雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

二条の姫君  第百六十一回

2015-08-17 14:30:39 | 二条の姫君  第五章
          第五章  ( 十 )

思わぬ長居をしました江田を出立して、備中国の荏原(現岡山県井原市内か)という所に参りました。
そこには、満開と見える桜がありました。
姫さまは、そのひと枝を折って、見送りに同道してれた者に託して、広沢の入道殿に差し上げられました。それには、次のような御歌が添えられておりました。
『 霞こそ立ちへだつとも桜花 風のつてには思ひおこせよ 』
(霞が桜の花を立ち隔てるように、お別れして隔たってしまっても、風の便りには、この桜の花のようにわたしのことを思いだしてください。)

入道殿からは、二日かかる道のりをわざわざ人を寄こして返事を送ってこられました。
『 花のみか忘るる間もなき言の葉を 心は行きて語らざりけり 』
(花だけではありません。あなたのお言葉を忘れる間とてないのですが、心はあなたの後を慕って行っても、お話することはできなかったのですね。)

吉備津の宮は、都の方向にあたりますので、参詣することになりました。
参ってみますと、御殿の建て方も御社のようには見えず、少し変わった宮殿のようだと姫さまも不思議がられておりましたが、たしかに、几帳などが見えるのも見慣れている御社と趣が違っておりました。
(吉備津造りという建築様式で、都あたりの社と様子が違っていた。)

日も長くなり、風も穏やかに収まってくる時期となりましたので、間もなく都に向かいました。
それにしましても、不思議な縁というものはあるものでございます。
この度の、和知や江田での出来事の折に、広沢の入道殿がたまたま下向してくるのに出会いましたものですから、何事も穏便に収束し、後の旅に何の不安もない状態になったのですが、もし、出会うことがなく、もし出会っていても姫さまの全くご縁がない人であったなら、そうそううまくはいかなかったかもしれません。
「和知の男は、主人などではない」と主張したとしても、都を遠く離れた土地だけに、どういうことになっていたかと今更のように怖ろしくなります。
姫さまも同じように感じられたご様子で、修業の旅も気乗りしなくなっているようでございました。

ほどなく都に向かい、その後は奈良にお住まいを定められまして、時々は都にお出かけになる生活となりました。

     ☆   ☆   ☆


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