

本著ではこれらの歴史書がどのような経過で書かれてきたかを明らかにしている。

私が読んで面白かった4テーマについて簡単にまとめておく。

1 「呂后」についての「史記」と「漢書」での扱いについて
呂后については、人ブタで紹介したとおりの女性であるが、高祖亡き後、わが息子である恵帝に代わって実権を握り、漢帝国を治めた女性である。史記において、呂后は王あるいは皇帝として天下を治めた人物についての伝記である本紀に収まっている。「呂后本紀」である。この中で人ブタ事件もきちんと記述されている。

一方の漢書はどうであろうか。漢書は「斑固」が司馬遷の「史記」を強く意識して、その続編として書こうとしたようであり、形式的にも史記をほぼ踏襲している。形式上からいうと漢書にも史記同様に本紀、遊侠列伝、貨殖列伝も存在する。

ところが人ブタ事件について、漢書では本紀で全く扱われていない。漢書では「外戚伝」に記されている。呂后の残虐行為が記されている位置が史記と異なっているのである。本紀はもちろん史記でも漢書でも最初の位置に置かれる。漢書で呂后の残虐行為を本紀に載せなかったのはあるいは漢の王朝への配慮があったかもしれない。

2 三国志に於ける曹操、劉備、孫権の位置づけ
正史「三国志」は陳寿によって記された本である。「三国志」は後漢王朝が内部崩壊し、群雄たちが覇を競い合う2世紀末から始まり、後漢が滅んで中国は魏・呉・蜀の三つの国に分かれ、これらが再び晋として統一される3世紀の終わり頃までを扱っている。曹操の子である曹丕(そうひ)が、後漢最後の皇帝の献帝から位を奪って魏王朝を開くと、呉と蜀でも孫権や劉備が相次いで即位し、この時代、中国には三人の皇帝がいたことになる。しかし、中国には「天に二日なく、地に二王なし」といういわば信念があって、同時に三人の皇帝が存在することなど本来あってはならないことである。一方、たとえ国が三つに分裂していようが、由緒正しい「天下人」たる資格は誰かに必ず受け継がれているはずという信念もまたある。

結局、「三国志」もこの三人の中で一人を正しい皇帝におく必要があった。陳寿の三国志は、魏を正しい王朝として認め、呉と魏については正当なる皇帝とは認めないという立場を取ったのである。三国志では曹操のことは「太祖武皇帝」と称し続けている。劉備は先主とずっと称される。孫権に至ってはいきなり姓名と字を記されているのみである。このように三人は三国志の中で呼び名の面で差別待遇されているのである。

3 反乱者を歴史書がどのように見るか(太平天国の乱の首謀者洪秀全)
太平天国は洪秀全によって19世紀半ばに起こった乱である。この洪秀全に対する評価が「清史稿」と「清史」とでは全く異なっている。「清史稿」は1914年に中華民国政府が北京に清史館を設け、清朝の遺臣たちを集めて編纂させたものである。この「清史稿」の巻475,列伝262が洪秀全の伝になっている。ここで彼は反逆者の烙印を押されている。

一方の清史は清朝に対する革命(辛亥革命)によって成立した中華民国、それを正当に受けている合法的政権を自認する台湾の中華民国政府が、中華民国開国50年記念事業として企画し、1961年台北の国防研究院によって出版されたものである。清史では「清史稿」とは全く対照的な記述となっている。すなわち、洪秀全を民族革命の英雄として持ち上げているのだ。清史は洪秀全を「清史稿」の記述をほぼひっくり返している。

4 北魏と国史事件
トルコ系遊牧民の非漢民族である鮮卑族によって439年河北を統一して北魏王朝が設立された。北魏王(大武帝)は鮮卑族であったが、中国的国家体制を採用し、政治の中枢にも漢民族出身者を置いた。なかでも崔宏(さいこう)が特に信任されていた。大武帝は自らの即位以来の征服の実録並びに北魏建国の歴史を編纂させることにし、その責任者に崔宏を任じた。彼は早速国史をまとめ、石に刻み都の街頭に並べておいた。するとこれが大問題となる。国史の記述の中に、鮮卑族を侮辱した記述があるという。特に北魏王朝成立以前の鮮卑族の生活・文化状況に関する記事がひどかったらしく、国史を読んだ鮮卑族がみな憤慨し大武帝に訴え出る。大武帝も激怒して、せっかく完成した国史をただちに廃棄させるとともに崔宏を処刑した。さらに編纂に関わった128人とその家族なども皆誅殺してしまったという。今となっては国史も失われ、なぜ鮮卑族が問題にしたかはっきりとは判らないが、鮮卑族には以下のような習俗があったようである。
・ 若者を尊敬し、老人を軽蔑する
・ 性質は乱暴で、起これば父や兄を殺すが、母は決して殺さない。(母には里方があるので復讐されるおそれがある)
・ 文書はない(つまり文字はない)
・ 結婚は、まず恋仲になって,男は女をさらって連れ去り、半年か百日経ってから仲人を立てて、馬・牛・羊を贈って結納の品とする。
・ 皆、頭を剃っている
・ 父や兄が死ぬと、継母や兄嫁と結婚する
・ 人が死ぬと、死んですぐは泣くが、葬式では歌ったり踊ったりして送り出す。
編纂に携わった人の中には気のきく鮮卑族がいなかったのだろうか。いればこのような悲劇は起きなかっただろうに。貴重な人材が意半ばで誅殺されたり貴重な正史がなくなったことは大変残念なことである。

タイトル:「正史はいかに書かれてきたか」中国の歴史書を読み解く
著者:竹内康浩
出版社:大修館書店
発行日:2002年6月10日


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