雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

陸奧国からさらに奥地へ ・ 今昔物語 ( 31 - 11 )

2023-06-04 08:21:46 | 今昔物語拾い読み ・ その8

      『 陸奧国からさらに奥地へ ・ 今昔物語 ( 31 - 11 ) 』


今は昔、
陸奧国に安倍頼時(アベノヨリトキ・前九年の役の頃の人物。1057 没。)という武者がいた。
その国の奥地に、夷(エビス・古代のアイヌ人?)という者がいて、朝廷に従おうとしなかったので、「討伐すべし」という勅命が下され、陸奧守源頼義朝臣( 988 - 1075 )が討伐に向かったが、頼時がその夷と通じているとの風評があり、頼義朝臣は、まず頼時を攻めようとした。
すると、頼時は、「古(イニシエ)より今に至るまで、朝廷の責めを蒙った者は数多くあるが、未だ朝廷に勝ち奉った者は一人もいない。されば、わしは決して過ちを犯していないが、このように一方的に責めを蒙っては、もはや逃れる術がない。
ところで、この国の奥地からさらに海を渡った北の方に、微かに見渡せる陸地があるらしい。そこに渡って、その土地の様子を見て、人が住める所であれば、ここでいたずらに命を落すよりは、わしから離れがたく思う者だけを連れて、その地に渡って住もうと思う」と言って、まず大きな船を一艘用意して、それに乗って行った。

その一行は、頼時を始めとして、その子の廚河二郎貞任(クリヤガワノ ニロウ サダトウ)、鳥の海三郎宗任(トリノウミノ サブロウ ムネトウ)、その他の子供たち、また身近に使える郎等二十人ほどである。さらに、その従者共、食物の世話する者など、合わせて五十人ほどが一つの船に乗り、当分の食糧として、白米・酒・果物・魚・鳥など多くの物を準備して、船出して海を渡っていくと、あの遙かなる土地に到着した。

ところが、到着した所は、遙かに高い断崖の岸辺で、上は樹木が生い茂った山で、とても登れそうもないので、断崖の下の岸辺に沿って廻っていくうちに、左右が遙かまで開けた芦原の大きな河の河口を見つけたので、そこに船を差し入れた。
「人影でもないか」と見渡したが、その気配もない。
また、「上陸できる場所はないか」と見渡しても、遙かまで広がった芦原で、踏みしめられた道らしいものもない。その河は、底も知れない深い沼のようであった。
「もしや人の気配でもする所があるのでは」と思って、河を上流に向かってさかのぼったが、何処も同じようで、一日、二日と日が過ぎた。「驚いたことだ」と思っているうちに七日間もさかのぼった。
それでも少しも変わらないので、「そうとはいえ、河であるからには、源がないはずはあるまい」と言って、さらにさかのぼるうちに、二十日が過ぎた。それでも、やはり人気もなく同じような景色なので、とうとう三十日さかのぼってしまった。

その時、怪しく地が響くように思われたので、船に乗っている人は皆、「どういう人がやって来たのか」と怖ろしくなり、遙かに高い葦の間に船を差し隠し、響いてくる方向を葦の隙間から見ていると、胡国の人(ココクノヒト・中国の北方民族。)を絵に描いたような姿をして、赤い物を巻き付けて頭を結った者が一騎現れた。
船に乗っている者たちが、「あれはいったい何者か」と思って見ていると、その胡国の人らしいのが次々と姿を見せ、数も分からないほどがやって来た。
その者共全員が、河岸に並んで、聞いたこともない言葉で話し合っているが、何を言っているのか分からない。

「もしかすると、この船を見つけて話し合っているのではないか」と思うと、怖ろしくて、身を縮めて見ていると、この胡国の者たちは、一時(イットキ・二時間ほどか?)ばかり鳥がさえずるように話し合った後、河にばらばらと入って渡り始めた。千騎ばかりもいるように見えた。徒歩の者共を、騎馬の者のそばに引きつけ引きつけして渡っていった。
なんと、この者共の馬の足音が遙かに響き渡っていたのである。

胡国の者共が渡り終った後、船に乗っている者どもは、「ここ三十日もの間さかのぼってきたが、一つとして浅瀬らしい所はなかったが、彼らは歩いて渡っていったぞ。こここそが浅瀬なのだ」と思って、恐る恐る船を出して、そっと船をその場所に差し寄せたが、そこも、同じように底知れぬ深さだった。
「ここも浅瀬ではなかったのか」とがっかりして思い止まった。
胡国の人共は、なんと馬筏(ウマイカダ・以下のような方法らしい。)ということをして、馬を泳がせて渡ったのだ。そして、徒歩の者をその馬たちに引きつけ引きつけしながら渡ったのを、徒歩で渡っていると思ったのである。

そこで、船に乗っている者たちは、頼時以下が相談し合って、「これほどさかのぼってきても、この状態なので、この河は計り知れない大河だ。また、これ以上さかのぼって、何か事に遭遇すれば、まことにつまらない。だから、食糧が尽きぬ前に、さあ、引き返そう」と決めて、そこから河を下り、海を渡って本国に帰ったのである。
その後、幾ばくもしないうちに、頼時は死んだ。(戦死している。)

されば、胡国という所は、唐よりも遙かに北と聞いていたが、「陸奧国の奥地にある夷の地と繋がっているのだろうか」と、かの頼時の子の宗任法師と言って、筑紫にいる者が語ったのを聞き継いで、
此(カ)く語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 早くも豪雨の被害 | トップ | 佐々木朗希投手 好投するも »

コメントを投稿

今昔物語拾い読み ・ その8」カテゴリの最新記事