一燈照隅

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皇室内廷費は少ない

2006年09月21日 | 皇室
秋篠宮悠仁親王殿下が誕生されてから、皇室費用についていろいろマスコミなどで取り上げられていました。
一番言われているのが秋篠宮家が東宮家と比べて、格段に費用が少ないとのことですが、各宮家は職員の給料も出しています。
それで見れば、職員数で費用を割れば東宮家も秋篠宮家もほぼ同じ数字になります。テレビでのキャスターやコメンテーターは、合計の数字だけを見て東宮家に比べて秋篠宮家は少なすぎると言っていますが、現実には皇室全体に少なすぎるのです。
秋篠宮家が少ないと言うなら、皇室全体を上げなければならないと言うべきでしょう。

天皇陛下に関わる皇室内廷費の少なさに関して、平成元年に平沼赳夫氏が「正論」に書いています。
全文を掲載します。




「皇室内廷費のあまりの少なさを憂う」
昭和二十五年度に比べ、わずか九.二倍の伸ぴ率の内廷費。
皇室祭祀の維持すら覚束ない現況を憂う
衆議院議員平沼剋夫

昭和六十四年一月七日午前六時三十三分、天皇陛下崩御。この日をもって昭和は終りを告げ、新しい時代「平成」がはじまった。

この劇的な歴史の転換点を振り返ってみて私の胸にまず浮かんでくるのは、六十四年にわたって国民の敬慕を一身に集められ、昭和というかつてない激動の時代を生きられた大行天皇陛下への深い敬意と哀悼の念である。それと同時に、天皇に対する国民の思いの素晴らしさにも大きな感動を覚える。

昨年九月の再度の御不例以降、年末までの三か月問に、御平癒の記帳をおこなった国民の数をここで確認しておきたい。宮内庁の十二施設でおよそ百四十万人、全国各地の自治体関係で四百五十万人、全国千数百の神社から寄せられた記帳者が二百五十万人、合せて八百四十万人にものぼる、また崩御の翌日八日の弔慰の記帳は、雨の皇居前にえんえんと長蛇の列が連なり、一日だけでなんと三十五万人、十六日までの全国での記帳者数は二百二十三万人に達した。これだけの数の人々がだれに命じられたわけでもなく、自らすすんで天皇へのひたむきな思いを表明したのである。記帳には行きたかったがさまざまな理由で行くことが出来ず、自分なりのやりかたで弔意をささげた人は、この数十倍にもあたるであろう。昨年の秋から全国各地に広まった自粛ムードも、このような国民の思いが自然な形で表れたものである。ごく一部の人々がどのようなブロパガンダにつとめようとも、ほとんどの日本人が、天皇の御心に副うようにとのひたむきな思いを抱いていることは否定しようもない事実なのである。

こうした状況を認識するとき、国政にたずさわる者として、何をなすべきかは国会議員のひとりひとりに与えられた責任といえよう。そこで私は、今にわかに注目を浴び、大きな請願運動にまで高まっているふたつの重要な間題、皇室内廷費の増額と、皇室への国民からの献金枠拡大の問題を、ここで提示したい。

皇室内廷費がなぜこれほど低額なのか次頁に掲げた皇室関係予算の表を御覧いただきたい。昭和二十五年と現在を比較してみると、予算の伸びに著しい差のあることがおわかりであろう。官内庁費という政府所管の経費は五十倍以上に上昇し、政府の公務員が経理する宮廷費も三十倍を越えている。これはその間の大幅な物価上昇と日本経済の発展を考えれぱ、当然の数字といえよう。

ところが、天皇に直接する内廷費のみが、比較を絶した低さに止めておかれている。



内廷費には、天皇陛下一家の日常の御生活のすべてと、諸活動の御経費、それに内廷に奉仕する多くの職員の人件費などが含まれるが、天皇陛下の最も尊い御使命である宮中三殿での御神事費、伊勢の神宮をはじめ二十社余りの神宮神社への勅幣、および古来からの四十に近い由緒ある仏教寺院などに対する御経費の支出も含まれている。

これら祭祀に関する御経費については、それぞれの細目は明らかではないが、わが国の精神的伝統文化を維持高揚し、国民の精神、気風の浄化に最も貴重なものである。

それが、日本経済が最極貧状況にあった昭和二十五年から、わずかに九.二倍しか伸びていない。この数字には多くの人が驚いたようだ。昨年十二月二日、皇室を敬愛する文化人や宗教者ら二百人余で組織する「日本を守る会」が〈皇室内廷費増額に関する請願〉を採択、国会請願や署名運動を展開することになったし、「日本を守る国民会議」(黛敏郎運営委員長)でも都道府県レベルで運動を展開することに決め、実践的な署名活動に入っている。この実態が昭和五十八年に宮内庁職員の告発によって明るみに出たときから増額を唱えてきた私としては、これは大いにうれしいことである。

皇室内廷費は他の諸経費とは異なり、旧憲法時代の皇室費と同じく、毎年度の予算によらずしてそ、の固定額が法律によって決められてきた。前期と同じレベルで、それに物件費、人件費の上昇を加味して計算するに止めてきたらしい。
が、この問に、物価は大きく上昇している。しかも、その計算の基礎となったのは、日本経済が極貧状況にあった時代の内廷経済であり、その後の日本経済の大発展をおよそ度外視している。

それがこのまま来てしまったのは、おそらく米軍占領時代の宗教政策に対する大行天皇陛下の御遠慮に端を発するのではないか、と推測される。占領軍も内廷経費の支出を禁じたりはしていないから、まさしく御遠慮なされたのであろう。陛下御自らは常に質素を貴ばれ、激しいインフレの時代にも国民のことを思われ、節約に努められて、増額を御遠慮になり、それがためにきつい抑制力が働いたと考えられるのである。

しかし、占領終結後四十年近くを経た今日、新天皇陛下が何者に御遠慮されるべき理由があろうか。もちろん、私は内廷の豪奢華美を望むものではなく、簡潔清浄なる御高風を尚ぶものである。それをあえて、内廷費の増額を切望してやまないのは、先に述べたような皇室の精神的行事の衰微が憂慮されるからにほかならない。左翼のいう政教分離の影響が宮中にまでおよび、皇室のお祭りの意義に無知な宮内官僚によって神事の扱いが軽んぜられ、神饌やその他施設にまでしわよせがあらわれるような状態は、なんとしても避けねばならないと考えるからである。

では妥当な額はいくらなのか、ということは政府内部で調査・論議すべき問題である。

ごく常識的な範囲で考えるならば、比較表によっても極端な低額であることは明らかなのだから、現在の三倍程度、宮廷費の伸びと並ぶ程度には引き上げて然るべきであろう。私個人としては、大企業の交際費が年間数十億ということを考えれば、月一億円以上確保して当然ではないか、と思っている。

事実上禁止に等しい国民献上金

つぎに、皇室への国民からの献金枠拡大の問題に移ろう。
一昨年九月、大行天皇の最初の御不例のときのこと。陛下の御病状に対して、全国的に御平癒祈願がおこなわれたが、日本人の慣習としてお見舞品を届ける人人がかなりいたそうである。だが、宮内庁はそれらを受け取れない理由を明らかにせず、すべて断った。お花やお見舞金を直接持参しても受け取ってもらえないので、今度はお金を郵送してくる人が沢山出てきた。これには宮内庁も困ったらしいが、結局みな送り返したという。法的には年問六百万円までは受け取ってもよいということになっているのに、なぜ受け取れないのか、各県への行幸に際しては地方物産などの献上は受けているではないか、といった疑間が各方面から出されて論議を呼び、なかには、こうした行政措置に対して、弁護士を立てて異議申し立てをした人もいるとの情報まである。

この問題が昨年の再度の御不例、御病状の悪化に伴つて表面化した。九月十九日以降、坂下門で記帳した人が花束や折鶴、写経、お見舞金を持参する光景がテレビで盛んに報道されていたことは記憶に新しい。千羽鶴の受け取りを拒否されて泣いていた女学生、皇居のお濠周辺に置き去りにされた花束……国民の純粋な思いを官僚的に扱っている情景には大いに腹が立ったものだ。お見舞金にしても、日本人の社会儀礼としての神社や寺院へのお賽銭を考えれぱ当然配慮しておくべき問題なのに、たんに扱いに困るからという発想で処理しようとする。反発を招くのも当然といえよう。

こうしたお見舞品やお見舞金は、天皇の御不例に際して、国民として何か微衷を表したい、と望む心の自然な発露である。それに対して宮内庁がこのような態度に出るのは、むろんそうしなけれぱならない理由があるからで、日本国憲法第八八条に「すべて皇室財産は国に属する」と銘記されているからである。

占領軍の指導下に影いて改正された憲法は、天皇をもって「国政に関する権能を有しない」と断定した。しかもGHQは、国政上の権能をなくしても、なお天皇に対する国民の精神的崇敬の強大なることを懸念し、天皇と日本国民との間の強い信頼関係の断絶をはかろうとした。しかし、天皇の社会活動までも法的に制約することはできないので、それが事実上不可能なように、憲法第八八条を設けて皇室財産の一切を廃した。

さらに、再び国民が皇室へ献上して、皇室が財力を有して社会的活動を回復されることが出来ないように、「皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない」という憲法第八条を設けた。

このような憲法は世界のどの独立国にもない変則的なものである。文明諸国の王室は、いずれも必要な財力を確保して国内の社会事業を助け、国外に対しても人道的な寄付をおこない、国民の心理的統合と国際友好に努めている。それが王室として当然の姿である。たとえば、英国王室の世界各国を駆けめぐっての活躍ぶりはつとに名高いが、それはエリザベス女王が世界有数の財産家であられ、チャールズ王子でも日本円に換算して一千億円近い基礎財産をお持ちになられているからこそ可能なのである。

わが国の皇室も、戦前はその公の財産を有効に行使された。明治時代には文化・学術の奨励、天災地変に際しての難民救済、医術の普及をはじめとする諸般の社会事業などに御下賜があり、近代産業育成のための御援助もあり、それは遠く海外に及んでいる。一例をあげるならぱ、国際赤十字社に対する大きな御援助の功は、一世紀後の今日に至るまで関係国際人のよく銘記するところである。また、敗戦後の大行天皇陛下とマッカーサー元帥の会見の場で、、陛下が皇室財産目録を元帥に示し、これをもって国民の飢えを救ってほしいと依頼されたことも忘れてはなるまい。

人づてに聞いた話だが、昨年夏のバングラデシュの水害惨事の際、フランスはミッテラン大統領夫人が、飛行場が再開された第一号の飛行機で来られたそうである。戦前と同じ情況にあれぱ、日本の皇室も御援助を惜しまれなかったろう。先頃のアルメニア大地震にしても同様である。日本の政府が事務的に一定の援助金を送るのと比べ、当事国に与えるインパクトと重みも違うはずである。しかし、そういうことは不可能なのだ。日本の皇室は財力を持つことを許されていないのだから。
私はここで、憲法を改正し諸外国並みにせよ、と性急な主張をするつもりはない。憲法の改正は非常に重要な問題であり、さまざまな論議を経なければならない。現憲法ですら天皇からの御下賜、国民からの献上があることを規定しているのである。しかし、皇室経済法に定められたその献上金と御下賜金の限度額が、それぞれ年間六百万円、千八百万円という極めて僅少な額であることが問題なのだ。一般庶民が五万円十万円の熱意ある献金をしようと思っても、「受け取ったらきりがないから」と宮内庁の行政官の拒否するところとなり、事実上は献金禁止の状態になってしまっているのである。

もちろん、献金の道を安易に開くことに問題がないわけではない。心ない国民や一私企業などの「ウチは一億も寄付した」式の売名行為に利用されたりすることは断じて避けなければならない。そのためには、献金方法、窓口、手続き、などしっかりしたシステムを作らねばならないだろう。

一見したところ小さな問題のように見えるかもしれないが、皇室の伝統と文化、「日本国の象徴」としての天皇と国民との深いつながりを守っていくうえでは、非常に重要なことなのである。現在の皇室経済法施行法を改正し、献上金の枠をできるかぎり拡大して、一定限度の献上金ならば誰でも自由におこなえるように道を開かねばならないと考える次第である。

皇室問題の本質的な論議を

皇室内廷費の増額と、皇室への国民からの献金枠の拡大。この二つの請願運動は、咋年の後半から眼を見張るほどの勢いで浸透しつつある。「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」の熱っぽい署名運動は先に述べた通りだが、請願書そのものもすでに昨年の九月十六日に国会に提出されているのである。衆議院では江口一雄、加藤卓二、園田博之、佐藤敬夫の四議員、参議院では大塚清次郎、藤井孝男、寺内弘子、板垣正の四議員が紹介議員となって両院議長に提出ということになったのだが、自民党としては党議として決定すべきものと考え、政調会長の預かりの形となってしまった。今後さらに署名運動が展開されて、地方の有志から地元議員を介して請願書が多く寄せられれぼ、自民党としてもこの問題に対して決断を迫られるはずである。

議席数で絶対多数を占める自民党がこんなにも煮えきらない対応を見せるのは、そこに「ことが皇室に関する問題だから」という躊躇があるからである。政教分離を金科玉条のごとく唱える一部イデオロギー勢力に気を使い、おもねっているからにほかならない。

左翼陣営は、昭和五十二年の三重県津の地鎮祭訴訟での最高裁判決の全面敗訴で危機感を抱いた。これはごく一部のキリスト教信者が中心で、その背後に社共勢力が存在したという形のものであった。彼らは、国家と宗教、特に神道との完全分離こそ憲法の政教分離の思想だと叫んできたのだが、それが退けられたのである。さらに昨年六月には、山口県護国神社の殉職自衛官の合祀取下げ訴訟の最高裁判決が下って、政治(国家)と宗教、政教分離の憲法解釈で決着がつき、敗北感を味わった。そこで今度は、御代替わりの大嘗祭を最大のターゲットとしてきた。それらを国家行事としておこなわせないように、皇室の御祭りは天皇の「私的な行為」であって、国家とは何も関係がないというプロパガンダに努めてきたわけである。

しかし、皇室の神事がはたして宗教だろうか。宗教には一定の要件が備わっていなければならない。教祖が存在し、教義経典があり、信者獲得のために組織だった活動がある、といった特徴を備えてこそ初めて宗教に分類できるのである。

日本の皇室に古来より伝えられてきた伝統的な神事が、どうして宗教に分類できるだろうか。

歴史が始まって以来、皇室は日本人の信望を一身に集めながら国を支えてきた。そして現在も、昔と変わらぬ圧倒的多数の日本人の熱烈な支持を受けている。それを考えるならば、皇室の最も重要な伝統的儀式、皇位継承の儀、朝見の儀、御大喪、大嘗祭までの一連の諸儀式を国事行為としておこなうのはしごく当然のことなのである。

福沢諭吉先生は、名著『帝室論』のなかで「帝室は政治社外のものなり」として「帝室の尊厳とその神聖とを濫用すべからず」と教えている。皇室問題を論じ決定していくために必要なのは、まさしくこういう姿勢であろう。内廷費増額、国民献金枠の拡大の具体的な問題とともに、皇室問題を本質から考えていきたいものである。
(「正論」1989年3月号)










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4 コメント

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Unknown (リカ)
2006-09-22 01:11:30
まささん、古い正論を保管されていたのですか?



皇室内廷費は少なすぎます。どこかの地方自治体のように、国民を利用して裏金をお作りになりませんし。でも残念ながら、昭和天皇崩御の頃と比べて、世の中も世論も少し変わってしまったと思います。則ち、あの頃よりも厳しく、反日勢力が増している。



平沼議員には頑張って貰いたいですが、小沢とゴルフしたあたりから不安を抱いてます。

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無知な宮内官僚 (J)
2006-09-22 14:59:04
>左翼のいう政教分離の影響が宮中にまでおよび、皇室のお祭りの意義に無知な宮内官僚によって神事の扱いが軽んぜられ、神饌やその他施設にまでしわよせがあらわれるような状態は、なんとしても避けねばならない



今に至っても避けられてないって事ですよね?T-T



平成18年度の予算を見つけました。

平成16年より若干減らされているようです。

http://www.kunaicho.go.jp/15/d15-03.html

同じように昭和25年を基準にして計算してみたら、

内廷費 11.6倍

宮廷費 77.2倍

皇族費 80.2倍

となり、皇室費全体で見れば、60.9倍となっています。

本当に内廷費に全てのしわ寄せが行ってるみたいですよね。

それに対して、宮内庁費は70.1倍です。

運動の成果は上がらなかったようですね。

どうすればいいんでしょうか。
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Unknown (まさ)
2006-09-22 18:35:13
リカさん、

昭和天皇が崩御された年ですから、当時の雑誌とか写真誌はまだ保管しています。



今、全マスコミは秋篠宮家は皇族費が少ないと言っているのだから、逆に利用すればいいのにと思うのです。

平沼氏に批判的な人が多いようですが、私は物的政策より精神的政策が一致する人間が大事だと思います。

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Unknown (まさ)
2006-09-22 18:41:41
Jさん、

開かれた皇室と言うなら、皇室の予算も報道したらどうかと言いたい。

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