第四章 新しい出会い ( 1 )
水村啓介が杉井美穂子に初めて会ったのは、平成四年の秋である。啓介が妹和子の結婚式に出席した直後のことだった。
新しい部署に移って二年半程の月日が経ち、中堅社員らしい迫力が仕事面に出てきた頃である。
その頃の啓介の担当職務は、有力企業六社を担当することと関係会社全体の研究開発投資の分析だった。
担当している六社については、千社を超える関係会社を部全体で把握する作業の一環であり、研究開発投資の方はグループ全体で検討するための基礎データーを取り纏める主管者としてだった。
担当企業が六社というのは一番少ない数で、小さい企業を担当している社員の中には百社に及ぶ者もいた。
ただ、六社といっても担当している会社はいずれも上場企業で、関東電機産業グループの中核をなす二十数社の中の六社なので簡単なことではなかった。その六社が有する子会社群は百社を超えていて、全体像を把握するのは容易なことではなかった。
それに、六社ともそれぞれの分野ではわが国のトップクラスにある企業で、親会社といえども経営方針に強い影響を与えることなどできず、本社との利害の調整を仲立ちすることが主な仕事というのが実態だった。
一方で、研究開発投資の取り纏めは難しい仕事だった。
現状は実態の把握に僅かばかりの検討意見を付加する程度だが、今後重要なテーマになっていくとの予感が啓介には早くからあった。
研究開発部門への投資は、どの会社でも錦の御旗のような位置を占めていて、効率のよくない投資も相当額に上ると推定されるが、その実態を把握することは簡単なことではない。
さらに、研究分野についても本社やグループ各社間で重複しているものは膨大な金額になると思われるが、それぞれが社運をかけている場合もあり簡単に調整できるものでもなかった。
その難しさは、関東電機産業内の各部署の研究テーマでさえ重複部分の調整が容易でない現実を考えれば、全グループの調整など夢のような話といえた。
しかし、永遠に拡大するようにさえ見えていたわが国の経済成長は急変していた。
バブルの崩壊後の経済環境の変化を読み切れず、研究開発部門への投資を極端に絞る行動が顕在化してきていた。この状態が続けば、技術革新に後れをとる企業や部門が出ることが懸念された。
投資資金が細りつつある時こそ、グループ内での研究開発の協力や集約が重要課題になることは当然で、すでにその動きが顕在化してきていた。
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杉井美穂子は、大東洋証券の調査部に勤務していた。いわゆる、アナリストの卵である。
大学卒業とともに大東洋証券に入社し、ずっと調査部に在籍していたが、この夏から担当先を持って調査活動にあたっていた。
美穂子の担当先の中核にあるのが関東電機産業グループだった。前任者から引き継いだ後は、山内副部長を頼りに取材を進めていた。
関東電機産業に限らず、このクラスの会社になると殆どの情報は広報担当から発表され、重要情報が一部に漏れることに極めて神経質で、スクープなど簡単に取れるものではなかった。
しかし、公式な発表とは別に、それぞれの情報について少し角度を変えて見れば、投資のための新しい視点が顕れることも少なくなかった。
美穂子が大学の先輩である山内副部長を頼って取材している過程で、関東電機金属という会社の将来性について「取材するだけの価値はあるよ」と教えられたのである。
美穂子は、山内副部長の言葉に鋭く反応して、もっと詳しく教えてもらえる人物を紹介して欲しいと訴え、同社を担当している啓介と出会うことになったのである。
啓介が受けた美穂子の第一印象は、きらきらと輝く瞳が目立つことだった。
どちらかといえば体は小柄の方だが、背筋を真っ直ぐに伸ばし、視線を同じく真っ直ぐに向けて話すことも印象に残った。きらきらと輝く瞳は強い意志を表していて、しっかりとした口調も含めて少し才能が表に出すぎるような感じがあったが、笑顔になると、人懐っこく、そして幼いような表情に変わる落差が印象的だった。
啓介は美穂子から質問されるままに率直に答えた。
質問の内容はオーソドックスなもので、特別の情報を自分だけが得たいというような様子は感じられなかった。事前に調査してきた内容の確認と、いくつかのテーマがその会社にどのような影響を与えるのかを、啓介の個人的意見を聞くことに重点を置いた質問が多かった。自分の考えでは参考にならないという啓介の言葉に、山内副部長は頼りにできると言っていたと悪戯っぽい笑顔を見せた。
啓介はその笑顔に誘われるように、興味があるのなら工場を見学すると良いとアドバイスした。
美穂子は即座に反応した。直ちに自社に電話を入れて出張の許可を取り、啓介に紹介を依頼した。その行動力は見事だった。
関東電機金属の本社は同じ丸の内だが、美穂子に訪問を勧めた主力工場は茨城県にある。
関東電機金属の広報担当者とは面識があったので、工場見学の希望を伝えた。上場会社の広報担当者にとって大手証券会社のアナリストの訪問は歓迎すべきことで、あらゆる機会をとらえて市場関係者に好印象を与えておきたいというのが本音である。
二人は、翌朝上野駅で待ち合わせる約束をした。
啓介が同道することに美穂子は恐縮していたが、工場見学を勧める以上は一緒に訪問するつもりだった。そして、それが二人に新しい人生を開くことになった。
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