雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

二条の姫君  第百五十七回

2015-08-17 14:34:57 | 二条の姫君  第五章
          第五章  ( 六 )

さて、姫さまがかねてからお勤めになられておられます、五部の大乗経の宿願は、まだまだ残りが多くございます。
この讃岐の国でまた少し書写申し上げたいと思い立たれました。そこで、あれこれと尋ね、松山(現在の坂出市)からさほど遠くない所に小さな庵室を探し出しまして、ここを供養の場所と定められ、懺法(センポウ・罪を懺悔する法)、正懺悔(ショウサンゲ・予備の修行法を終えて正しく行う法)などを始められました。

九月も末のことでございますので、虫の音もすっかり弱々しくなり、何の音を伴うとも感じられません。
三時の懺法を読まれ、「慚愧懺悔六根罪障」と姫さまは一心に勤行に励まれました。
しかし、ふと息を静められた時などには、遠くを眺めるような仕草をなさいました。おそらく、いくら熱心に経を唱えられても、なお忘れがたい御所さまの御言葉などが浮かんでくるのをどうすることも出来ないご様子でございました。
あるいは、まだお小さい頃に、御所さま自らご指導くださった琵琶の曲や、頂戴なさった御撥(バチ)のこと、さらには、宮中での苦い出来事以来、琵琶の四弦は決して弾くまいと断念されたことなどが思いめぐって来ているようでございました。

姫さまは、勤行を止められて、法座の傍らに置かれている琵琶をしげしげと見つめられているのは、御所さまがお手馴らしされた御撥のことを思いだされているものと拝察されました。
果たして、この時お詠みになった御歌は、
『 手に馴れし昔の影は残らねど 形見と見れば濡るる袖かな 』
(慣れ親しんだ琵琶の面影は残っていないが、この撥が御所さまの形見と思って見ると、わたしの袖は涙に濡れるのです)

この度姫さまは、大集経四十巻を、二十巻書写されて松山の御堂に奉納なさいました。
経供養のことなどは、いろいろとこの国のお知り合いのお方の力をお借りになりました。供養の御布施には、いつかの年に石清水八幡宮で御所さまより「形見だ」と言って頂戴なさいました三枚の御衣の一枚は、熱田神宮での経供養の折の御布施となさいましたが、今回も供養の御布施でございますので、その一枚を差し上げられました。

『 月出でむ暁までの形見ぞと など同じくは契らざりけむ 』
(この御衣は、月が出て、弥勒菩薩がこの世に出現なされます暁まで肌身離さず御形見にしますと、どうして約束しなかったのでしょうか)
姫さまは御歌をお詠みになられました後、
「御肌にお召しになられていた最後の一枚は、どのような世にまでも持っていきたいものね・・」
とお話になられましたが、
「そう考えることこそが、罪深い考えというものなのでしょうねぇ」
と続けられました。
なんとお答えすればよろしいのか、都を遥か離れた讃岐の秋も過ぎ去ろうとしておりました。

     ☆   ☆   ☆


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 二条の姫君  第百五十八回 | トップ | 二条の姫君  第百五十六回 »

コメントを投稿

二条の姫君  第五章」カテゴリの最新記事