第三章 予期せぬ運命 ( 6 )
啓介が就職先の選定に腐心していた頃、俊介と希美も卒業後の進路を固めていた。
俊介は大阪に本社がある大手商社への就職を決めていた。商社勤務が大学に入った時からの希望だった。
希美は父の会社に勤めることになった。本当は金融関係の会社に就職したかったのだが、面接などを受けているうちに何だか父に逆らっているような感覚に襲われたのである。
希美の父親は、母が健在な時でも子供の教育などにあまり口出しをしなかったが、母が亡くなった後は希美に対してまるでガラス細工を扱うように接し、希美の希望に反対することなど殆どなかった。
就職活動を途中で中止し、父にその旨を報告した時の嬉しそうな顔を見て、これでよかったのだと思った。
早知子が健在だったら自分はどうしただろう、と思うことがあった。早知子の死は希美にとっても小さなものではなく、学生生活にも影響を与えていたが、就職活動を止めてからはこれまで以上に早知子のことを考えることが増えた。
そして、一人思いあぐねて苦しくなると、俊介に連絡を取った。啓介の居る東京はやはり遠く、早知子のことを語りあえるのは俊介しかいなかった。
気を遣いながら俊介の自宅に連絡することが少なくなかった。
電話に出るのはたいてい俊介の母親で、早知子のことで希美が淋しがっていることを心配してくれた。異性の家に電話をすることに引け目を感じている希美は、その母親の応対に救われる思いをすることが多かった。
俊介もまた同じで、余程の用件がある時以外は、予定を変更してでも希美のために時間を作った。二人にとって、早知子という媒体があったとはいえ、互いに支えあう大切な人になっていった。
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啓介が大学生活最後の正月に帰郷した時、三人で早知子の家を訪れた。昨秋には三回忌も終え、悲しみの日から二年四カ月近くが過ぎていた。
早知子の母親は三人の訪問を喜び、早知子の思い出話に耽った。
三人が無事に大学を卒業できそうなことや就職先などを報告すると、涙を流して喜んだ。母親を悲しませてしまったことを三人が気遣うと、あなた方だからこうして遠慮なく泣けるのですよ、と感謝しているのだと語った。
「あなた方が元気に社会に出て行かれることが、本当に嬉しいんですよ。わたしは大丈夫ですよ。わたしの心の中では、早知子もあなた方と同じように成長しているんですよ。あなた方がお元気だと、わたしの心の中の早知子も元気なんです。あなた方に元気がないと、早知子も泣いているんです・・・。あなた方が活躍してくれれば、わたしの心の中の早知子も頑張ってくれるんですよ・・・」
早知子の母親は、頬を伝う涙を拭おうともせず、笑顔を見せた。
その笑顔は、限りなく深い悲しみの表情として若者たちに迫った。二年や三年などという年月は、深い悲しみを癒すのに何の効果もなく、さらに深い悲しみを積み重ねる時間であるように思えた。
「お母さんの心の中には、早ちゃんが生きているんだ・・・」と啓介は思った。そして、自分の中にも早知子は確かに居る、と思った。
啓介は自分の中に存在している早知子と向かい合った。
事故直後に比べれば、早知子に対して冷静に対応できるようになっていた。時間の経過が早知子の存在を薄めているということなのかもしれなかったが、少なくとも啓介にはそのような認識はなかった。
啓介が早知子のことを想う時、今も変わることなくありありと姿が浮かんでくる。
その姿は、優しく微笑んでいたり、自分の手を取って駆け出して行く時の顔であったり、あの日の不安げな表情であったりした。
早知子とはいつでも逢えるし、住む世界が異なったとしても新しい関わり方を見つけ出せるという漠然とした思いもあった。
しかし、啓介の心の中にある早知子は、さまざまな表情を見せはするが、いずれも生前の姿だった。早知子の母親が話したような、その後の成長した早知子の姿に逢ったことがなかった。
早知子との新しい関係を、啓介はなお模索し続けていた。
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