雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

二条の姫君  第百五十六回

2015-08-17 14:35:53 | 二条の姫君  第五章
          第五章  ( 五 )

安芸国の佐東の御社は牛頭天王(ゴズテンノウ)と申しますので、祇園社(八坂神社)の御事も思い出されたご様子で、姫さまはたいそう懐かしく思われたのでしょうか一夜留まり、ゆったりと手向けをなさいました。

讃岐国の白峰、松山(共に現在の坂出市)などでは、崇徳院の御旧跡も拝したいと姫さまは希望されておられましたが、訪れるべきゆかりの方もおいでということで、船を漕ぎ寄せて下船いたしました。
松山の法華堂は、法式通りの法華三昧を行う様子が見えることを姫さまは頼もしく思われ、崇徳院は悪道にお沈みになられても、必ずや後世は往生なされましょう、とお話になられました。

「かからむ後は・・」と、姫さまは西行法師の和歌をつぶやかれました。
(『よしや君昔の玉の床とても かからむのちは何にかはせむ』・・お亡くなりになった後も、たとえ昔のままの玉座にあるとしても、このようになってしまった上は、同じことでございます)
そして、「かかれとてこそ生まれけめ」と続けられました。
これは、土御門院が『憂き世にはかかれとてこそ生まれけめ ことわり知らぬわが涙かな』という御歌を指しておられ、「このようであれという定めで生まれてきたであろうに・・」という、崇徳院の悲劇を土御門院が述懐なされたという昔のことを思い浮かべられたことのようでございます。

崇徳院が崩御なさいましたのは、今から百四十年も昔のことでございますが、そのあまりにもお気の毒なご生涯と、後々までも御祟りがあったことなどは、今もなお昨日のことのように伝えられていることでございます。
 
そして、さらに姫さまは、次のような御歌を詠まれたのでございます。
『 物思ふ身の憂きことを思ひ出でば 苔の下にもあはれとは見よ 』
(崇徳院の御霊よ、あなたさまが物思う身の憂きことを思いだされたならば、苔の下においても、わたしを哀れとお見守りください)

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