第二章 それぞれの旅立ち ( 5 )
八月早々に実家に帰った啓介は、荷物を置くとすぐに早知子の家を訪ねた。
早知子の家は同じ区画にありすぐ近くだが、土産品を届けるというのは口実で、早知子に会うのが目的であることは家族も承知のことだった。早知子の母親も啓介の訪問を喜び、東京の生活ぶりなどを次々に質問した。
そのあとは、しばらくの時間を早知子の部屋で過ごした。
四か月ぶりに会う早知子は驚くほど変わっていた。化粧はしていなかったが、色が白くなり体全体が柔らかな感じになっていた。
早知子は小さい頃から活発な女の子だった。高校でもテニスをしていたので、いつも日に焼けていた。それがこの四か月の間にずいぶん白くなっているように思われた。
夏の盛りのことでもあり、結構日焼けもしていたのだが、高校生の頃に比べると、見違えるほど白くなっているように啓介には見えた。
「運動、あまりしなくなったの? ずいぶん白くなったよ」
啓介が肌が白くなったことを述べると、早知子は両頬を手で擦った。
「もともと真黒だと思っていたんでしょ」
と、啓介を睨むような表情で答えた。春までにはなかった表情だった。
啓介は早知子の体を抱き寄せたい気持ちに襲われたが、懸命に堪えた。そして、そっと手を重ねた。
「淋しかったわ・・・」
早知子は啓介の手を握り返し、訴えるように言った。
瞳がきらきらと輝いていた。
次の日は、四人が大原家に集まった。
全員が集まるのは、六甲山へハイキングに行った時以来である。あれから僅か四か月しか経っていないが、全員がかなりの変貌を遂げていた。
激しく成長する年代であり、それに、大学生活というこれまでに比べて格段に増えた自由と、大人になったような気持ちが作用しているのかもしれない。
啓介には、自分や俊介に比べて、二人の女性の方が大きく変わっているように見えた。女の子から女性へと表現を変えなくてはならないほどの変化に見えた。
そのことを俊介も同感だと応じたが、女性たちからは、男の二人の方が大きく変わったと違う意見を言った。
早知子と希美によると、時々会っている俊介の変化は承知していたが、啓介の変化には驚いたと異口同音に感想を述べた。
女性二人の変化も一様ではなかった。
啓介が気づいたように、早知子は肌がかなり白くなり、行動も淑やかになっていた。淑女を養成する学校だとの評判が高いだけに、早くもその効果が出てきたのかとも啓介は思ったが、反対に希美は、春よりかなり行動的になっていた。顔や腕なども去年より日に焼けてきて元気そうに見えた。
それは俊介も感じていたらしく、「会うたびに二人が近づいているみたいだ」という言葉で表現した。
「わたしたち、いつも一緒だから、だんだん似てきたのよ」
と、希美が笑った。
春先までなら、間違いなく早知子が応えていた言葉だった。
この日は大原家でご馳走になり、長い時間話し合った。
それぞれの学校の様子を報告しあったが、女子大学のことが中心になった。啓介も東京生活を詳しく話し、自炊生活の様子も話した。
啓介が帰郷している間に、四人はこの後も三回集まった。
春からそれぞれに大きく成長し変化もていたが、集まってみれば、その友情に何の変化もないことが確認できた。
六甲山上から夜景を見ながら、やがて四人が離れ離れになるのではないかと感じた怖れは、卒業直後だったことと、夜景があまりに美しかったことからくる感傷だったのだ、と希美は思った。
啓介と早知子は、帰郷中毎日のように会った。四人で会う時以外は、互いの家を訪問し合うことが多かった。
啓介は旧盆が終わるとすぐに東京に戻ることになっていた。
早知子もその日に合わせて京都の祖父母を訪ねることにしていた。京都まで一緒に行って、半日遊ぶという計画を立てていたからである。
早知子の父方の実家は京都で、清水寺に近い辺りに祖父母が元気に暮らしていることは啓介も知っていた。
早知子は子供の頃から時々泊まりがけで遊びに行っていたし、この日も一泊する予定だった。
二人は阪急電鉄で大阪に出てJRに乗り換えた。啓介は新幹線の遅い時間のものを京都から乗れるように取り、京都までは在来線で行った。
京都駅に着いた時には昼を少し過ぎていたので、荷物を駅のロッカーに入れてから昼食にした。食事が終わると、啓介が乗る列車の時間まで五時間足らずしかなかった。
あまり時間が取れないことは分かっていたので、特別な計画は立てておらず、京都駅の近くを歩き、一、二か所寺院などに立ち寄ることにしていた。
二人は七条通りに出て、東に向った。最初は国立博物館に向かうことになった。
啓介は京都の街は詳しくなかった。学校からの旅行などで何度か来ていたが、観光地として有名な場所が主体である。名高い寺院や神社などに何か所か行っているが、少し京都に詳しい人から見れば、それらはほんの一部分にもあたらないだろう。
早知子の方はもう少し詳しかった。子供の頃から、毎年何度か祖父母の家を訪れていたし、続けて何日か泊まることもよくあった。
主な観光地は殆んど行っていたし、祖父母の家がある東山方面はかなり詳しかった。
鴨川に架かる七条大橋を渡ったあとは、古い街並みの狭い道を選んで歩いた。人通りが少ないところでは、どちらからともなく手をつないだ。
八月十六日の夜は大文字の火が焚かれる。京都が持つ多くの行事の中でも幽玄さにおいて屈指のものだ。その直後のことで、観光的には端境期にあたると思っていたが、夏休み中のことでもあり行き交う旅行者と思われる人の姿も少なくなかった。
二人は博物館に到着した。啓介は初めてだったが、落ち着ける場所として早知子が選んだのである。
展示されている物もさることながら、歴史を感じさせる建物や広大な庭がすばらしく、外の暑さと強い日差しを避けるためもあって、ここで長い時間を過ごした。
博物館を出た後は喫茶店に寄っただけで、京都駅に戻った。二人は家を出る時から、駅のロッカーの前で別れることにしていた。
新幹線のホームまで送りに行きたいと早知子は言ったが、啓介は断り、早知子がバスに乗るのを見送った。自分が送られるのが早知子に残酷なような気がしていたのだ。
京都から東京に着くまでの間、啓介はずっと外を見ていた。
新幹線に乗るのも数えるほどの経験だった。茜色の景色が、薄墨を流したような暮色に変わり、やがて点在する灯りが増えて行った。
啓介は、刻々と変わっていく景色を飽くこともなく見続けていた。
早知子と別れたことが淋しく、次に会える正月までの日数が、とてつもなく長いものに感じられた。
啓介が初めて経験する感情だった。早知子と初めてくちづけを経験した直後に東京に向かった時とは違う淋しさだった。
あの時も、早知子と離れる淋しさはあったが、新しく始まる大学生活への希望の方が大きかった。
やっぱり、早っちゃんはとても大切な人なんだ、と啓介は思った。
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