前福井県議会議員 さとう正雄 福井県政に喝!

前福井県議会議員・さとう正雄の活動日誌。ご意見・情報は smmasao.sato@gmail.com までお願いします。

新幹線・在来線問題の討論集会を7月15日に開催。被災地への救援物資・ボランティアを募集します。

2011年05月26日 | Weblog
昨日は、原発関連での雑誌社の取材、新幹線・在来線問題での会議、福井県医療生協専務理事をつとめられた佐藤與作さんのお通夜などでした。
雑誌社の取材の方は7月には出版したい、ということで県内各地を回られているとのこと。この間、いろんな取材をうけますが、感じとしては、ていねいに取材されている印象でした。


北陸新幹線福井延伸と並行在来線を考える会の世話人会に参加。提言「新幹線延伸より、北陸本線の存続と充実を」の仕上げについて討論しました。
また、この「提言」についての討論集会の開催を決めました。
7月15日(金)午後6時半~、福井県教育センターで開催予定です。みなさん、手帳に日程を入れておいてください。


夜は、福井県医療生協の専務理事を草創期から勤められていた佐藤與作さんが亡くなられ、通夜にお参りしました。82歳。日本共産党員でした。足が不自由な身体をおして、晩年も党費を払いに党事務所の階段をゆっくりのぼられていたお姿が目に焼きついています。私たちが宣伝カーでご近所をまわると、窓から激励をしていただきました。最後まで、しんぶん赤旗を所望されたとか。合掌


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高橋ちづ子衆議院議員・・・・女川原発に入る!

吉井英勝衆議院議員と一緒に、宮城県女川原発に入りました。横田有史、遠藤いく子両県議、高野博女川町議も現地で合流しました。福島第1原発の事故をうけ、全国54基ある原発の緊急安全点検が行われましたが、津波、地震被害が大きかったと思われる女川原発を直接見ることが目的でした。党としても原発からの撤退を明確に打ち出し、老朽炉の停止や新増設をやめること、原発に頼らない再生可能エネルギーの開発などが急がれています。

女川原発に行くには、水没した役場庁舎などが集まっている中心市街地から山側に入らなければなりません。女川は3度目ですが、瓦礫が累々と続く光景はあまり変わりがなく、一方で、未だ捜索隊が隊列をつくって瓦礫の中を見ており、その傍らで疲れたように座っている人、立ちつくしている人の姿があちこちで見られ、家族を捜しているのだろう、と思いました。

原発も被災している

牡鹿半島コバルトライン、被災していなければすばらしい景色が見渡せますが、海の中には、流されてきたのであろう傾いた家や、屋根だけが浮かんでいたり、ボートの底も見えていました。道は予想以上に痛んでおり、地割れ、陥没がひどく、何度も対向車線にはみ出さないと通ることができません。これほど町も道路もひどいのに、原発が無傷のはずがない、と思いました。

女川原発は1~3号機まであります。原子炉建屋は14.8メートル高台につくられていますが、なんと津波は13メートル、しかも地盤沈下で1メートル沈んでいるので、その差0.8センチまで迫ったことに!防波堤となる壁面の緑が塩をかぶったところが茶色くなっていたのですぐにわかりました。
手前には作業小屋と重油タンクなどがありますが、小屋も全壊、タンクは直径10メートルの底を丸々見せて横転し、ざっくりと小屋に斬りつけていました。

いよいよ中に! ここまで水が!

プロジェクターによる被災状況の説明が最初にありました。3月11日の14時56分、地震が起きた瞬間、1号機と2号機はフルパワーで運転中であり、自動停止になりました。「止める、冷やす、閉じこめる」の3段階でいえば、「冷温停止」までに10時間かかっています。ところが2号機は、第11回定期点検中で、何と14時に原子炉起動をはじめたところだったのです!つまり、制御棒を順次抜いているところだった・・46分に自動停止で3分後に冷温停止になりますが、あまりに劇的で息が止まりそうになりました。

いよいよ施設内を歩きますが、エレベータが使えないため、1階から地下3階まで階段を上り下り。かなりきつかったです。まず、焼けてしまった1号機の高圧電源盤をみました。真っ黒焦げで中の配線もぼろぼろになった無惨な電源盤が6基も。ショートが原因といいますが、地震の揺れの影響なのか・・消火するにも、市街地も津波被害にあっていたため、消防隊はこれず、消防経験のある職員による自衛消防隊が防護服を着て、必死の消火活動にあたり、7時間25分後に消火しました!これもす、すごいですね。福島原発は4つある外部電源がすべてダウンして冷却機能がだめになったのですが、女川でも5つある電源のうち、4つがだめになったと。4月7日の余震でも、4つのうち3つまでだめになりました。本当にあわや!という事故だったのです。


津波は来た

 福島原発は、津波の想定が甘かったということや、女川は津波対策がやられていた、というように言われていますが、意外な落とし穴がありました。それは、吉井議員が国会で指摘したように、引き潮になったとき、冷却水がとれなくなる、という福島原発にたいして、女川は、取水路をさらに深めにとっていました。ところが、防波堤の内側にある潮位計のふたが地震の圧力で開いてしまい、そこから海抜マイナス6.5メートルにある地下3階にまで浸水し、冷却水ポンプ用の熱交換機が潮水につかってしまったのです。2.5メートルまで浸水、その量は1900リットルにもなります。水にひたった、熱交換器も、ふさいだシールも見てきました。所長も、「引き潮も想定して設計したつもりだったが・・」と悔しがっていました。

モニタリング計が!!

中央制御室の中も見せてもらい、モニタリング数値も見ました。福島原発の事故当時、5箇所の敷地内ポストの数値がいずれも上昇し、最大21マイクロシーベルトに達しました。(1000マイクロシーベルト=1ミリシーベルト)これは、女川原発の敷地境界に約20日間滞在し続けた場合、屋内退避の目安である10ミリシーベルトに達するという値です。そのため、原子力災害対策特別措置法第10条にもとづき、通報しました。もっとも、原因は福島原発であることがはっきりしており、10分後には数値は下がったといいますが、それでも法律の決まりです。後でホームページを見ると、福島第2原発も同様に基準値を超えた、と通報をしており、「原因は福島第1原発だと思われる」としています。しかし、あらためて思うのは、冷静にモニタリングデータが示されていれば、瞬間的に値が高くても、その後問題ない程度に下がっている地域、原発より距離はあるが、数値が高い地域などをきちんと示して、避難を指示するなど、その後の大変な混乱も避けられたのではないか、と考えさせられました。第2原発の冷静な(?)通報をみても、もっとやり方があったのではないかと・・

 最後に~あらためて、女川原発も大きく被災し、危なかったということを認識できました。政府は、緊急安全対策を全国の原発に指示しましたが、3年以内に防潮堤を建設したり、水密扉をつくる、という津波の応急対策のみであり、地震そのものの対策は考慮されていません。災害対策特別委員会の理事懇談会(12日)の席上、原子力安全保安院にそのことを指摘しましたが、「福島の事故は津波だったので」という答弁で、あきれてしまいました。また、その3年間はどうするのか、というと、敷地内に津波の水が入り込んでも原子炉建屋に入り込まなければ大丈夫、健全性は維持できる、という説明でした。どこまで「安全神話」にしがみつくのか・・と思います。・・・・・・・・



   高橋議員は福井豪雨の際にもいち早く福井入りしていただき、被災地各地を調査。越美北線復旧について鉄道局長から「JRに復旧を指示する」との答弁を引き出していただきました。
この活動レポートを読んでも、女川原発もあわや、ということだった緊迫感が伝わります。
地震列島・日本に、原発はふさわしくないエネルギー開発だ、ということがよくわかります。
何千年もかかってつくりあげてきた「土地」や人間のつながり・生活を、原発事故は奪います。このようなことが起こり得る原発からの脱却のプログラムづくりが必要でしょう。



東北3県の被災地の状況は、まだまだ多くの支援を必要としています。
日本共産党福井県委員会はひきつづき、救援物資の輸送、津波被害の後片付けなどのボランティア派遣に取り組みます。
当面の予定は、岩手県へ6月5日出発、6月10日出発の2陣です。

お米や野菜、洗剤などの救援物資へのご協力、ボランティア活動への参加をよろしくお願いします。
お問い合わせ、参加申し込みは 0776-27-3800 へ。