雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

上徳とは?下徳とは? ・ ちょっぴり『老子』 ( 43 )

2015-06-19 13:41:58 | ちょっぴり『老子』
          ちょっぴり『老子』 ( 43 )

               上徳とは?下徳とは?

徳・仁・義・禮

「 上徳不徳、是以有徳。下徳不失徳、是以無徳。上徳無為、而無以爲。下徳為之、而有以爲。上仁爲之、而無以爲。上義爲之、而有以為。上禮爲之、而莫之應、則攘肘而仍之。 」
『老子』第三十八章の前半部分です。
読みは、「 上徳(ジョウトク)は徳とせず、是を以って徳有り。下徳(カトク)は徳を失わざらんとし、是を以って徳無し。上徳は無為にして、以って為せりとする無し。下徳は之を為して、以って為せりとする有り。上仁は之を為して、以って為せるとする無し。上義は之を為して、以って為せりとする有り。上禮は之を為して、これに応ずる莫(ナ)ければ、則ち肘を攘(ヒ)いて之によらしむ。 」
文意は、「 上徳の人は、自分が徳を行っているなどという意識を持っていない。自然に振る舞っているが『道』にかなっていて、有徳者といわれる。下徳の人は、学んだ徳を失うまい失うまいとしている。そういう態度が偽善のように見えて、徳がないとされる。上徳の人は『道』にのっとっていて無為のようであり、また自分も何かを為したという意識を持っていない。それでいて徳が行われているのである。下徳の人は、人目につく行いをし、自分も何かを為したという意識を持っている。上仁の人は、人目につくような行いはするが、自分が何かを為したという意識はない。上義の人は、人目につくような行いをし、自分も何かを為したという意識を持っている。上礼の人は、人目につくような行いをし、相手がそれに応えなければ、相手の肘を引っ張ってでも礼に従わせようとする。 」

この章から『老子』の ( 下 ) となり、「徳経編」と呼ばれています。その最初として「徳」について語られています。
上徳と下徳の差は、徳の内容を理解できないとしても、レベルの差が興味深く示されています。
それに続く、上仁、上義、上禮についての説明も興味深いのですが、この部分の説明からこの章についていくつかの意見が生まれているようです。

上徳の人

上徳の人というのは、『道』を体得した人のことを指し、『老子』先生の考える理想の人物を指すようです。
上徳の人と下徳の人とは説明にあるような差があり、実は、これはとてつもなく大きな差なのでしょう。さらに、上仁の人はそれに劣り、上義、上禮の人も同様で、上禮の人の説明は、現在でもよく見る光景のような気がします。

実は、「仁」は孔子の教えの中心であり、孟子が「義」を、荀子が「礼」を説いていることから、儒教に対する対抗意識が見え見えともいえる内容なのです。
このことから、古くから、実は『老子』という人物は荀子より後の時代の人ではないかとか、後世の人が加筆したのではないかとか、あるいは、荀子の思想の原型にあたるようなものはもっと古くから存在していたのだとか、さまざまな意見が交わされているようです。
『老子』は『道』の優位性をさらに展開していますが、それは次回とさせていただきます。

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