雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

白犬と暮らす女 ・ 今昔物語 ( 31 - 15 )

2023-06-19 08:02:43 | 今昔物語拾い読み ・ その8

      『 白犬と暮らす女 ・ 今昔物語 ( 31 - 15 ) 』


今は昔、
京に住んでいる若い男が、北山の辺りに遊びに行ったが、いつの間にか日がすっかり暮れてしまい、どことも知れぬ野山の中に迷い込み、道が分からなくなってしまった。帰ることも出来なくなったが、一夜の宿を借りる所もないので、途方に暮れていると、谷あいに小さな庵がかすかに見えたので、男は、「あそこに誰か住んでいるに違いない」と喜んで、草木をかき分けてそこへ行ってみると、小さな柴の庵があった。

人が来た気配を感じて、庵の中から、年のころ二十歳余りの若くて美しい女が出てきた。男はこれを見て、ますます「嬉しいことだ」と思ったが、女は男を見て不思議そうな様子で、「そこにいらっしゃるのは、どなたでしょうか」と訊ねたので、男は、「山に遊びに行ったのですが、道に迷ってしまい帰ることが出来ず、日が暮れてきましたのに泊まる所もなく困っていましたが、ここを見つけて喜びながら急いでやって参りました」と答えた。
女は、「ここには[ 欠字。「ふつう/一般」と言った言葉らしい。]の人はやってきません。この庵の主人は間もなく帰ってきます。ところが、あなたが庵にいらっしゃると、きっとわたしの親しい人と疑うに違いありません。そうなれば、いったいどうなさいますか」と言うので、男は、「どうか、うまく話して下さい。とにかく、帰る方法がありませんので、今夜一晩だけはここに泊めていただきたいのです」と頼むと、女は、「それではお泊まり下さい。『長年会っていない兄に会いたいと思っていましたところ、思いがけず、その兄が山に遊びに行って道に迷い、ここにやってきました』と、主人には言っておきましょう。その事を心得ていて下さい。それから、京にお帰りになった後で、決して『こういう所にこうした者がいた』と他の人には言わないで下さい」と言った。

男は喜んで、「大変ありがたいことです。その様に心得ておきます。また、その様に仰せですから、決して他言は致しません」と約束したので、女は男を呼び入れて、奥の一室に筵(ムシロ・敷物)を敷いてやった。
男がその部屋に入って座ると、女は近寄ってきてささやくように、「実は、わたしは京のこれこれという所に住んでいた者の娘です。ところが思いもかけず、あさましい者にさらわれ、その妻にされて、長年ここに居るのです。その夫が間もなくここに来ます。その姿がどのようなものかご覧になれるでしょう。ただ、暮らしに不自由するようなことはないのです」と言うと、さめざめと泣く。
男はそれを聞いて、「どういう者だろう。鬼ではないだろうか」などと怖ろしく思っているうちに、夜になって、外でものすごく怖ろしげにうなる声がした。

男はそれを聞くと、恐怖に肝も身も縮み上がり、「怖ろしい」と思ってすくんでいると、女は出ていって戸を開けたので、入ってきた者を男が見ると、堂々とした大きな白犬であった。
男は、「何と、犬だったのか。あの女は、あの犬の妻だったのだ」と思っていると、犬は入ってきて男を見つけると、うなり声を上げた。
すぐに女がやって来て、「長年、会いたいと思っていた兄が、山で道に迷って、思いがけずここにやってきましたので、とっても嬉しくて」と言って泣くと、犬はそれを納得したかのように、入ってきて竈の前に臥した。女は苧(オ・麻や苧の皮から作った糸。)という物を紡ぎながら、犬のそばに座っていた。そして、食事を立派に調えてくれたので、男は十分に食べて、寝た。
犬も部屋に入って、女と共寝したようだ。

やがて夜が明けると、女は男のもとに食物を持ってきて、男に密かに言った。「くれぐれも、決して『ここにこのような所がある』と人には話さないで下さい。また、時々おいで下さい。あなたのことを兄と申しましたので、あの者もそう思っています。何か必要な物でもあれば、叶えて差し上げましょう」と。
男は、「決して人に話すようなことは致しません。また、お訪ねいたします」と丁寧に礼を言って、食事が終ると京へ帰った。

男は京に帰り着くとすぐに、「昨日は、然々の所に行ったところ、このような事があった」と、会う人ごとに話したので、これを聞いた人はおもしろがって、また、他の人に話したので、多くの人が知ることになってしまった。
その中で、血気盛んな若者で、恐い物知らずの者どもが集まって、「いざ、北山に人を妻にして住んでいる犬がいるそうだ。そこへ行って、その犬を射殺して、その妻を奪い取ってこようではないか」と言って、人を集めて、この行ってきた男を先に立てて出掛けた。
一、二百人ほどもいたが、手に手に弓矢や刀剣を持って、男の案内に随って、その場所に行き着いてみると、確かに谷あいに小さな庵があった。

「あれだ、あれだ」などと、それぞれが大声で言い合っているのを、犬が聞きつけて、驚いて外に出て見てみると、この前来た男の顔があった。それを見た犬は、庵の中に入り、しばらくすると、犬は女を前に立たせて、庵から出ると山の奥の方に逃げて行った。
大勢で取り囲んで多くの者が矢を射たが、まったく当たらず、犬も女も逃げて行くので、追いかけて行ったが、鳥が飛ぶかの如くに山の奥に逃げ込んでしまった。
そこで、追ってきた者どもは、「あれは只者ではないぞ」と言って、全員帰っていった。
あの前に行った男は、帰ってくるなり「気分が悪い」と言って寝込んでいたが、二、三日して死んでしまった。

そこで、物知りの者が言うには、「あの犬は、神などであったのだろう」と言うことであった。
まことにつまらないことを言いふらした男である。されば、約束を守らない者は、自ら命を滅ぼすことになるのだ。
その後、その犬の在処を知る者はいない。近江国にいたと言い伝えている人がいた。
きっと、神などであったのであろう、
となむ語り伝へたるとや。

     ☆   ☆   ☆


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