一燈照隅

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鬼だ!  徒然草第50段

2005年07月28日 | 日本の文化
 応長の頃、伊勢の国より、女の鬼になりたるをゑてのぼりたりということありて、その頃二十日ばかり、日ごとに、京白川の人、鬼見にとて出でまどふ。
「昨日は西園寺に参りたりし。」「今日は院へ参るべし。」「ただ今はそこそこに」などいひあいへり。まさしく見たりといふ人もなく、そらごとといふひともなし。上下ただ鬼のことのみいひやまず。  
その頃、東山より安居院の辺へ罷りまい侍りしに、四条よりかみざまの人、皆北をさして走る。「一条室町に鬼あり」とののしりあへり。今出川の辺より見やれば、院の御桟敷のあたり、更に通りうべうもあらず立ちこみたり。
はやく跡なき事にはあらざめりとて、人をやりて見するに、大方逢へる者なし。暮るるまでかく立ち騒ぎて、はては闘諍おこりて、あさましきことどもありけり。  
その頃おしなべて二三日人のわづらふこと侍りしをぞ、かの鬼のそらごとは、このしるしをしめすなりけりといふ人も侍りし。



応長の頃、鬼に化身した女が、伊勢の国から京に上ってきたという話がまことしやかに流れ、それから20日ほど、京白川の辺りの人々は毎日のように鬼見と称し、夢中になって外出するようになった。
「昨日は西園寺に現われたそうだ」 「今日は院の御所に現われるとさ」 「今は某所に」 などと皆騒ぎに騒いでは噂を大きくしていった。「確かにこの目で見たのだ」という人も無ければ、「ただの作りごとだろう」と言う人もいない。上から下まで、誰もが鬼の虜になっていた。
この話題で世間が持ちきりだった頃、東山から安居院の辺りに出掛けると、四条より上に住む人が皆、北を目指して走っているのに出会った。「一条室町に鬼が出た」と騒ぎ合う人々。今出川の辺りから見れば、院の賀茂祭見物の桟敷には身動きが取れないくらいに人が集まっている。
なるほど鬼がいるというのは根拠のない話でもないのだろうと思い、人を見に遣らせたのだが、誰一人として鬼に出会う者はなかった。日が暮れるまで大騒ぎし、あげくの果てには喧嘩まで始まり、何とも馬鹿らしい事しきりであったという。
この鬼騒動にあわせるようにして、2、3日ほど、皆が一様に病気にかかる事があった。鬼の噂話は、この兆しを意味していたのではないかと言う人もいた。 





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